第二章
復活をかけた試練
ボガートがドアをあけると、大音量のダンスミュージックが部屋からあふれ出した。
部屋の主の背中が見える。
リズミカルに身体を上下させながら、両腕を太極拳でもしているように滑らかに動かしていた。
とがった耳がピクンと動く。
「シュガー」
声をかけるよりもはやく、かかとを軸に振り返る。ただし、視線はボガートに向けない。
真剣な面持ちで、自分の手許を見つめている。
鮮やかな蛍光ピンクの円盤が、勢いよく回転していた。
ヨーヨーだ。
シュガーが手を動かすと、縦横無尽に、まるで生物のように動きまわる。
「だいぶ巧くなったんじゃあないか?」
シュガーはちらりとボガートに視線を送り、「見てて」といいたげに口許を歪めた。
グラビティプルからの
次々に繰り出される
「すごいな。世界大会にでも出るつもりかい?」
「たかだかキャリア一カ月の初心者が勝てるほど、甘い世界じゃあないでしょう?」
そういいつつ、まんざらでもなさそうな顔つきだ。
「でも、いい訓練にはなった」
上へ向けた手のひらの中に、しゅぽんとヨーヨーが吸い込まれた。
すべてはシュガーの身体の一部。本体も糸も、変身能力で作り出したものである。
ヨーヨーを扱うのは、身体と能力の使い方を鍛えるのにもってこいだとボガートが勧めたのだ。
「もう、いつでも復帰できるよ」
「やれやれ。かわいいキミらを戦場に送り出さなきゃならん僕の気持ちを考えたことはあるかい?」
「かわいいとかマジキモい」
ボガートが、ボディブローを喰らったような顔をしてよろめいた。
「それで、あの話は考えてくれた?」
「あ、ああ……復帰後のキミの任地だったね……」
どう答えたものかと思案するように、ボガートは視線を泳がせた。
「上層部に諮ったところ、特に問題はないとの認識だった。ただ、もちろん希望どおりの任地に赴けるかどうかはクライアントの意向にもよるからね」
「それくらいわかってる。知りたいのは、チャンスがあったとき、それを逃さず捕まえられるか。あなたの協力が最大限得られるかどうかなの、ドクター」
「厳しいことをいうね」
「ドクターが乗り気じゃないのは、技術者として問題を感じてるから? それともドクター個人の心情の話?」
「両方だね。たしかにキミのリハビリは順調だが、見落としや予期せぬ不具合があるかもしれない」
「そっちは努力でカバーする。気になったことは全部いって。片っ端から克服してやるから。そのかわり、個人的な問題はそっちでなんとかして」
ボガートは呻くようなため息をついた。
「たくましくなったねえ。その点に関しては喜ばしく思うよ」
「ありがと」
シュガーは満面の笑みを浮かべた。
彼女がこれほど急ぐのは、かつてヘルラとともに駆けた戦場へ、一刻も早くもどるためだった。
時をおけば、それだけ彼女の痕跡が消えてしまう――その想いが焦りを生んでいるのではないかと、ボガートは危ぶんでいる。
しかし、いまのところシュガーの精神は安定していた。
着実に、いま出来ることを積み上げ、驚異的なスピードで元の力を取り戻しつつある。
新しく手に入れた変身能力とも相性がよかったらしく、当初の想定をはるかに上回る熟達ぶりを見せていた。
(たしかに、これならいけそうだ。ひょっとしたら、前以上の成果を挙げるのだって夢じゃない)
翌日、シュガーは再生後はじめて研究所の外へ出た。
二対二の戦闘訓練。
彼女にとっては、これがリハビリの仕上げ。戦場にもどるための最終試験を兼ねている。
場所は、十年ほど前に空爆を受け、廃墟となった街だ。〈
「退屈じゃねえの?」
シャーリーが訊ねた。
「べつに」
街へ向かう車中、シュガーはずっと窓から景色を眺めていた。
鬱蒼とした森と、それを断ち割るように敷かれた道路。どこまでも続く空。鳥の群れ。ときおり進行方向を横切る動物の影――
シュガーにとっては、なにもかもが物珍しい。
「人はいないんだね」
「外部の人間は立ち入り禁止らしいからな。そ・れ・よ・りい――シシッ」
シュガーの隣の席で、シャーリーはせわしなく膝を揺らした。
「楽しみだよな。オレ、実戦形式は久しぶりでさァ!」
「えー。あたしはちょっと緊張してるかなあ……」
嘘だった。
本当は、吐きそうなくらい緊張している。
だから、向かい側に座る対戦相手をまともに見ることもできず、窓の外ばかり眺めていたのだ。
どちらも初めて見る顔だった。
研究所には三つのチームがあり、彼らはそのひとつケット・シー
ひとりは海兵隊員のような恰好をした男で、服装に見合う屈強な体格だった。
彫りの深い、二枚目といってもいい顔立ち。灰色の髪を角刈りにし、常に獲物を狙うような鋭い目つきをしている。
もうひとりは、対照的に小柄な人物だった。
最初、女の子かと思ったが、どうやら少年型の
