7:思いがけぬ遭遇

 ハインツェルまでの道のりは大きな問題もなく無事に進んでいる。

 このまま順調に行けば、エミーリアたちは今日の日暮れ前にハインツェルに到着する予定だ。

 しかし順調なのは良いことだと安心していたところで、ぴたりと馬車が止まった。何かが横切って急停止したとか、そういう雰囲気ではない。

「……なにかあったんでしょうか?」

 エミーリアは首を傾げながらマティアスを見るが、マティアス自身も覚えはないようだ。休憩をとるようなタイミングでもない。

「陛下、この先で故障した馬車が道を塞いでいるようです」

 先行する騎士からの報告があったらしい。

 道はどうにか馬車同士ですれ違うことができなくもない幅はあるらしいが、進む先に異変がある以上、騎士たちはマティアスに報告しなければならない。

「どうやら馬車に乗っていたのは女性一人きりのようで」

「まぁ……」

 女性一人で移動中に馬車が故障したとなれば困っているだろう。御者がどうにかできる程度の故障であればいいのだが。

(……困っているのなら声をかけた方がいいわよね)

 エミーリア一人ならば迷うことなく声をかけるのだが、いかんせん今はマティアスも一緒なのだ。勝手な判断をするわけにはいかないし、相手も国王が突然現れたら驚くだろう。

「このまま進んで直接話を聞こう」

「かしこまりました」

 マティアスの決断に、騎士は異論を唱えない。当然のことであるかのように微笑み頷くだけだ。



 少し進んだ先で、馬車が止まっていた。

 その傍らには御者があれこれ動き回っていて、少し離れた場所に一人の少女が立っていた。

「……デリア?」

馬車から降りたエミーリアは、そこにいる少女を見て目を丸くした。黒い巻き毛の、気の強そうな顔立ちの少女が名前を呼ばれて振り返る。

「エミーリア?……こんなところで会うなんて偶然ね」

 苦笑いを浮かべるデリアに「そうね」とエミーリアは答える。まさかハインツェルまでの道中で友人と会うなんて、想像もしていなかった。

「デリア一人なの?」

「……ええ、ちょっとね」

 エミーリアとデリアが話している間、騎士たちが故障したリーグル伯爵家の馬車を確認している。御者ではどうにも出来ずに困っていたらしい。

「陛下、ありゃダメですよ。軸がイカれたみたいなんですぐにはなおらないでしょう」

「……そうか」

 ヘンリックからの報告に、マティアスは小さく答える。

 あと二時間もすれば日が暮れる。果たしてそれまでにこの馬車が修理できるかというと、なかなか難しいだろう。

「私のことはお気になさらず、どうぞ先に進んでください」

 どうしようか、という周囲の空気を感じ取ったのか、デリアが本当になんでもないことのように笑った。

 しかしデリアが連れているのは御者一人。護衛もいなければ、身の回りの世話をするための侍女もいない。

 いくら平気だと言われても、こんなところに令嬢を置き去りにしていくのは気が引ける。

「その、デリア一人ならわたくしたちの馬車にも乗れるわ。行先がハインツェルなら同じだもの、同乗してもらっても……いいですか?」

 後半はマティアスに向けて、エミーリアは問う。つい先走ってデリアに提案しかけたが、この場で決定権があるのはマティアスだ。

「ああ、もちろんかまわない」

 マティアスは鷹揚に頷いた。

「ですが……」

 デリアが躊躇うな素振りを見せるが、デリアの声を遮るようにヘンリックは口を開いた。

「ごちゃごちゃ言ってないで早くした方がいいんじゃないですかね」

「なっ……」

 呆れたような口調のヘンリックに、デリアが腹立たしげに声をあげる。しかしヘンリックは空を見上げて続けた。

「向こうに厚くて黒い雲がある。あと一時間もせずに雨が降ると思いますよ」

 エミーリアもつられるようにして空を見る。気がつけば空は薄く曇り始めているし、ヘンリックの指摘通り少し遠くには厚い雲がある。雲の流れが早いからあの雲もすぐにやってくるだろう。

