7:恋は人を変える

 しばらく世間話をして、レオノーラもぽつりぽつりと少し相槌を打つ程度のやりとりをしているときだった。

「……あら、髪に飾っている薔薇は生花かしら? 普通ならまだ咲いていないでしょうに」

 ベアトリクスがエミーリアの髪に飾られた白い薔薇を見て問いかけてくる。

「これは今朝届いた陛下からの手紙に添えられていたもので……せっかくですので髪にさしてみました。おそらく王城の温室の薔薇です」

 温室では本来の季節より少し早めに花が咲いていることが多い。それでも真冬の頃には手紙に添える手頃な花がなかなかなく、マティアスも苦労していたらしい。何度か花がないことを謝ってきたり、代わりにお菓子が添えられていたりしたことがあった。

(きっと今日はレオノーラ様にお会いする日だから、白い薔薇をくださったんだわ)

 エミーリアとマティアスの思い出の薔薇と同じ品種ではないが、それでもわざわざ白い薔薇を選んでくれたことが嬉しい。

「……手紙? 今朝? ……マティアスが?」

 ベアトリクスとエミーリアの会話を聞いて、レオノーラが目を丸くしている。その紫紺の瞳は驚きの色を隠さないまま、エミーリアの髪にある白い薔薇を見た。

「はい。陛下とお会いできる時間は限られておりますから、手紙のやり取りをしております。ほぼ毎日……いえ、近頃は少し忙しくて、一日おきくらいになってしまうこともありますけれど」

「ほぼ毎日!?」

 レオノーラがティーカップを落としそうになりながら声を上げた。がしゃんと大きくたてられた音がその驚きの大きさを物語っている。ベアトリクスはそんなレオノーラの様子に小さく笑った。

「はい。だいたいいつも朝には陛下からの手紙が届くので、その日の昼間にわたくしがお返事を書いております」

 驚いて目をぱちぱちとさせているレオノーラを見つめ、エミーリアは素直に答えた。

 隠すようなことではないし、何よりマティアスやエミーリアの周りの人間はとっくに知っていることだ。エミーリアはマティアスから届いた手紙を大事にしまうための箱がそろそろいっぱいになってしまいそうで新しくするべきかもう一つ用意するべきか悩んでいるし、マティアスも執務室の机の鍵のかかる引き出しがエミーリアからの手紙であふれそうになっている。

「手紙に添えられている花を結っているリボンなども大事にとっているので量がすごいことになってしまっていて」

「……花、リボン……?」

 花は生花なので萎れてしまう。それでもエミーリアとしては大切にとっておきたいところなのだが、ハンナに全力で止められたしマティアスにも「花ならいくらでも贈るからやめたほうがいい」と諭されてしまった。それでも特に好きだった花は押し花にしたりしている。

「こうした手紙のやりとりもあと少しかと思うとさみしくなってしまって……」

「あら、毎日一緒にいるようになるんだもの、さみしくなる暇もないでしょう」

「そ、それはそうなのですが」

 ベアトリクスがくすくすと笑いながらエミーリアに話しかけているなか、レオノーラは信じがたい言葉の数々に硬直していた。


 ――毎日手紙を送り合う? それも花を添えて?


「……もしかして私の知るマティアスとは別のマティアスの話かしら」

 そうだ、そうに違いない。聞き間違いでないのなら、これはまったく別のレオノーラの知らないどこかのマティアスの話なのだろう。

「いいえ、あなたの弟のマティアスで間違いないわ」

 レオノーラが呆然としながら呟くと、ベアトリクスは容赦なく現実であると突きつけてくる。

「そっ……そんなわけがありますか!?」

 きっぱりと言い切ったベアトリクスに、レオノーラは声を上げた。

 椅子が倒れそうな勢いで立ち上がったレオノーラを、エミーリアは目を丸くしながら見つめる。

(……わたくし、変なことを話したかしら?)

 レオノーラがここまで驚くことも動揺することも言った覚えはなかった。ただ普通に、マティアスと婚約者としてどう過ごしているか――その手始めに手紙のことを話していただけなのだが。

 しかしレオノーラは立ち上がったまま信じられないという顔でベアトリクスに話しかけている。

「あのマティアスですよ!? 小さな頃から私がどれだけお膳立てしても女の子と親しくなんてしなくて、むしろ煩わしいという様子さえあって! あんなことがあってからはしかたないかと思って私も大人しくしましたけど、それにしたってこんな甘ったるいことをするタイプじゃなかったでしょう!?」

(……あんなこと?)

 ちょっと気になる単語があったものの、エミーリアがそれについて聞けるような雰囲気ではない。

 レオノーラはすっかり声を荒げているのに、ベアトリクスは落ち着いた様子で紅茶を飲んでいるのが対照的だ。

「それがこうなったのよレオノーラ。恋は人を変えるわよね」

「う、嘘でしょう!?」

「嘘なんかつくものですか」

 私が嘘をついてなんの得があるというの? とベアトリクスはレオノーラを見る。レオノーラは「うっ」と言葉に詰まり、まるで母親に叱られたかのような顔をした。

「え、えっと……?」

 ベアトリクスとレオノーラのやりとりにエミーリアは困り果てている。二人を交互に見つめていつ声をかけようかと思っていると、レオノーラがエミーリアを見た。

「嘘なんでしょう!?」

「う、嘘ではありません……」

 どの話を嘘だと疑われているのかわからないが、エミーリアが話したことにはひとつも嘘はまじっていない。

 レオノーラは本当なのかとまだ問いただしたいような顔をしていたが、ベアトリクスに促されてゆっくりと腰を下ろす。そして頭が痛むのかこめかみに手を当てて項垂れていた。

(具合が悪い……というわけではないのだろうけど)

 なんと声をかければいいだろうか、とエミーリアは助けを求めるようにベアトリクスを見る。ベアトリクスは放っておきなさい、というように首を横に振った。

 しかしこのままというわけにもいかない、とエミーリアが口を開こうとしたときだった。


「レオノーラ様、リンハルト公爵夫人、エミーリア様。陛下がお越しです」


「陛下が?」

「……マティアスが?」

 傍に控えていた女官からそう告げられる。お忙しいはずなのに、と思いつつエミーリアが声を弾ませるのと、レオノーラが不思議そうに口を開いたのはほぼ同時だった。


 

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