少年型、少女型に混じって、自分一人だけ成人男性型なのを侮辱と受け取ったのか、海兵風の男は顔合わせの瞬間から不機嫌そうだった。
シュガーたちのみならず、パートナーの少年に対してすらあからさまに見下した態度を取り、気に食わないことがあれば手や足も出す。
少年のほうは、気弱な性格なのか、文句ひとついわず、されるがままになっていた。
緊張以外に、今日の訓練に不満点があるとすれば、それは間違いなくこの男の存在だった。
チッ、と舌打ちの音が聞こえた。
シュガーが振り向くと、男がこちらを睨んでいた。
「ガキの遠足かよ」
「似たようなモンじゃねーの?」
悪意しかない相手の言葉に、シャーリーがあっけらかんと返した。
「はぁ!? テメェに訊いちゃいねえんだが?」
「こりゃ失礼。てっきりお喋りがしたいのかと」
「ガキが。調子に乗るなよ」
「ガキガキってうっせーな。
標的の油断を誘うため、
「落ち着きなよ。アトリエ・ケット・シーのモットーは“気品・優雅さ・美しさ”だろ?」
ケット・シー・ラボの器獣縫合師は芸術家肌らしく、自らの研究室を“アトリエ”などと呼んでいた。
男の横で大人しく座っている少年は、儚げで可憐といってもいい容姿をしている。聞いた限りでは、彼らの研究室ではこの少年のようなタイプが主流なのだろう。
「とはいえ、どうせやりあうならアンタみたいなののほうが気分が乗る。見掛け倒しじゃねーことを祈ってるぜ」
ニシシ、とシャーリーは歯を剥いて笑った。
街の東端で、シュガーとシャーリーは車から降ろされた。
ケット・シー組は西端。双方が下車してから十五分後に戦闘開始となる。
ぼーっと空を眺めながら待っていると、腕にはめた携帯端末が電子音を発した。対戦相手の情報を受信したのだ。
「いかついほうがトーチスコーピオンのゾルダ。美少年がシグナルカメレオンのユリー、か」
送られてきた情報は、怪人名と通称、大まかなスペックのみだ。開示がこの時点なのは、怪人名から能力や戦法を予測されないようにするためである。
実戦において、事前に敵の情報を入手できるかどうかは運次第だからだ。
訓練で良い成績を出せば、それだけ過酷な戦場に送られる可能性が高まることを考えれば、下手な予習はかえって自らの首を絞める結果となる。
「ゾルダは典型的なアタッカー、ユリーが補助タイプだろうな。オレもシュガーも近接戦が得意だけど、メインでやり合うのはオレで、シュガーは索敵に集中ってとこかな?」
「OK」
「喋った感じじゃあゾルダの野郎、正面から敵を叩き潰すのが好きってタイプっぽかったな。口ほどの実力がほんとにあるなら厄介だけど、そこはまあ、オレがなんとかする。ただ、戦闘にかかりきりになっちまうことも考えられるから、くれぐれも不意打ちには注意しといてくれ」
「もう一人の、男の子のほうだね。わかった」
シャーリーは怪訝そうに片眉をあげた。
「おめーからは、なんか意見とかないの?」
「シャーリーのほうが実戦経験豊富でしょ。信用してるから」
「そ、そうか」
シャーリーは照れたように頬を染めた。
実際は先に作られたシュガーのほうが戦場に出ているはずなのだが、記憶がないので経験していないのと同じだ。
「自分でも大雑把すぎやしないかと心配なんだが……」
「さっきまで大口叩いてたのに。意外と繊細なんだ」
「うるせーやい」
「はは、ごめん。でも、このくらいのほうが動きやすい。やるべきこともはっきりしてるし、悪くないんじゃないの?」
素直な感想を述べると、シャーリーはますます顔を赤くした。
そうこうするうちに、携帯端末が電子音を発し、訓練の開始を告げた。
「よっし。そんじゃあいくか!」
吼えるようなかけ声とともに、シャーリーの姿が一変した。
彼女の怪人態は初めて見たが、想像していたようなコアラの着ぐるみ状態ではなく、女学生風の衣装をベースに、ファーを要所にあしらったスタイリッシュなものだった。
カラーリングは灰色と黒を基調としており、さながら悪の魔法少女のようないでたちだ。
「おおー、かっこいい」
「だろ? 結構気に入ってんだ」
ニシシ、と歯を見せて笑うところは、いつもの彼女とまったく変わらない。
「じゃあ、あたしも」
シュガーは気合を入れるため、ぎゅっと目をつぶり、両手で自分の頬を張った。
じんじんと痛みが広がるにつれ、いまだ残っていた緊張感も多少は和らいでいく。
腹にたまっていた空気を吐き出し、ゆっくりとまぶたをあける。
(あたしは……
まずは両腕。それから身体を見回し、変身の完了を確認する。
これから始まる一カ月ぶりの戦闘を思い、シュガーは全身を震わせた。
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