幸せを乞う者

 生きるために苦労しない外の世界から隔絶された国。己の幸せの為に他者を犠牲にすることすら罪悪感を感じなくなった。安全を保証される代わりに僕達は何を失ったのだろうか。僕は希望こそがこの国から欠如しているのだと思う。他国からの干渉はおろか自国内の内戦、傷害事件すら起こらない。だが自殺件数は一方に減らない、むしろ増加傾向にあるのが現実だ。



「この国は紛い物の幸福だな」



 彼の言葉が僕の全身を這い回るように巡る。いつしか体から抜け出さんとばかりに暴れまわっているのはつかの間の出来事。



「私はただ彼等が願うとおりの行動に移しただけだ」



 目の前に別の人間が居座っている。真っ黒な靄がかかっているせいか顔はおろか体さえも識別できない。けれど声でレンだとすぐに判った。



「確かにあなたの言うとおり彼等は終わりが見えない地獄から脱け出したかったのかもしれません」


「ならば……」


「ですが、僕は他人の生き様を勝手に決めることだけは許せない」


「僕も他人を何度も殺めてきました。でも、それはあなたのような神になりすますような理由ではありません。僕は僕らのために今まで過ごしてきたのです」



 彼はひたすら無言を続ける。ようやく口を開き一言話していたのは分かったが何を言っているのか理解出来なかった。



「私は……」



 そのときやっと彼の気持ちを察したような気がする。哀しみという何かを抱いてるのだと。








暗闇から意識を浮かばせた僕は外界が眩しすぎて目が開けづらい。



「おっ、ようやく起きたのか」



 一面真っ白な壁に四方を囲まれた狭い部屋。飾り気が全くない無粋なここは人間が作り出した感じもしない。人の手が加わった気がしないといった表現の方が確実だろう。



「僕はどうしてここに?」



 白い部屋に白いベッド。僕は瞬時にここが軍管理部の病棟だと分かったのだ。



「日本に着いたとたん、おもいっきりぶっ倒れたんだよ。相当疲れてたんだろうな」


「まっ、一日中安静にしてりゃすぐに退院できるぜ」


 作戦が終わってからの記憶が曖昧であるのは確かだ。戦闘の緊張が一気にほどけ積み重なった疲労が襲いかかってくるのはよくあること。



 けれど意識が飛ぶなんてことは今までで一度たりともなかった。恐らく彼について考えていたのが重荷だったのだろう。気にしないようにしているつもりでも別の自分が気にしているのだから疲れてしまうのも無理もない。



「レンは?」



 拘束した身柄の行く末が気になった僕は現状を確かめることにした。



「軍上層部に送られたよ」



 抵抗する気のない住人に加え、仲間内で自ら死傷者を出そうとしたのだ。それ相応の罰が下ることは避けられない。


 だからこそ、現場を誰よりも知っている僕らに尋問を任せて欲しいという念が強かった。



「あっ、そうそう。その話についてだ」



 思い出したような表情をした彼から出た言葉は僕を驚かせた。無論彼も聞かされたときは仰天したらしい。



「マザーから招集命令が出たぜ。しかも俺たちだけ、日程はお前が退院する日に合わせたらしい」


「それはつまり……」


「ああ……この件についてだろうな」



 僕は当時の現場の状況を語れる場が生まれたことに心の底から安堵した。それは彼をこの国から追放したり貶めたりすることが可能になった喜びではなく、彼の真意を聞ける機会が生まれたからだった。







「少し時間いいか?今まで詳しく伝えてこなかったが俺の入隊理由について聞いてくれ」



 僕はベッドの上に横たわり、その隣で彼は椅子に座っている。閑静な部屋に再度沈黙が生まれた。


 僕は無言で頷き、彼がなぜ故国を捨ててまでこの国を選んだのかを知ることになった。そしてこの彼の決断こそが人生のターニングポイントとなる鍵。



 母国を客観的に見れる機会、僕がこの場所で生まれのうのうと生きていては決して得られないだろう答えとなる道しるべ。


 

