17:やさしいミルクティー色

 これでもかというほど真っ赤になる顔からは、溢れるほどの好意しか伝わってこない。

 涙を滲ませたエミーリアの緑色の瞳に、マティアスの記憶が刺激される。


 あれは、もう十年近く前のことだった。




「こんな髪の色、もういや。もっときれいな色だったらよかったのに。みんなわたくしの髪は地味できれいじゃないってばかにするんだもの」


 植木に隠れながらめそめそと泣いている小さな女の子がいた。声をかけると、かすれた声で自分の髪が嫌いだと言ってまた泣く。

 頬を膨らませたその姿に苦笑しながら、手近なところに咲いていた薔薇を摘んだ。棘がないことを確認して、女の子の髪にそっと差し込む。

 薄茶の髪に白い薔薇はよく似合っていた。


「君の髪は、やさしいミルクティー色をしている」


 ぱちぱち、と女の子は瞬きを繰り返してこちらを見上げてきた。

 その瞳は、緑色。深い色ではなく淡いやさしい色合いの瞳だった。

 女の子を作り出しているそれらの色彩は、やさしい春の色をしていた。包み込むようなあたたかさと、やわらかなぬくもり。

「……ミルクティー?」

「ああ。嫌いか?」

「いいえ。わたくし、まだ子どもなので、紅茶はミルクを入れるのが好きです」

「そうか」

 それは良かった。嫌いなものにたとえても嬉しくないだろう。

 いつの間にか、女の子の涙は止まっていた。髪に飾られた薔薇にそっと触れながら女の子はふふ、とくすぐったそうに笑う。

「ミルクティー。ミルクティー色。わたくしの髪は、そんなすてきな色ですか?」

 首を傾げ問いかけてくる姿は無邪気で可愛らしい。マティアスが苦手とする女性の媚びた仕草とは似ても似つかない、それは単純な確認だった。

「そう言ってるだろう?」

 ミルクティー色と言い出したのはこちらなのだから。

 いささか愛想のない返答だったなと思ったが、女の子はマティアスの無愛想さに怯えることもなく嬉しそうに笑う。

「ありがとうございます。わたくしはもう大丈夫です」

 親のところへ戻ります、と女の子は立ち上がる。

「大人のいるところまで案内しようか」

 広い庭園だ。おそらくガーデンパーティーの会場から迷い込んだんだろうが、女の子には帰り道がわからないだろう。

「おきづかいありがとうございます。ですが、ご心配なく。道はおぼえておりますので」

 しっかりした子だ。泣いていた名残なんてどこかへ吹き飛ばして、一人前の淑女のようにしゃんとしている。

 マティアスがその背を見送っていると、女の子はくるりと回るように振り返る。


「ありがとうございます。あなたのおかげで、わたくしは自分の髪が好きになれました!」


 ああ、そうか。

 あの時の女の子がエミーリア・シュタルクだったのだ。


 自分の髪が嫌いだと泣いて、マティアスの思いつきの慰めに喜んで、自分の足でしっかり立ち上がって去って行く。

 マティアスが知るエミーリアは、どれも確かにエミーリアだった。ただマティアスが、その内側にいた小さな女の子に気づかなかっただけだ。




 エミーリアは顔を赤く染め上げたまま。しどろもどろになりながらも、どうにか口を開いた。

「え、あ、あの、な、なまえ……」

 その声はあまりにも小さくか細いものだったが、マティアスには聞こえている。エミーリアの動揺が手に取るようにわかって、マティアスはくすくすと笑う。

「婚約者をシュタルク嬢と呼ぶのは変だろう?」

 それではあまりにも他人行儀だ。未来の妻にむかって、とこれも口にしたらエミーリアは恥ずかしがるだろうか。

「そ、それは、そうかもしれませんが」

 しかしマティアスは今まで一度もエミーリアのことを名前で呼ばなかった。意図していたのかどうかはエミーリアには分からなくても、呼ばれなかったという事実は確かにある。

「嫌ならやめるが」

「いっ……嫌では、ないです」

 エミーリアは反射的に声を上げ、すぐに自分でも落ち着きのないことに気づいて、声量を落とす。

「……ですが、今日はもう呼ばないでください」

 頬はまだ赤く、しかしエミーリアはマティアスと目が合わないように俯きながらそう告げた。

 からかいすぎただろうか。こういうときの匙加減はいまいちわからない。ヘンリックならうまくやるだろうに、と思いながらマティアスは頷いた。

「……わかった」

