中編

僕と君の300日(序)






「きょうはどこにいかれたのでしょうか」

「いつもふきそくにでていかれますね」

「うえのひとはほとんどおんなじようなせいかつなのに」

「それにしてもとてもきれいずきなひとですね」


夜な夜な消灯後に聞こえてくるとても微かな、それでいて丁寧な口調の独り言。


最初は疲れ切っている俺の幻聴か何かだと思った。

だが日増しにおしゃべりになるそれに、ふと興味本位で答えてしまった。すると部屋のどこかからか悲鳴のような――しかしこの上なく喜んでいるような、そんな声が上がった。

話してみればその声の主は本当におしゃべりが好きで、何号室に住んでいるのはどんな人だとか、大体何時に家を出て帰ってくるかとか、食生活はどうだこうだとか、部屋の使い方からゴミの捨て方まで、まるで見てきたかのように話してくれた。そして俺では思いつかない――どちらかといえば世間知らずな――感想を聞かせてくれるものだから、毎晩眠りに落ちるまでのBGMのようにして楽しんでいた。


だが会話が重なるごとに、彼――これは話をしている中での印象であって、もしかしたら彼女かもしれない――との会話が幻覚や与太話の類ではなく、本当のことだと気づき始めた。

彼の言う通りの人物像が、彼の言う通りの部屋から出てくることが多すぎるのだ。俺はそんなに想像力が働く人間ではない。という考えが大きくなり、そうすると相手の正体が気になってくる。

そもそもここは俺の部屋だ。

築三十数年の老朽化が節々に見られる、八階建てのアパートの四階だ。

電気を消すまでは俺以外誰もいないのに、電気を消すと魔法のように現れておしゃべりを始める。

幽霊、かとも思ったがそれにしては声がはっきりと存在しすぎている。いや、幽霊と会ったことがないから本当のところはわからないが。

あまりにも気になり過ぎて単刀直入に問うと、ぼくをころしませんか?と返ってきた。


殺す?意味が分からない。


素直にそう返すと、


「ぼくをころさないとやくそくしてくださるのなら、でんきをつけてください。かくしょうがもてないのなら、きょうはもうねましょう。あなたとおしゃべりするのはとってもたのしいので、できればきょうのことはわすれてください」


と言う。

ますます分からない。

殺す、ということは彼が“生きている”ということだろう。つまり幽霊のたぐいではなくなったわけだ。となると鍵を閉めた部屋に難なく入り込めるような超能力を持った人の可能性が……いや、それはないか。


俺が君を殺す確証でもあるのか?


と聞いてみる。

少しの沈黙の後で、


「きっとそうするでしょうね」


と返ってきた。


たった数日話しただけだけど、君には俺がそんな人間に映っていたのかと問うと、またしばらく沈黙の後「そういうわけではありません」と返ってきた。どうやら違うらしい。そこは少しほっとした。


「じゃあ、クイズにしましょう」


と声がした。


「ぼくとあなたとのクイズです。みっかかんで、ぼくのなまえをあててください。どうわであるでしょう、そういうの。あなたがぼくをみやぶったら、すぐにきえます。みっかたってわからなくても、やはりきえます。あなたはきっと、そうのぞむでしょうから」


頭ごなしに決めつけられるのはあまり苦痛ではないが、そういうことではない、と言った。


「別に気味悪がって君の正体を知りたいわけではないんだ。ただ、どんな人と会話をしていたのか、ちょっと気になってしまっただけだから。君が幽霊だろうと貧乏神だろうとゴキブリだろうと、君と話してたい気持ちは変わらないよ。消えてほしいなんて言ってないだろう」


あ、と声がした。


最初に聞いた時と同じ、恐怖と喜びが入り混じった声だった。






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【読切】クラーケの骨格 村雨廣一 @radi0_0x

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