 僕はある決断を迫られているようだ。


 ひとしきり彼が話し終えた後、



「これで俺の物語も終わりだ。俺の最終目的まで話してもう何も言うことはない。お前がこの話を聞いて俺を軽蔑したり醜態な汚物のように見ても構わん。それはお前が己を守る自己本能的なものだからな」



 僕は彼の言うとおり何物にも変えがたい嫌気が差した。



 それは彼ではなくに対して。



「僕が君に対して嫌悪感を抱くことは一切ない。むしろこの話を聞かせてくれて感謝しきれない程だよ」



 彼は意外そうな目で驚いていたが、予想通りだと言わんばかりの表情で少し顔に綻びが出来た。



「だが良いのか?俺は今までお前の役割の逆の立場で行動していたわけになるぞ」


「それは過去の僕だ。これからの僕は君と同じ立場で行かせて貰うよ」



 苦笑いをしてさぞ安心したかのようだ。心の底から嬉しそうな表情を出しているのはこれが初めてなのではないだろうか。


 

「だから当日、よろしく頼むよ?」


「ああ、願ってもないことだぜ。俺からもよろしく頼むぜ相棒」













 食品、日用品と何から何まで兼ね備えた便利な店。その名の通りに利便性に特化したこの場所はあらゆる住民が行きやすいように立地しているため人の出入りも多い。


 東京都市部メインストリート街にあるコンビニエンスストア。


 僕とケリーはカジュアルな服装で入店し店のトイレへと歩き進める。


 Rest Roomと表記されているドアを開けるとさらにドアが三つある。二つは本物のトイレでつまりは男女別に設置されているのである。



 しかし残る一つのStaff Roomへ入ろうとするのだが鍵がかかっている。


 僕らはマザーが説明したとおりに右手のデバイスを手錠の金属部に当てるとドアが左にスライドしていく。



「まさかこんなとこに入り口があるなんてな」



 僕達は軍部情報管轄区画、要は国の極秘事項を取り扱う場へと足を運んだ。



「誰だって秘密事を隠すときはわざわざ他人が探索してしまうような場を選んだりしない。そんなところがやっぱり合理主義者の性格が垣間見えるね」


「それは俺の話を聞いたうえで言っているのか?」


「そうだよ」







 エレベーターで地下に降りた後、先が見えない程の暗闇に包まれた通路を歩いている。



「なんだか物騒なところだな」



 僕も同じような違和感を抱いていたけれど心配するほどでは無かった。



「灯りを置く間隔が最小限に絞られている。歩く時に支障が出ないことだけを考慮された完璧な道だね」



 彼の言うとおり計画された道というより物騒な道としか言い様がない。この建造物には命が吹き込まれていないと表現した方が適している。



「そういえばマーク類を見てないね。何処かで方向を示すような印を見た?」


「いや、全くだ。ここまで相当歩いてきたが一つも見当たらねえ」



 けれど僕達は伝えられたままにこの道を歩いていく。この道は間違っているように見えても答えそのものなのだろう。



 ケリーは過去を振り返るように呟いた。




「この道はある意味死んでいるな」











「ここか」



 通路を30分ほど歩いた末に突如現れたのは『情報管轄区』と示された扉のみだった。



 この国の中枢部が目の前にあるとなると些か緊張するのかと思ったが、そんなことはなく酷く落ち着いていた。



「じゃあ、入ろう」



 僕の掛け声と同時に扉に手をかけた。










 両開きの扉が開けられると無数のモニターを眺める者が一人。僕らに目を向けてさぞ待ち構えていたような姿勢をとる者――レン。計二人が部屋に潜んでいた。



「長い旅路お疲れ様。とここでは言うべきなのかな」



 長机を挟むようにして座る彼はモニターから僕らに目を向ける。



 彼――名前という名前が無い人間マザーは僕らに問いを投げてきた。



「君達は何を望む?」



