16:不意打ちに対処できない
エミーリアからの返信はすぐに届いた。
マティアスはそのことにほっとしながらも、ではなぜ今までの手紙は途絶えてしまったのだろうと考えてしまうと胸焼けするように気持ち悪くなる。
しかもガーデンパーティーがあるなら、エミーリアはまた次の予定もキャンセルするだろうと踏んでいたのに、むしろ会って話がしたいときた。
エミーリアが考えていることがよくわからない。避けられていたのではなかったのか。ただのマティアスの勘違いだったのか、それとも避けるのをやめたのか。
「……よく分からん」
唸りながらぽつりと零すマティアスに、ヘンリックが笑いながら答えた。
「女心を理解するのは無理無理」
諦めろ、とヘンリックはさらに追い打ちをかける。女性の扱いに慣れているヘンリックでさえわからないのなら、マティアスにわかるはずがないとは思うのだが、釈然としない。
「ガーデンパーティー、参加してくれるっていうんなら良かったじゃん?」
「……彼女ならこういうことは断らないだろう」
よほどのことがない限り、ガーデンパーティーに関しては断られないだろうと思っていた。
へぇ、とヘンリックは興味深そうに笑う。
「シュタルク嬢のこと、けっこう信用してる?」
「そうだな、信用はしてる」
個人的な感情は別として、エミーリア・シュタルクという公爵令嬢の評価は固まりつつある。彼女は貴族の娘にあるまじき行為はしないはずだ。
「信用は、ねぇ……なんとなーくわかってきた。おまえさ、シュタルク嬢が自分の嫌いなタイプの女性かもって疑ってるだろ?」
「……うるさい」
「図星か」
答えにくい問いかけに対してマティアスはいつもこう答えるのだ。そんなことはヘンリックにはもうお見通しだった。
「……おまえはどう思う」
珍しくマティアスが意見を求めてきたので、ヘンリックはお、と目を丸くした。女性についてはヘンリックに助言などは求めてこないのだが。
それだけ迷走しているということだろうか、とヘンリックは笑う。
「俺に聞いたら反則だろ? 自分で考えたらいかがですか国王陛下」
この手の質問は、誰しもがただ背中を押してほしいから他者に聞いてくるのだ。
マティアスも同じで、彼の中でエミーリアはおそらくこういう女性だという答えは見つけているはず。ただ確証を求めているのだろう。
恋に悩む青少年ならいざ知らず、もうとっくに成人した大人の男を甘やかす理由はない。
しかし、む、と眉間に皺を寄せるマティアスに、ヘンリックは仏心を出した。よほど行き詰まっているらしい。
「一度シュタルク嬢を名前で呼んでみたらいい。きっと、すぐに答えは出ると思うけど?」
「名前?」
ヘンリックの優しさがマティアスには伝わっていないらしい。何を言い出すんだ、という顔をしている。
「だっておまえ、一度も呼んだことないだろ?」
少なくともヘンリックが見ているところでは、マティアスは一切エミーリアを名前で呼ぶことはなかった。
「呼ぶような機会がなかっただけだ」
「いやいや、そんなもんいつでもあっただろ」
呼ぶ必要がない、ということは呼ばない理由にはならない。君、と呼びかけていたところを名前にすればいいだけの話だ。
「呼んでみりゃきっと、シュタルク嬢が計算なのかおまえに惚れてるのかすぐわかるさ」
そんな簡単なものだろうか、とマティアスは訝しげな顔をしながらも心の内に書きとめておくのだった。
*
マティアスから手紙が届いて数日。
気づけばあっという間に久々にマティアスと会う日になってしまった。
そのせいで、朝から緊張してエミーリアは落ち着かなかった。
薄いブルーのドレスは初夏にはぴったりだし、清楚で品があった。髪は結い上げて細い首筋を惜しげもなく晒している。
「ねぇハンナ、おかしなところはない?」
くるくると何度もまわってみて自分でも確認するのだが、それでも不安は消えない。
「ありませんよ。お嬢様は今日もたいへん可愛らしいです」
ハンナの言葉にありがとう、と笑ってエミーリアはようやく馬車に乗り込んだ。
それと同時に、見た目を気にするなんてどうしてだろうと思う。
未だにマティアスに対する気持ちは分からないままだ。以前のように恋していた頃はそれはもう好かれるために必死だったけれど。
(わたくしは今もまだ、陛下に好きになってほしいって思っているのかしら)
分からない。
この数週間避けていたのも、もしかしたらはっきりさせてしまうのが怖かったからかもしれない。
(平静に、いつものエミーリア・シュタルクになればいいのよ。そういうのは得意でしょう、エミーリア)
本音を隠して相手に合わせる。貴族の娘としては日常のことだ。意識するまでもない。
王城にたどり着くと、エミーリアは再び庭園に案内された。
この間のように庭を散策するのだろうかと思ったが、すぐに東屋へ通された。
「……久しぶりだな」
マティアスは既に待っていた。目が合った途端に、エミーリアの心臓が驚いて跳ねる。
「お、お久しぶりです」
声が裏返ってしまったことに恥ずかしくなった。なんて変な声を、と泣きたくなる。
(ぜ、全然平静になれない……!)
