【非公式紙書籍特典SS再録】恋文

 ――返事を書く、と言ったからには手紙を書かねばならない。


 マティアスはエミーリアに宛てた手紙を書くために便箋を広げていた。手触りのいい、上質な紙だ。伯母に宛てた手紙を恋文と勘違いしていたようだから、ああいう手紙が女性にとって、『もらったら嬉しい手紙』というやつなのだろう。

 うつくしい便箋に、それに合わせた封筒。そして添えられた花と、それらをまとめるリボン。伯母に叩きこまれた手紙の決まりというやつは、どうやら女性への手紙としての作法だったらしいとマティアスは今さらながらに気がついた。

 贈り物は相手のことを考えて選ぶものなのだと、マティアスは最近ようやく知った。相手の喜ぶ姿を想像するだけで、選ぶ過程すら楽しくなるのだから恋というものはつくづく不思議だと思う。

 便箋と封筒はほんのり青い色のついたものだ。今度、もう少し見た目にもこだわったものを揃えようと思う。手紙に添える花はもう決めてある。

 リボンはどうしようかと思いながら、これも選べるほど種類がないんだと気づいた。こんな手間のかかる手紙を書くのは伯母に宛てたものくらいだったので、とりあえずなんでもいいから結べればいいと思っていた過去の自分に説教をしたくなる。いずれ必要になるから最低でも数種類は揃えておけ、と。


 どうか、陛下のおそばに、わたくしの居場所をいただきたいのです。

 シュタルク公爵家の娘としてだけではなくて、ただのエミーリアとして。

 そのためならわたくしは、どんな苦労も厭いません。


 もう何度も読み返した、エミーリアからの手紙。

 そう、マティアスが今から書こうとしているのはまさにこの手紙の返事だ。

 きっとこうしてマティアスが何度も読み返しているように、エミーリアも大切にしてくれるのだろうか。いとおしそうに手紙の文面を撫で、何度も何度もその言葉を噛みしめるように読み返すのだろうか。

 どんな言葉なら喜んでくれるだろう。

 散々な思春期を過ごしてきて女性不信気味だったマティアスは、当然恋文なんて書いたことはない。マティアスにとってこれが正真正銘、生まれて初めて書く恋文だ。

 妙に緊張しながらペンを握る。さてと文字を書こうとしてインクがぼたっと落ちてしまって便箋を破り捨てた。それからも途中まで書いては何か違う、と書き直してはやはり前のほうが良かった気がすると思ったりして、なかなか手紙は書きあがらない。

 手紙ひとつでこんなに体力を消耗するのかとマティアスは息を吐き出した。

「……本当に、初めてのことばかりだな」

 くすりとマティアスは笑みを零す。

 エミーリアと婚約してからというもの、マティアスは今まで体験していなかったことばかりを経験している気がする。そもそも「わたくしと恋をしてください」なんて真正面から言われることも初めてだったわけだが。

 チョコレートを食べたのも初めてだったし、落ちてきた人を受け止めたのも初めてだ。誰かからの手紙を待ち遠しいと思うことも――今思えばあったわけで、それも経験したことのない感覚だった。

 思い返しているとなんだか気持ちが落ち着いてくる。胸の奥は炎が灯ったかのようにあたたかくなっているが、不快なものではない。

 マティアスは再びペンを握った。




 手紙を書き終えたマティアスは庭園に足を運び、見つけた庭師に声をかける。

「へ、陛下!? ど、どうかなさいましたか!?」

 突然現れた国王の姿に庭師は飛び上がるほど驚いている。普段ならば立ち寄ることもない場所だから驚かれるのも無理はないのだが、少し怯えられてしまっているようなのはどうにも解せない。庭園とはいえ王城の一部なのだからマティアスがやって来てもおかしいことはない。

 時間があるときには足を運ぶようにしよう、とマティアスは心の中で思った。これからは頻繁にやってくることになりそうな場所だからこそ。

「花を一輪、欲しいんだが」

「は、花を……? どの花かおっしゃっていただければお持ちいたしますが……」

「いや、自分で選びたい」

 初めからそう言われるだろうと思ったからわざわざ足を運んだのだ。侍従や書記官に告げたらすぐにでも、マティアスの望む花が用意されただろう。

 しかしこの花だけは――エミーリアに宛てた手紙に添える花は、自分の目で選びたかったのだ。

「白い薔薇――リンハルト公爵家の、白薔薇を」

 マティアスの恋文に添えるのなら、あの花でなくてはならない。

 あの薔薇以上に、この恋文を彩るのに相応しい花などマティアスには思いつかなかった。

「ああ! あの薔薇でしたら綺麗に咲いているものがございますよ」

 庭師と共に白薔薇が咲いている区画に移動すると、蕾のものから満開になったものまでたくさんの薔薇が咲いている。蕾の頃は真っ白な薔薇なのに、徐々に薄紅色へと色を変える不思議な薔薇だ。この薔薇を作らせた国王の手記には『まるで恋をする乙女のようだ』なんてロマンチストな言葉が捧げられている。

 ――この花しかない、と思ったものの。

 真っ白な蕾のものか、少し綻び始めた白薔薇か、ほんのりと薄紅に色づき始めたものか、はたまた薄紅の薔薇と見紛う満開のものか。どれがいいだろうかとマティアスは真顔で薔薇を眺めた。

 蕾ではどこか頑なな印象があるし、ほとんど薄紅に染まったものは盲目的な気がする。

 悩んだ末に、マティアスは綺麗に咲いている一輪を選んだ。白い薔薇に、ほんのりと薄紅色がつきはじめたものだ。

「一輪だけでよろしいのですか?」

「ああ、これだけでいい」

 選び取った一輪を大事そうに持ちながらマティアスは庭園を去る。

 庭師がその薔薇の行方を知ることになるのはもう少し先の話である。

 


 その手紙がエミーリアのもとに届いたのは、ちょうど朝食を終えたばかりの頃だった。

「お嬢様、陛下からお手紙が!」

 ばたばたと忙しないハンナの足音が聞こえたかと思うと、大きな音と共に扉が開いて、その声がエミーリアの耳に届く。

「え、ええ!?」

 確かに手紙を書くとおっしゃっていたし、返事をくださるとも聞いたのだけど!

 いざその手紙が届くと、エミーリアは驚いて手に持っていた本を落としてしまった。

 どうぞ、と渡された手紙を受け取る。ほんのりと青い便箋に、薔薇が添えられている。リボンは群青色だった。

「……この薔薇」

 咲いたばかりの薔薇のようだが、ほんのりと薄紅色に染まり始めている。言われずとも、これはエミーリアとマティアスが出会ったあの庭園に咲くものと同じ薔薇なのだとわかった。

 まだ手紙を開いてもいないのに、たったそれだけのことで胸がいっぱいになる。

 この薔薇が特別な薔薇だと思うのは――もうエミーリアだけではないのだと、そう告げられているような気がして。

 歓喜で滲んだ涙を拭いつつ、手紙を開ける。いつの間にかハンナは退室していたらしい。静かな部屋のなかで、エミーリアは自分の呼吸の音ばかりがやけに響いて聞こえた。


 どうか、いつまでも隣で笑っていてほしい。

 君が笑顔でいられるように、どんなものからも君を守るから。


 それは間違いなく、エミーリアが生まれて初めて受け取った恋文だった。



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