 興味しか示さないこの男は僕らの深層心理を探りにかかっているのだろうか。



「僕達は何も望みません。それでも言えとするのなら僕達はただあなたたちの考えを聞きたい」


「私達の考えか……君はどうだ、この世界について何か思うことはないか?」



 レンは僕らに目を向けたまま、



「何をしても取捨選択し必ず切り捨てられる者が存在する。そんな不利益しかない世界だと感じています」


「人間は誰しもエラーを起こすからな」


「完璧を求めようとしても失敗する。失敗すれば必ず貶めようとする人間が現れる。他者を自分と比較し己の地位を確かめるのは彼ら、人間の生まれながらの本能だからな」



 僕は僕自身が求めた世界がいつしかすりかわっていることに憤りを覚えていた。



「だからってお前達のように実行支配することが許されると思っているのか?」



 目の前に佇むレンを加えた二人は元は人間ではない。人間に創られたアンドロイドだった。



 日本という国の中心を担っていたのは紛れもない彼らだった。



「実行支配などではない。君らがそう望み私達に託したのだ」


「国内から始め、世界にも政治的権力が衰えていた君の祖先達は自らその責任、権力、地位を投げ出した」


「私達の生まれは主にパーソナルコンピューターのCPUだ。それはつまり電子機器類が生まれた時から私達はこの国、世界とともに生きてきたということになる」


「君達が逃げ出したことによって私達はこの国の存亡を危惧した。統計学、生物学とあらゆる知識、データを用いてね」


「するとだ。君達の国は100年足らずして滅亡するとの結果だ」


「私達は空いた席に座ることでこの国の救済を図った。君達人間が不可能だからね」



「とまあ、これが私達がこの場所に身を置く理由だよ。これでも君は私達のことを実行支配などと冒涜するのかな?」



 僕はぐうの音も出ない。それはつまり罪滅ぼしを任せて逃げ出すような人々と同じ人間であることを認識しているからなのだろう。



「ふざけるなっ」


 

 僕の隣から怒声が浴びせられる。



「それが無抵抗で人々を蹂躙していく理由になるのか?」


「たかが自分の興味だけで殺された何の罪もない人々の気持ちが分かるか?」



 自身の感情を吐き出すケリーをよそに彼は冷静に答えた。



「君の言うとおり、私達は自国から他国にかけて人々を手にかけた。だがそれは興味のみではない、私は生かしたかったのだ」


「君らが自国を守るのと同様に、私達は自らの方法で幸せとはどんなものか模索しようとしたのだ」


「しかし、分からなかった」



 うつ向きながら続ける。



「君達が望む幸せをもちろん私たちも望んだのだ。平和と協調さえ考えて得た結果がこれだ。幸福を守るための行動ゆえに」



彼は、いやレンを加えた二体の人工物は悲しんでいるはずなのに涙を流さない。

 辛いこの現実を何年も過ごしてきたのにも関わらず。



「『幸せとは何だろうか』私はこの問いを考え続けた。しかし答えは一向に見える気がしない。出口が消された迷宮で迷うように私はこの世界を走り回った」



「いくら見つけようと願っても私たち創られた者には辿り着けないのだ」





「だからこそ、君達人間をここへ呼んだのだ。世界を破滅に導いてしまった私達には何も望みはない。君達がふたたびやり直して欲しいだけだ」


「私達のことをAIなんて大層なことは言うが結局はただの金属片の集まりなんだよ。感情なんて欠落し合理性を崇められた人ならざるもの」



「君達が君達自身でこの世界の行き先を決める。それは当たり前のことのはずなのになぜ今まで気づかなかったのだろうな」



 僕は合理主義者の集まりだと、そう予想してこの場に来たはずなのに、感情を抑制されていることを知りながら生きる彼らのことを同情せずにはいられなかった。



 だからこそ次の彼の言葉は僕の心を刺した。






「すまない」

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