マティアスに近づくだけで動機が激しくなるし、妙な汗は流れてくるし、呼吸もままならない。とても落ち着いてなんていられなかった。
「きょ、今日もお庭なんですね」
東屋に備え付けられた椅子に腰掛けながらエミーリアが何か話題をと口を開いた。
婚約者同士、交流を目的として週に一度会っていたが、そのほとんどは応接間で話して終わりだった。
「……天気がいいからな」
「そうですね。ガーデンパーティーの日も良いお天気だといいのですが」
リンハルト公爵夫人が力を入れているパーティーだ。雨でせっかくの庭が堪能できないなんてなったら寂しいではないか。
「伯母上なら気合いでどうにかしそうだが」
疲れ切った表情でマティアスがそう言うので、エミーリアは姉から仕入れたリンハルト公爵夫人の情報を思い出す。
先王でもあるマティアスの父の姉。つまり嫁ぐ前は姫として何不自由なく育った人だ。
流行を生み出す人と言われるほど新しいものが好きで、今でも女性たちのおしゃれにおいては彼女の発言は一目置かれている。
強烈な人だけれど、怖がるような必要はないわ。とても素敵な、良い方よ。
そう言ったのは姉のコリンナである。しかしあの姉に強烈と言わせるということはかなりのものだとエミーリアは思った。
つまり。
「……陛下は、リンハルト公爵夫人が苦手なんでしょうか」
言葉にしてから、しまった、と口元を手で覆う。しかし言葉を放ったあとでは意味がない。
(軽率に聞くようなことではなかった)
マティアスの立場では、たとえ苦手だろうが嫌悪していようが考えなしに口に出すことはできい。
「そうだな、伯母上に限った話ではないが」
しかし思ったよりもあっさりとマティアスが頷いたので、エミーリアはえ? と目を丸くした。
「気の強い女性はあまり親しくしようとは思わないな」
「……そう、なんですか」
(これはもしかして、陛下の好みを知るチャンスなのかしら……)
いやしかし、今日はリンハルト公爵夫人のことを聞くために来たのだから、好みを探っている場合ではない。
「リンハルト公爵夫人はどんな方なんでしょう?」
姉の意見だけでは判断できない。きちんとマティアスからも話を聞いておかなければ、とエミーリアはメモをとる勢いで問いかける。
マティアスはしばし考えたあとで、ゆっくりと口を開いた。
「気の強い、とは言ったか。自由奔放、傍若無人。……とはいえ悪い人ではないんだが、個性の強い人ではある」
「……それは、お会いするのが楽しみです」
「無理に言葉を選ばなくてもいいぞ」
慎重に言葉を選んだエミーリアに、マティアスはくすりと笑った。
「向こうが……君に会いたいと言っているのだから、妙に気負う必要はないと思うが」
妙に空いた間に首を傾げつつ、エミーリアは「そうはいきません」と生真面目に質問を続ける。
公爵夫人の好きなものは何か、手土産を持っていくのならどんなものがいいか、公爵夫人自慢の庭はどこを褒めればいいか、など。マティアスが呆れるほどの勤勉ぶりだ。
「……細かなところまで調べておくんだな」
感心するようで、どこか探るようなマティアスの呟きにエミーリアは力強く頷いた。
「相手に合わせることも必要ですもの。わたくしの叔母も癖のある方なので、いつもお会いする時はドレスから小物まで叔母の好みに合わせるんです」
相手が女性なら、その方がちくちくと小言を言われずに済むし、男性なら気持ちよく褒められる。悪いことはない。
「では……君の好みは?」
「わたくし、ですか?」
どうしてそんなことを聞くのだろうとエミーリアは不思議に思う。マティアスがエミーリアに質問してくるなんて、今まで数えるほどしかなかった。
まして彼女の好みなんて、興味もなさそうだったのに。
「それは……その」
説明しようと考えて、エミーリアはじわじわと赤くなっていく。
「……陛下とお会いする時は、わたくしは自分の気に入ったドレスで、来て、います……」
最後の方は消え入りそうなほど小さな声になってしまった。恥ずかしくて穴があるなら入ってしまいたい。
(だって、陛下の好みを知らなかったから……!)
それならば、エミーリアの好きなドレスを着るしかない。ドレスはいわば鎧のようなもの。気に入ったものならば、それだけで背筋がしゃんと伸びる。
真っ赤になって俯き、もごもごと口籠もる様は公爵令嬢としてはあまり褒められたものではない。
しかしそんなエミーリアに、マティアスはふ、と笑みを零した。
「君は、すぐに赤くなるな。エミーリア」
くすくすと、柔らかな笑みを浮かべてそう告げるマティアスに、エミーリアは釘付けになった。
はくはくと口を開いては閉じ、酸素を求めるがいっこうに肺は満たされない。赤かった顔はさらに真っ赤に染まって、耳どころか首まで赤く染まっている。
恥ずかしいのか嬉しいのか、よく分からずに涙まで滲んできた。
(い、い、いま、いま、名前ーーーー!!)
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