それが、俺でも
優樹菜が出会ったのは、渦潮使いには違いなかったが、彼女の相手は、磯田空だった。
いろいろ怪しい男ではあるが、まるで信用できないという男ではない。
喫茶店に入ると、ふたりはまるで恋人のように打ち解けて話していた。
電話で会話は聞こえていて、色っぽい話ではないことは理解してはいたが、ざらついた気分がする。
空は、魅力的な男だと思う。ルックスも良いし、何より飾らない。
「すごくモテすぎているか、全くモテないかどちらかなんでしょうけど、二枚目なのにもったいない」と、優樹菜は評したが、憎めない男だともいう。
今はなくても、そばにいればいずれ恋愛感情が育つ可能性だってある。空が去り、喫茶店を出た後も、その気持ちはもやもやと胸に広がって、そんな自分に嫌気がさす。
仕事に頭を切り替えて、俺は胸に広がる嫉妬を無視することにした。
俺は、状況をメールで送る。タクシーの中で、さすがに口頭で報告するのは無理だからだ。
課長の真田からの返信は、『潮神社に行け。応援を送る。着いたら連絡させる』という短いものだった。
確かに、状況的に見て、『神』にまつわるものだけに、そこいらのザコ相手とは違う。空がどこまで信用できるかにもよるが、俺一人で彼女を守り切るのは、たぶん無理だ。応援が必要なのは、間違いない。
俺は、彼女のマンションにつくと、エレベータにともに乗る。もちろん、下で待っていてもいいのではあるが、狙われない保証はないからだが、こうして隣に立っていると、彼女の夢に入っていた時と重なってしまう。
何より驚くことに、彼女の夢があまりにもリアルなことを再認識した。エレベータも、彼女の家の玄関も夢と寸分たがわない。
彼女の夢は、まさに現実そのものなのだ。予知夢を見る、という能力者だけに、夢世界での世界再現率が非常に高いのだろう。
「あ、中には入らずここにいるから、少し玄関あけておいて」
俺は、紳士のフリをしたいというより、これ以上、彼女の空間に入ることが怖くて、思わずそう言った。
たぶん――予想通りならば。彼女の部屋は、夢と同じだ。これ以上の既視感は、自制心を保つうえで、危険である。
「どうしてですか?」
「どうしてって……女性の一人暮らしの家に上がるのはやっぱりまずいだろう?」
「昨日、私、鬼頭さんの家に泊まりましたよ?」
「それは……結果としては、そうだが」
「大丈夫です。今日は、べつに下着とか干してないですし……襲いませんよ?」
彼女はそう言って、いたずらっぽく笑う。いや、襲うのは、そっちじゃなくて、こっちだから、と思う。
俺はそんなに、草食系にみえるのだろうか。
「通路に立っておられる方が、近所の人に変な勘繰りをされます。されたところで、どうということはないですけど」
優樹菜の言うことも一理ある。俺が『セイ』ではなかったら。
知らない男が玄関で待っているのを見られたら困るかもしれない——入れたほうが、もっと困るとは、思うのだけど。
「わかった。入るよ。君は、俺を信用しすぎる」
「信用も何も、鬼頭さん、私に興味ないと思うし……あ、冷蔵庫に冷たいものありますので、良かったら飲んでいてください」
何を言っているのだろう。自己評価が低いにもほどがある。
興味どころか、欲しくてたまらないと言ってもいいくらいだ。
のんきすぎる優樹菜にあきれながら、俺は彼女の家に入る。
完全にデジャブだ。寸分変わらぬ間取りである。
「お茶、勝手に沸かして飲んでもいい?」
言いながら、おれはキッチンに立った。
「どうぞ。わかりますか?」
「ああ」
見慣れたキッチン。夢と寸分変わらぬデザインの茶筒。やかん。食器棚には、見慣れたペアカップ。
あきらかに、『男』の存在を感じさせる。セイは、俺なのか。それとも、別の男なのか。これだけでは、確信がつかめない。
やかんを火にかけながら、俺は部屋を見回す。
食器のほかには、『誰か』の影はない。
髭剃りや、歯ブラシのようなものは見えない。それでも『過去』の男、という可能性もある。
「熱いお茶、飲む?」
俺が声をかけると、彼女もいる、というので、お茶を入れて部屋へと運んだ。
「……よく、お盆とかお茶の位置、わかりましたね」
「え? ああ、なんとなく」
俺は、あいまいに答えた。確かに、当然の疑問だ。
まさか、夢に入り浸っていたからわかる、とは、言えない。
「俺と二人で部屋にいて、彼氏に誤解されたりしない?」
俺は、直球で疑問をぶつけることにした。
「彼氏?」
優樹菜は、不思議な質問をされた、というように首をかしげた。
「茶碗もカップも湯呑も二組ずつある――勝手に俺、使っちゃったけど」
そんなにおかしな質問ではないと思いながら俺は続けた。
「あ、えっと大丈夫です。気にしないでください」
気にする。気にしているから、俺が聞いていることに、彼女は気が付いていないのだろうか。
「ひょっとして、元カレの?」
「違います。彼なんていたことないです」
優樹菜はそう言って、顔を赤らめてうつむいた。恥じらう姿が、また、反則なくらい可愛い。
「とにかく、ご心配には及びません。鬼頭さんはご自身の恋人さんの方を心配すべきですよ」
