群青と弁当箱

橘おむれつ🍳

第1話 卵焼きの約束

「ねえ中西」

一時の解放。つまりは昼休みである。教室が喧騒に包まれる中、僕らはいつも窓際で昼食をとっている。そんなある日、彼女は気だるげそうに僕の名を呼んだ。


「何さ」

「いや、その卵焼き」

「卵焼きがどうした」

「美味そうだなぁと」


そう呟く彼女の弁当箱は気づけばもう空っぽだ。ご飯の上にかかっていたのりたまの一欠片も見つからないほど、それはもう綺麗に。


「やらんぞ」

「無駄な抵抗はやめて大人しく投降しなさーい」


彼女の左手に握られた水色の箸はパチッ、パチッと音を鳴らし僕の卵焼きに向かって鎌首をもたげている。


「等価交換だ。卵焼きをやる代わり、それに見合う対価を提示してくれ」


今の彼女は獲物を狙う蛇の如き様相だ。平和的解決を望んだ僕はとりあえず交渉に踏み切ってみることにした。


「交換…か。いいよ、私に何して欲しい?」


……その質問は卑怯極まりないと思う。一見すると僕の好きなように要求ができると思いがちだが、この質問のミソは「対象が女子」だということだ。僕と彼女は付き合っているわけでもないし、彼女に友達が全くいないわけでもない。妙な要求をすればたちまち僕の悪評は女子ネットワークを高速で駆け巡るだろう。こんなことで今後の高校生活をドブに捨てることになるのはゴメンだ。僕だって一度くらいは春を謳歌したい。故にここで選択を誤ってはいけない。


「じゃあ、ええと。今度、野ノ原の卵焼きを僕にくれればいいよ」


我ながら完璧だ。無難オブザ・ベスト。卵焼きの対価に卵焼きを要求すれぱ完全な差し引きゼロ。不審さも下心も傲慢さも一切無い、理想の解だ。


「へえ。中西は私の作った卵焼きが食べたいと申すか」

「え」

「そんなに、私の卵焼きが食べたいんだあ」


彼女はずいっと顔を前に出し僕の顔を覗き込む。真正面から目を見るのが恥ずかしくて、つい視線が下へ行ってしまう。すると彼女の口角がほんの少し上がっているのがちらりと見えた。…まったく、悪趣味な奴だ。

これは仕返しをしてやらねば。

僕はすぐさま右手の箸を卵焼きへと突き刺した。そのまま持ち上げ丁度真上にある彼女の口元へ押し付ける。


「んむっ?!」

僕の流れるような動きに反応しきれなかった彼女は見事に卵焼きとキスを果たした。その顔は驚きの色に染まり、声にならない素っ頓狂な音が漏れる。


「はむっ」

一拍遅れ、彼女は僕を一睨みしつつ卵焼きにぱくつく。僕の作る卵焼きは甘めなのだが果たして口に合ったのだろうか。

彼女は顔を伏せてもぐもぐと咀嚼しているため表情が伺えない。

そして、こくりと。喉が鳴る音が小さく聞こえた。


「うん、美味しいよ」

彼女はぱっと顔を上げてそう言い、向日葵のような笑顔を満面に咲かせたのだった。どうやら甘めの卵焼きは好みに合ったようだ。


「じゃあ、卵焼き。明日作ってきたげる」

……ちょっと、楽しみだ。

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