 呼ぶなというなら呼ばないほうがいいだろう。いやしかし、名前を呼ぶたびに動揺するようでは結婚後はどうするつもりなのだろうかと心配になる。

 エミーリアは何度か深呼吸して、平静さを取り戻したようだった。切り替えが早いのは特技なのだろうかとマティアスはつい観察してしまう。


 絶世の美女とはいかずとも、愛らしい顔立ちをしていると思う。なるほど、十年前の自分はなかなかよいたとえを使ったものだ。

 ミルクティー。

 まさに、彼女はそんな雰囲気だ。

 華やかさはなくとも、安らぎとあたたかさがある。ほっと息をつけるやさしさに包まれているのだ。


「……陛下?」

「どうした」

「……ええと、わたくしのどこかおかしなところでも?」

「なぜ?」

 エミーリアにはおかしなところなどひとつもない。髪の先からつま先まで隙がないのだからさすがと言うべきだろう。

「その……気のせいでなければ、陛下がわたくしのことをじっと見ていらっしゃるので」

 エミーリアが恥ずかしそうに俯いて答えるので、マティアスはようやく合点がいった。本人に気づかれるほどじっくり見ていたらしい。穴が開くほどとはこういうことだろうか。

「悪い、別におかしなところがあったわけではないんだ」

 ただ、なんとなく目が離せなくなっただけだ。

 エミーリアは今までとは違うマティアスの様子に困惑しながら首を傾げている。


 その後はぽつぽつと言葉を交わして、二人の逢瀬は終わる。

「それでは陛下。またガーデンパーティーで」

「ああ」

 見とれるような優雅さで礼をするエミーリアに、マティアスは微笑む。

「……君に会えるのを楽しみにしている」

 途端にエミーリアはぼんっと火が吹きそうなほど赤くなって、先ほどまでの優雅さはどこへやら。

 二、三度息を吸って吐いてを繰り返して、エミーリアはようやく口を開いた。

「……わたくしも、楽しみにしております」


 ああ本当に、彼女はすぐに赤くなる。


 マティアスは執務室に戻ってからもついエミーリアの様子を思い出してくすりと笑った。

 マティアスに拒絶反応が出るほど香水の匂いがきつかった日のエミーリア。あれはつまり、王立図書館にやってくる前に会っていた人間の好みに合わせたということなのだろう。

 その一つの謎が解けただけで、随分とすっきりした。

 それに加えて十年前の記憶もある。エミーリアの人柄を理解するにはこれだけで十分だった。

「ご機嫌ですねぇ陛下。名前を呼んでみるのは効果はあったんですか」

 近頃の渋い顔とは打って変わって、機嫌が良さそうなマティアスにヘンリックが気づかないはずがなかった。にやにやと笑いながら探りを入れてくる。

「おまえに礼を言うのは癪だが、効果はあった」

「お礼くらい素直に言ってくださいよ。まぁそれなら俺の心労も減りますね」

 良かった良かったと笑うヘンリックに、マティアスは真顔で問いかけた。

「おまえに心労なんてあったのか」

「陛下? 俺も人間ですからね? これでもけっこう繊細ですからね?」

 どこが繊細だ、とマティアスは呆れながら溜まっている仕事を片付け始める。ガーデンパーティーに参加するために前倒しできることはやっておきたい。

「ま、シュタルク嬢とうまくやれているならいいですよ。未来の国王夫妻の仲がいいなら国も安泰って話ですしね」

「それは……」

 そうだな、と同意しかけてマティアスは言葉を飲み込んだ。

「……仲はいい、のか?」

 そういえば、今日はもう名前を呼ばないでほしい、と言われた。

 彼女からの手紙は、なぜ突然こなくなったのだろう。エミーリアがここしばらくマティアスを避けていたのは?

 ふと気づけば解けていない謎はそのままで、さらに謎も増えているようで、マティアスは眉間に皺を寄せた。

 最後の手紙を読めば謎は解けるだろうか。しかしそれはまるでパンドラの箱のように思えて、封を切るのがなんだか恐ろしくもある。

 マティアスの百面相に、ヘンリックは思わずふきだした。

「今のおまえ、好きな子に振り回されてる恋するただの男にしか見えないけど?」

「……うるさい」

 否定しないんだ、という追撃をヘンリックは飲み込んで、友人の恋をのんびりと見守るのだった。


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