「俺の恋人?」
「仕事とはいえ、私みたいな女を部屋に泊めたりして。絶対、心配していますよ」
彼女の話が本音であるなら、俺は、彼女に好かれていると信じられた。
間違いない——俺は確信した。セイは、俺だ。きっとそうだ。
そう思ったとたん、俺はほぼ無意識に優樹菜の腕をつかみ、引き寄せた。
柔らかな感触。甘いシャンプーのかおりが髪から漂う。我慢していたものが一気にはじけた。
「君は無防備すぎる。仕事なら、誰でも部屋に入れるわけじゃない」
ビクンとふるえる彼女の身体の反応が愛おしい。
明らかな勤務規定違反だとはわかっていたが、限界だ。
「仕事じゃなければ、俺は――」
言いかけた俺を見ていたかのように、携帯のバイブ音が鳴り響く。
「クソッたれ」
俺は、優樹菜の身体をはなして、電話をとる。甘い空気が一気に吹き飛んだ。
「俺だ」
『田野倉だ。駐車場にお前の車、転がしてきた』
「わかった」
変人坊主は、きっと法衣のまま車を運転してきたのだろうな、と思う。
奴は、法衣のまま、電車にも乗る。遊園地にも行く。影に生きる術者のくせに、すごく目立つ男だ。
『それと。仕事中は、お姫様とよろしくしたら、減給モンだからな? ま、野暮は言わないけど』
「……ご親切にどうも。すぐ行く」
相変わらず、勘のいい男だ。当てずっぽうなのかもしれないが、釘をさされた気分がした。
「……迎えが来た」
俺は仕事の顔に戻り、優樹菜にそう告げた。
つごもりの夜だけあって、闇の気配が常に感じられる。
結界のそばを見張る、隼人の気配。そして、異形のものたち。
儀式を明日に控え、俺たちは一軒の旅館に泊まりながら、守りを固める。
優樹菜との会話を楽しみながらも、それらがそこにあるおかげで、俺は仕事の顔で接することができた。
仕事を意識していないと、彼女に触れてしまいそうで怖い。セイが俺であるなら、彼女は拒絶しないだろう――もっとも、夢は夢。現実は現実だ。
夢で「つきあって」いたところで、彼女が夢をどれだけ覚えているかは、わからない。
「鬼頭」
優樹菜を一人部屋に残し、二人で部屋に戻ると、田野倉が切り出した。
何かを問いたげな顔をしている。
「優樹菜ちゃんの力、あれだけの能力がありながら、今まで何もなかった、って不思議じゃないか?」
霊力というのが突然目覚めるということは、それほど珍しいことではない。力がないと思われていた人間でも、心霊現象などのきっかけがあると防衛本能から、力が発現するとは言われている。
「もちろん、影追いに狙われたことが引き金になっているのだろう。しかし、影追いに狙われるということは、ある程度、霊力がないとだめだ」
田野倉は、鋭い目で俺を見る――隠せないと思った。
彼女が外に向かって霊力を放出しなかった状態だったのを、解放したのは俺だ。引き金を引いたのは、間違いなく、アレだろう。
「半年前、偶然、彼女の夢に迷い込んだ」
俺は、口が乾くのを感じた。
「暗霧に憑りつかれていたので、俺がそれを払った。今思えば、それが原因かもしれない」
「暗霧に?」
「ああ。なんというか、体調を崩しておかしくないレベルだったが、最後の一線で、守護の力が働いていた感じだった」
「守護の力……」
田野倉は眉を寄せた。
「なあ、鬼頭。これは推測だが……優樹菜ちゃんの母親は、潮田の人間だ。おそらく、優樹菜ちゃんに力があったことも気が付いていた可能性がある」
潮田の家は、巫女の血筋だ。幼い時に母を亡くした優樹菜は潮田の家のことをまったく知らずに育ったようだが、母は違うだろう。
それなりの知識と、それなりの力があった可能性はある。
「母親が、彼女の力を封印していた?」
俺の言葉に田野倉が頷いた。
「おそらくは、身を守る力以外をかたく封じることで、魔から狙われる確率を下げようとしたのだろう」
「しかし、実際は――」
「そうだな。巫女の力は、母親が思っていたより強かった。ゆえに、暗霧に憑かれたということじゃないだろうか」
「母親が……」
彼女の術を封じようとした母親は、どんな気持ちだったのだろう。
彼女の母は、幼い彼女を残して病死したと聞いている。ということは、自分が守り切れないゆえに、術を施した可能性もある。
それとも、娘を闇の世界に生きる人間にはしたくない――そんな気持ちだったのかもしれない。
「なんにしても、あれほどの巫女の才能を持った女性は、それほど多くない。儀式は、彼女でなければ、できないだろう」
「……わかっている」
この土地に来て、彼女の力はさらに高まりつつあるのを感じる。壁を隔てた今も、彼女の『力』を感じる。その力は、大きくて、そして温かく居心地がよい。
「今、これを言うのは、勤務規定違反ではあるが――」
田野倉は俺の肩にポンと手を置いた。
「惚れているのなら、離すなよ。彼女の力なら、おれたちとともに生きていける」
その言葉は、俺の心にずっしりとのしかかる。
俺たちと生きていく――それが、彼女にとって、幸せなのか、俺にはわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます