4:恋はなかなか進まない
エミーリアとマティアスがこうして会うのも、今回で五度目になる。
毎度のようにエミーリアが何かしらお菓子を持参してくるので、毒味役のヘンリックが同席するのも当たり前になった。
「……それにしても、陛下はたくさん召し上がるんですね。やはり男性だからでしょうか」
ぱくぱくと、マティアスはいつもたくさんのお菓子を食べている。それを見ているだけでエミーリアはお腹いっぱいになってしまうくらいだ。
今も一口ミルクティーを飲むだけで、お菓子には手が伸びない。
「あ、いやいや。陛下は面倒くさがって昼食を食べなかったから、その代わりにお菓子を食べているんですよ」
時間が惜しいとかなんとか言っていつも食事は抜きがちなんですよねぇ、とヘンリックがエミーリアに告げ口する。
「ヘンリック、うるさい」
「いやだって本当のことでしょ」
ヘンリックと話しているマティアスは少し気安く、エミーリアと二人で話していたのでは見せない表情をするのでエミーリアはそんな二人のやり取りを見るのは嫌いではなかった。
「……ご多忙なのは重々承知しておりますが、陛下の代わりになる方などいないのですからご自愛くださいね」
あまり口うるさく言うのは鬱陶しがられるかもしれないので躊躇われるが、マティアスの身を案じればこそ、エミーリアは何も言わずにはいられない。
「そうですねぇ、こんなにかわいい婚約者に心配かけたらいけませんよねぇ」
にやにやと笑うヘンリックの褒め言葉に、エミーリアは喜ぶような様子はまったくない。マティアスはそれが少し意外で、わずかに目を開いた。
マティアスが知る限り、ヘンリックに綺麗だとか、かわいいだとか言われた令嬢はたいてい嬉しそうに頬を染めていたものだ。
「ふふ、ヘンリック様は噂通りの方ですね」
エミーリアはといえば、平然としていつものようにゆったりと微笑むばかりだ。
こういったときのエミーリアは、十七歳とは思えない落ち着きがある。
「おやおや、良い噂だといいんですが」
「お聞きになります?」
「イイエ。遠慮しておきます」
ろくな噂じゃなさそうだ、とヘンリックは肩を竦めた。
「わたくしはそれほど情報通というわけではないのですけど、それでもヘンリック様のお名前はよく聞きますね」
ヘンリックはマティアスの近衛騎士というだけでも注目の的になる存在だ。
エミーリアの友人たちにもヘンリックとお近づきになりたいと言っている者は多かった。
「ご令嬢方は仲良くお茶会をしているイメージでしたが、シュタルク嬢も?」
こうして婚約者同士で会っているというのに、エミーリアに質問するのもほとんどがヘンリックで、マティアスといえばたまに相槌を打ったりする程度だ。
「ええ、もちろん。ですがわたくしはあまりお茶会を開いたりはしませんし、必要なぶん参加するくらいでしょうか」
貴族の娘として、お茶会は情報交換の場として重要だ。しかしそれは同時に腹の探り合いでもある。
親しい友人と気兼ねなくお茶をするのはもちろん好きだが、そういった女の戦場はあまり好きではない。
(好きではないと、避けてもいられないから困ったものだけど)
「それでは、普段は何をなさっているんですか」
「読書が多いです。ロマンス小説などをよく読んでいて……」
エミーリアの声がだんだんと小さくなった。話してしまってから子どもっぽいですよね、と恥ずかしそうにしている。
(ヘンリック様と話しているとついつい話しすぎてしまうから、もう少し気をつけないと……)
ただでさえマティアスとは十歳年齢が離れているのだ。あまり子どもっぽいことを言って恋愛対象から外されてしまってはいけない。
しかしヘンリックは「ああ!」と納得するように笑った。
「ご令嬢たちに人気ですよねぇ」
そんなことも知っているのか、と思いながらエミーリアは続けた。最近読んだ本はなんだっただろうと思い返す。
「あ、でも冒険譚なども読むんですよ! あとは、そうですね……近隣諸国の文化や歴史、語学書など」
後半は趣味というよりは勉学のための読書だ。アイゼンシュタット王国の歴史などは既に頭に入っているので、王妃となってからのことを考えて周辺諸国のことを学び始めている。
「さすがシュタルク家の完璧な令嬢ですね」
感心するヘンリックに、エミーリアは「そんな」と首を横に振る。
「完璧なんて、恐れ多いことです。わたくしにだって、できないことはあるんですよ? たとえば、スコーンを美味しく焼く方法を知りませんもの」
このスコーンみたいに、とにこにこと微笑みながら、まったく自惚れなどといった感情をエミーリアは見せない。むしろ謙遜がすぎるほどだ。
「この間のチョコレートについても調べたいのですけど、うちの屋敷にある植物辞典にはそもそも原料のカカオについての記載はなくて……」
「あれは南国原産のものだから、王立図書館くらいにしか詳しい文献はないだろう」
ずっと会話に参加していなかったマティアスがふと会話に混じってきたことに驚きながら、エミーリアは嬉しくなって笑みを深めた。
