メンタル・クリニックの事件簿
東雲まいか
第1話 あるビルの一室で
事件発生
東京都内の、ある雑居ビルの四階の一室。震える手でカメラをバッグに入れると、物音を立てないように暗闇の中に紛れ、非常階段を小走りに去っていく人影があった。雑居ビルの前は、十二時を過ぎ、ほとんど人が通る気配はなかった。
部屋の中には、男が一人うつぶせに倒れ、体の上には撮影用の照明器具が倒れていた。ライトの部分が後頭部の真上に覆いかぶさり、顔面の下には、無残にも真っ赤な液体が広がっていた。男の手には、セーラー服のリボンの切れ端が握りしめられていた。
ビルの警備会社の職員は、いつものように深夜一時に見回りをしていた。ビルの管理会社から委託され二人一組で見回りをしていた。六十をとうに過ぎた桜井と、三十代のバイトの下山が担当していた。薄暗いビルを見回るのは、気分のいいものではないが、各階の廊下や、部屋が施錠してあるかどうか見て回るのが彼らの仕事だった。四階の突き当り手前、もっとも階段に近い部屋のノブを回すと、不思議なことにかちりと回った。いつもなら施錠されているはずなのに。
そおっと、ドアを開ける。暗闇の中、懐中電灯で部屋の中を照らすと、ソファや、ベッドなどの家具や、女性の服などが吊るされたラックが置かれていた。そこで生活しているような雰囲気はなく、ただ無造作に置かれていた。ただし、人のいる気配は感じられなかった。というより動いている気配がなかった。それもそのはずだった。恐る恐る桜井を先頭に数歩進み、ソファの向こう側に回った時。
男が横たわっていた。まったく動かずに…男に近寄ろうとして懐中電灯で照らすと、頭上にはライトが倒れ、頭の下のじゅうたんが、赤い液体で染まっているのが見えた。すんでのところで踏むところだった。慌てて飛びのいた。桜井は、恐ろしさでひきつったような声を出した。
「ひつ、人がいる!」
ほとんど同時に、下山の眼にも人影が飛び込んできて、叫び声をあげた。
「しつ、死んでる! どどどど、どうしよう!」
「けつけつ、警察、警察をよべーつ!」
「はつ、はい! 携帯携帯……」
山下は、動転してどこのポケットに携帯電話を入れたのかも忘れ、体のあちこちをいじり、結局胸のポケットから取り出すと、深呼吸した。
とんでもないものを見てしまった、という恐怖で、足がすくみ必至の思いで、警察に電話する。二人は、部屋にいることにいたたまれず、ドアの外で待機することにした。
救急車とパトカーが来るまでの時間は、途方もなく長く感じられた。部屋に横たわっていた男は病院に運ばれたが、すでに死亡していたことが確認された。警備員二人は警察署で、発見時の様子について聞かれた。桜井は、警察署で警察の担当者に聞いた。
「殺人事件ですか?」
すると、警察官は「それはこれから調べる」としか答えなかった。
部屋に、警察官や鑑識がやってきて調べたところによると、所持品の運転免許証から、足立区に住む大月健也だということが分かった。芸能プロダクション社長大月健也と書かれた名刺も一緒に発見された。
体には、何か所も殴られたような跡があったが、それらはいたって軽いもので、致命傷となったのは頭部に固いものがあたり、その衝撃により気絶し失血したことが原因で死に至ったのだ、と当初は思われた。手には、黒い布が握られていた。九月に入ってもまだまだうだるような暑さが続くある日曜日の夜の出来事だった。
被害者は、遺体の状況から殺人事件として捜査が行われていた。警察は、この部屋にいた人物と何らかのトラブルになり、争いとなったとみている。交友関係を調べるとともに、怨みを持った者がいなかったかどうかを、徹底的に当たっているが、一か月ほどたっても加害者の絞り込みはできず、時間だけが過ぎていた。
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