「それならなおのこと、ここに置いてはいけないな」

 マティアスの一言に、反対する声はない。デリアも申し訳なさそうな顔をしながらも「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。




 デリアも同乗した馬車は改めてハインツェルに向けて動き出す。

 向かいにはマティアスが、エミーリアの隣にデリアが座っているのだが、どうやらデリアは少し緊張しているようだ。

(ガーデンパーティーのときは普通に陛下とお話していた気がするけど、やっぱりデリアでも緊張するのかしら)

 マティアスは貴族の生まれであっても、そう気安く話しかけられる存在ではない。ましてデリア個人はマティアスと話すような機会はガーデンパーティーのときまでなかったはずだ。

 それなのに馬車という動く密室の中に国王陛下と一緒にされれば、いくら気が強くいつもハキハキしているデリアでも緊張するというものだろう。

「そういえば、デリアはどうして一人でハインツェルに向かっていたの?」

 馬車の中の少し気まずそうな空気をどうにかしようと、エミーリアは口を開いた。マティアスはデリアに気を遣っているのか興味がないのか、特に話しかけるつもりはないらしい。

(陛下が黙っていらっしゃると余計に話しかけにくい雰囲気になるのだけど、さすがに言えないわ……)

 せめて自分だけでもいつも通りに振る舞えば、デリアの緊張も和らぐだろう。

「ハインツェルが目的地なのではないのよ。ハインツェルを通過して、その先のゼクレス伯爵家に行く予定なの」

「……ゼクレス伯爵家に? どうして?」

 エミーリアの記憶が確かなら、リーグル伯爵家とゼクレス伯爵家は縁戚関係にはないはずだ。それに、これといって共通点はない。わざわざデリアが足を運ぶ理由がエミーリアには思いつかなかった。

「……婚約する予定なの。オリヴァー・ゼクレス様と。だから今回は、婚約を決める前の最初で最後の顔合わせってところかしら」

「こ、婚約!?」

 思わず大きな声を上げて、エミーリアは腰を浮かせる。

 ガタン、と馬車が揺れて、体勢を崩したエミーリアをマティアスがすかさず支えた。

「急に動くと危ないだろう」

「も、申し訳ありません。驚いてしまってつい……」

 マティアスの腕にしがみついて、エミーリアは体勢を整える。

(う、うっかりときめいている場合じゃないわ……!)

 しかし思いがけずマティアスの腕のたくましさを体感して、ついどきどきしてしまう。きっもエミーリアの体重くらいではびくともしないだろう。

「それほど驚くことでもないでしょう? 私だって婚約するし、結婚だってするわよ」

「そ、そうだけど……!」

 けろりとした顔のデリアに、エミーリアがマティアスにしがみついたまま声を上げる。

 デリアはエミーリアよりも一つ年上だし、婚約してそのまま結婚――というのも何一つ不思議なことではない。

(で、でも、デリアとヘンリック様って訳ありなのかなという感じだったし、少なくともヘンリック様はそういうことなのかと思っていたんだけど……!?)

 もはや言うまでもないことかと思うが、エミーリアの愛読書はロマンス小説である。幼なじみというものは物語においては恋に発展しやすい関係だし、それにデリアのように庶民から貴族になった子が騎士に成り上がった相手と恋に落ちるなんて素敵すぎるのでは!? とエミーリアは思ってしまうのだが。

(……デリアはいつも家のためになる相手と結婚すると言っていたし、おかしなことではないのよね)

 きっとこの場でエミーリアがするべきなのは、友人の婚約を祝福することなのだ。

「……おめでとう、デリア」

「ありがとう」

 無事に決まればいいんだけど、と苦笑するデリアは、なんだかあまりしあわせそうには見えなくてエミーリアはそっと目を伏せた。


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