(……陛下は話はしないけれど、ちゃんと聞いていてくださるのよね)
「王立図書館にはよく行くので、今度探してみます」
勉強のためには王立図書館が何かと便利だったので、エミーリアは令嬢にしては珍しく王立図書館によく行く。
「そうなんですか。それならついでに陛下に会いに来ればいいのに」
「え、そ、それは」
王立図書館は王城の一角にある。つまり王立図書館に来たのならマティアスは目と鼻の先にいるようなものだ。
ヘンリックの突然の提案に、エミーリアはそれまでの落ち着きなどどこかへやってしまったかのように慌て始める。
「なんの前触れもなく陛下にお会いしようなんて、そんな失礼なこと……」
頬を染めて目を伏せるエミーリアに、ヘンリックは何をそんなに遠慮するのかと不思議になる。
なんと言っても今や彼女はこのアイゼンシュタット王国の未来の王妃だ。ただの公爵令嬢ではない。
「いやいや、婚約者なんですからそれくらい誰も文句言わないと思いますけど」
「確かに突然来られても時間がとれるかわからないから困るが」
真顔のマティアスにヘンリックが慌ててつっこんだ。
「いやいや陛下、そこはいつ来てくれても平気だよって言うところですよ!?」
その二人の様子にエミーリアはくすくすと笑う。
「嘘をつかないのが陛下の良いところですね」
出来もしないことでエミーリアを喜ばせようなどとしない。それがエミーリアにはとても誠実に思えた。
「……王城に来てからでも、早めに知らせてくれれば少しは時間がとれるかもしれない」
こうしてゆっくりと話すことはできないだろうが、と付け加えたマティアスに、エミーリアはぱちぱちと目を瞬かせる。
(……それはつまり、約束がなくても会ってくださるってことよね?)
勘違いではないだろうかと不安になるが、ヘンリックがにこにこと「良かったですね」なんて言っているので、勘違いでも空耳でもないらしい。
ぱっとエミーリアが笑顔になる。
うれしくてうれしくて、足元はなんだかふわふわと浮いているような気分だった。
「でしたら陛下にお会いしたくなったときは、王城に来たらすぐに知らせます」
ふわりと微笑むエミーリアは、ヘンリックの目からするとまさに恋する乙女そのものだ。
*
エミーリアが帰ったあと、マティアスはいつものように執務室に戻った。日が暮れて、外に月が浮かんだ頃にエミーリアからの今日の手紙が届いた。
手紙には今日はありがとうございました、と丁寧にお礼が綴られていた。次にお会いできるのを楽しみにしておりますという言葉と、そしてやはり、マティアスの身を案じる言葉で終わっている。
「……どう思う」
手紙を読み終えると引き出しにしまって、マティアスはヘンリックに問いかけた。
「シュタルク嬢のこと? いい子だと思うけど?」
ヘンリックは正直に答えた。エミーリアのことは最初こそ何を考えているかわからなかったが、今では純粋にマティアスを慕っているのだと思える。
公爵家の令嬢にしては少し純粋すぎるのではと思うほどだ。かといってまったく無知というわけではない。知識はもちろんのこと、あんなにふんわりとした雰囲気がありながらもしっかりと女の戦場を知っているようだった。
「空気の読み方が上手い子だな。あれは計算じゃなくて身に染み付いてるって感じだ」
マティアスの気に障るようなことは絶妙に避けている。それはここ数回会うたびにマティアスを観察して知ったのだろう。息をするほど自然に。だから彼女と一緒にいるのは思いのほか居心地がいい。
マティアスもそれはわかっていた。エミーリアという少女は、相手が不快な思いをしないように振る舞っている。
「……そんな彼女が、どうして『恋愛結婚がしたいんです』になるんだか」
マティアスにはそれが不思議でしかたない。
あの一件さえなければ、エミーリアはマティアスにとって理想的な婚約者といえた。
「そりゃ、生まれたときから公爵令嬢なわけだし。あの性格からして自分の結婚が政略に絡むもんだと小さい頃から理解していただろうさ」
でも、とヘンリックは続ける。
「まだ十七歳の女の子としては、恋に夢を見たくもなるんじゃねぇの」
かといって定められた婚約者以外の男を探すほどの勇気もなく。
考えに考えた結果があれなのだろう。
いささか突拍子もない行動だとは思うが、それ以降のエミーリアの振る舞いは常識的なものだ。
「いいんじゃねぇの、少しくらい付き合ってやれよ」
ヘンリックは面白がっているのだろう。しかしいつもに比べると少し真剣味を帯びた目をしているので、ふざけているわけではないらしい。
「可愛いもんだろ、なんでも手に入る公爵家のご令嬢が望んだものが、恋をしましょうっていうんだからさ」
女の子のわがままを叶えてやるのも男の甲斐性ってもんだろ?
そう告げる友人に、マティアスは深くため息を吐き出すのだった。
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