24:婚約の真意

 エミーリアがどうにか頭を切り替えて部屋には戻ると、テレーゼが既に資料を揃え終わっていたところだった。城下に行ったハンナは当然まだ戻ってきていない。

「お借りできたのはこれだけでしたが、よろしいですか?」

 資料といっても量は少ない。ゼクレス伯爵領についてまとめられたものと、ここ数年の小麦の収穫高などが記載されたものなどといったところだろうか。

「十分よ、ありがとう」

 アイゼンシュタット王国の地理や各地についての歴史は、既にエミーリアの頭の中に入っている。

 ゼクレス伯爵領は以前は山から取れる宝石を産出していたが、二十年ほど前からそれはぱったりと止んだ。宝石が取れなくなったのだ。

 以後はそれまで細々とやっていた農業に力を入れたようなのだが、数字を見る限り領地を支える産業とまではいかない。土壌がそもそも小麦には向いていないのだろう。

(……でも、ゼクレス伯爵家は国に支援を求めてきた記録はない)

 形の上ではなんの問題もなく領地運営がされてきた、ということになる。間違いなく税収は減っているはずなのだが。

(足りない分をゼクレス伯爵家が補填してきた、ということかしら)

 それまでは宝石の産地として有名だった地だ。その領主であるゼクレス伯爵家も、資金はあったのだろう。

 おそらく農業に本腰を入れ、しばらく補填して耐えれば軌道に乗ると考えたのではだろうか。

「……この様子だと、たぶんゼクレス伯爵家はギリギリの状態ね」

 宝石が無限に湧いてくることがないように、お金だって無限ではない。

 もちろん、うまくいく可能性もあったわけだから一概に愚かだとは言えない。しかし実際は農業はうまく軌道に乗らず、おそらくゼクレス伯爵家の資金も尽きかけている……あるいは、既に尽きて借金をしている。

 ゼクレス伯爵領は先日の嵐の被害が農作物に出ている可能性がある。そうなるとゼクレス伯爵領にはかなりの痛手だったかもしれない。

(たぶん、資金援助のためにリーグル伯爵家との縁談が持ち上がった、と)

 デリアが以前言っていたように、リーグル伯爵家は金銭にはかなり余裕がある家だ。豊かな領地に加え、伯爵自らが事業を立ち上げて見事成功しているのだ。

 ここまで情報を整理して、エミーリアは眉を寄せた。

 おかしいのだ。

「この縁談、リーグル伯爵家はなんの得もしないのよね……」

 家格も同じ。むしろ相手は落ちぶれかけている。野心を持って娘を政略結婚させようというのなら、ゼクレス伯爵家には嫁がせたりしないだろう。宝石がとれていた頃ならまだしも、今は何も利点がない。

(それに、リーグル伯爵は本当にデリアを政略結婚させるつもりなのかしら……)

 エミーリアはあまりリーグル伯爵と顔を合わせることはないが、しかしひとつだけ知っていることがある。それがどうにもデリアの主張と噛み合わない気がするのだ。

 ううーん、と頭を捻っているところで、ハンナが戻ってきた。

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ハンナ。何か分かった?」

「ええ、けっこういろいろと」

 手応えあり、という顔でハンナが頷くので、エミーリアはテレーゼに三人分のお茶の準備を頼んだ。主従であってもたまには膝を交えてお茶を飲んでもいいだろう。

 テレーゼがお茶を持ってきてくれるまでの間にも、ハンナは城下で仕入れていた情報をエミーリアに話す。

「まず、オリヴァー様のもとに女性がやって来たのは本当です。街中で大きな声で言い合っていたら目立ちますからね。お店の人が目撃してました」

 女性の名前はどうやらパウラというらしい、ということまでメモしてきている。

「ただならぬ様子だったそうなので、おそらくヘンリック様のおっしゃっていたことは間違いではないと思います。それと、ゼクレス伯爵領の方と何人かお会いできたので、オリヴァー様の評判もお伺いしました」

「え? ……そうなの? よく見つかったわね?」

 そんなに都合よく見つかるとは、とエミーリアは不思議そうに首を傾げた。

「陛下が土砂崩れや橋の再建のために力仕事ができる方を周辺から募っているようですよ。ゼクレス伯爵領からはけっこうな人数の男性が来てました」

(そ、そうだったの……!? 陛下はいつの間にそんな手配をしたのかしら……)

 知らない間にそんなことが、とエミーリアは驚いた。婚約者とはいえまだ王妃ではないのだからとあまり口出ししないようにしていたので、仮執務室へ行ってもあまり詳しい話はしていないのだ。

「オリヴァー様は領民からの評判も悪くないですね。よく領民の話を聞いてくれるんだとか……まぁそこでまた恋人の話が出てきましてね」

「あら」

 恋人、という単語にエミーリアは目を光らせた。現状、一番気になるところはやはりオリヴァーの本命らしき女性のことである。

「恋人のパウラさんは商家のお嬢さんらしいですね。以前からオリヴァー様とは親しくされていて、はっきりとは明言していないようですが……まぁ、皆二人が付き合っていると思っているみたいです」

(領民からすら認知されている恋人って……)

 そんなところに突然他の女性が嫁いだら、修羅場にしかならないのでは? とエミーリアは表情を曇らせた。これではまるでデリアが小説に出てくる恋敵役みたいではないか。

「……ハンナさんは間諜になれるのではないですか……?」

 お茶を持ってきたテレーゼが感心しつつも驚きを隠せない顔で呟いた。正直、エミーリアもそう思う。

「公爵家の侍女たるもの、このくらいの調べ物は朝飯前です」

「とても頼りになるけど、でもそれはハンナだけだと思うわ……」

 堂々と胸を張るハンナにエミーリアは苦笑する。公爵家の侍女が誰しもがこんなことまで出来るはずがない。

「ともかく、オリヴァー様……ゼクレス伯爵家は資金援助が目的でこの縁談を進めているのよね。そこがどうにかなれば、デリアと婚約する理由はないんだわ」

 問題はリーグル伯爵家だ。

 どうしてこの縁談を進めるのか。庶民育ちのデリアを厄介払いしたいのなら、お金をかけずとも相手はいくらでもいるはずだ。……デリアが言っていたように、どこかの後妻にでもすればいい。

(デリアを説得したくても、そちらの情報がなければ動けないわ)

 リーグル伯爵に真意を聞きたくても、ここは王都ではなくハインツェルだ。そして、ここで解決しなければおそらくデリアの縁談はトントン拍子に進んでしまう。


 エミーリアが頭を悩ませていた日の翌日。

 まるでエミーリアの願いが通じたかのように、リーグル伯爵がフェルザー城へとやってきた。


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