白昼夢?

「ああいう男が好きなの?」

 険しい顔で鬼頭が私を見ている。

「いえ。全然」

 私のタイプはあなたです、と言えれば話は早いが、それを言う勇気はない。

 鬼頭は磯田の冗談が妙に気になるらしかった。明らかに冗談なのに。

「ずいぶんと気に入られてたようだ」

「磯田さん、モテない女をからかって遊んでいるだけです」

 私はふうっと息を吐く。

「さすがに身体が好みなんて言葉で、本気で口説いていたとしたら、あのひと、相当残念ですよ」

「……身体が好み?」

 鬼頭がポツリと呟きながら、私の胸元に視線をおとして。それから、慌てて目を背けた。

「きっと、すごくモテすぎているか、全くモテないかどちらかなんでしょうけど、二枚目なのにもったいないですよね」

 あれでは、十年の恋も冷めかねない。

「普通に口説かれたら、考えるってこと?」

「えっと。そこ、重要ですか?」

 普通に一般論で話しているつもりだったのに、なぜか突っ込まれ、私は戸惑った。

「考えるも何も、からかわれているだけですから」

「……なんでそんなに自己評価低いのかな」

 ポツリと、鬼頭は呟いた。

 低いも何も、と思う。一晩、彼シャツ状態でしかも意識も失っていたのに、鬼頭は私に指一本触れなかった。それが答えの全てではないだろうか。

 丁度その時、店員がやってきて、鬼頭が追加したコーヒーを置いていった。

 立ち上る湯気に、軽い既視感を覚える。

「イチゴショート、頼まなかったのですか?」

「……なぜ、イチゴショート?」

 私の問いに、不思議そうに鬼頭が首を傾げる。

 怪訝そうなその顔を見て、しまった、と思う。

 妄想彼氏の『セイ』とのデートでいつも彼がイチゴショートを食べることになっていたので、つい、余計なことを口走ってしまった。ケーキを食べなければならない場面でもないのに、何を言っているのだろう私は。

「すみません。なんとなく、私が食べたかったので」

「ふうん?」

 鬼頭は思いっきり不審そうな目で私を見る。

「優樹菜さん、見た夢は全部話してくれているよね?」

「も、もちろんですよ」

 私は慌てて答える。

 妄想でないと判別できる箇所は話している。喫茶店デートでケーキを食べたのは、妄想だろうか。それとも、予知夢なのだろうか。とりあえず、鬼頭はケーキを頼んでいない。ということは、あれは妄想なのだろう。時折よぎる、既視感がまぎらわしい。

 鬼頭の視線にたえきれず、私は磯田空が置いていった名詞に手を伸ばした。

「フリールポライター、磯田空?」

 霊能力者とは一言も書いていない。不審に思って眺めていると、鬼頭がそれを私から取り上げた。

「磯田空は、潮神社の社人の血筋だ。渦潮使いでも有名な男で、フリーランスの霊能力者だ。普段はルポライターのようなことをしているらしい。かなりダークな仕事も引き受けるという噂もある男ではある」

 鬼頭は渋い顔をした。

「敵に回したくはない男だが、信用するのは危険だ」

 鬼頭は名刺を私に渡すつもりはないらしくて、そのままポケットにしまいこんだ。

 要するに、私から磯田に連絡するのはダメってことなのだろう。する気はないが。

「憎めない感じのひとではありましたけどね」

 そう言ったら、なぜか鋭い目で、鬼頭に睨まれた。ちょっと怖い。

 ひょっとしたら、磯田空というのは、公務員の鬼頭から見るとかなり胡散臭い人物なのかもしれない。

「えっと。従兄がいると聞きましたが」

「ああ。磯田隼人。顔は空に似ている。同じく渦潮使いだ。こっちに関しては、あまり資料がない」

「どうしてですか?」

 鬼頭は首をすくめた。

「空と違って、霊的な仕事をほとんど受けていないからだと思う。実力的には、空に匹敵してもおかしくはない。彼は民間の企業に勤めてビジネスマンをしている」

「私を襲ったのは隼人さんで、霊波が違うって、磯田……空さんに言われました」

「ああ……そもそも空なら、すぐに分かった」

 つまり、鬼頭は空とは知り合いということなのだろうか。

 鬼頭はコーヒーを飲み終えると、レシートを手にした。

「君の家に一回寄るから、三十分で、荷物まとめて」

「荷物?」

「本部に確認してからになるが……たぶん、潮神社に行くことになるから」

 鬼頭はそう言って、ゆっくりと立ちあがる。否とは言える雰囲気ではなかった。




 喫茶店を出た私たちは、タクシーを拾う。

 外はだいぶ暗くなっていた。

「そういえば、鬼頭さんはどうやって、ここまで来られたのですか?」

 鬼頭の職場は、貰った名刺によると防魔調査室の分室で、ここからそれほど遠くないとはいえ、電車の駅ひとつ向こうだ。

「バイク乗りに送ってもらった。車を使うと、渋滞が怖い」

「その方にもお礼を申し上げないといけませんね」

 私がそういうと、鬼頭は「必要ない」と言った。仕事だから気にするな、ということなのだろうけど、『仕事』だから私を構ってくれているのだと言われている気がして、胸が痛い。

 シートに座ると、彼は携帯でメールを送り始めた。通話が秘密事項になるから、ということもあろう。

 私は、ぼんやりと外を眺めた。

 妄想彼氏である『セイ』と自分の家デートの『妄想』は、どんなふうだっただろうかと、考える。

 たいていは、玄関入ってすぐ、私は彼の胸に倒れ込んで、そのまま熱いキスをして――どこのエロ小説だ、とつっこみたくなるような展開。特に鬼頭に話しておくようなことは何もなさそうだ。

 しかし、こんなふうにふたりで後部座席に座っていると、不思議な気分になる。

 電車で立っている鬼頭を見て、妄想しているだけで満足だった私なのに、このままだと本当に好きになってしまいそうで怖い。今回のことが終われば、私と鬼頭は、『通勤電車が同じ』というだけの『知人』に戻る。

 好きになったりしたら、ダメだと私は自戒する。彼が私に構うのは仕事で、『セイ』はあくまで、私の妄想の中の住人で、鬼頭ではない。

 タクシーを降りて、私は鬼頭と二人でマンションのエレベータに乗った。

 仕事だからという彼と私の距離は、他人にしては近すぎるけど、妄想よりは離れている。

 距離の近さは、過保護なくらいの、彼の仕事熱心さであろう。中途半端なその距離が、妄想に蓋をすることを許してくれなくて、かえって辛い。

「あ、中には入らずここにいるから、少し玄関あけておいて」

 私の部屋につくと、鬼頭はそう言った。

「どうしてですか?」

「どうしてって……女性の一人暮らしの家に上がるのはやっぱりまずいだろう?」

「昨日、私、鬼頭さんの家に泊まりましたよ?」

「それは……結果としては、そうだが」

「大丈夫です。今日は、べつに下着とか干してないですし……襲いませんよ?」

 くすりと笑うと、鬼頭は複雑な顔をした。美形だから、本当に、女性に襲われた経験でもあるのかもしれない。

 私には、そこまでの勇気もスキルもないけど。

「通路に立っておられる方が、近所の人に変な勘繰りをされます。されたところで、どうということはないですけど」

 お互い未成年ではない。近所に職場の人間がいるわけではないし、田舎のような濃密なご近所付き合いがあるわけではない。私と鬼頭がどんな関係に見えるかは、謎だけど。

「わかった。入るよ」

 鬼頭は諦めたようにそういって、玄関に入る。

「君は、俺を信用しすぎる」

 ぼそり、と鬼頭は呟く。

「信用も何も、鬼頭さん、私に興味ないと思うし……あ、冷蔵庫に冷たいものありますので、良かったら飲んでいてください」

 私は、台所を指さして、自分はクローゼットの奥から旅行鞄を取り出した。

「お茶、勝手に沸かして飲んでもいい?」

「どうぞ。わかりますか?」

「ああ」

 鬼頭がヤカンをコンロにかけているのを横目で見ながら、私は服をカバンに詰めていく。

 昨日、恥ずかしかったので、下着はとりあえず今持っているモノの中では、可愛らしいものを詰める――いや、見せる予定は多分ないと思うけど。

 パジャマも、もう少し可愛いのならいいのに、色気ないなあと思う。日常の女子力がなさすぎである。

 計画的な恋人のお家へお泊りとかなら、女子力カサマシして行くことができるけど、こんな緊急事態では無理だ。

 三泊四日程度の荷物を詰めおわるころに、やかんが音を立て始めた。

「熱いお茶、飲む?」

「はい」

 台所のテーブルには、椅子がひとつだけなので、鬼頭はテレビの前に置いてあるちゃぶ台へとお盆を持ってきた。

「ありがとうございます」

 そういって、ふたりでお茶を飲み始めて。ふと思う。

「……よく、お盆とかお茶の位置、わかりましたね」

「え? ああ、なんとなく」

 捜すといっても狭い台所だし、モノがそれほどあるわけじゃないが、それにしたって、ひとことも聞かれなかった。

 霊能力者って、こういうこともわかってしまうのだろうか。ちょっと怖い。

「俺と二人で部屋にいて、彼氏に誤解されたりしない?」

 鬼頭は居心地が悪そうに部屋を見まわす。

「彼氏?」

 何を言われているのかわからず、キョトンとする。私の部屋のどこに男性の影があるというのだ。

 あるわけがない。男性でこの部屋に入ったのは、父と、水道工事の職人さんと引っ越し屋さんだけだ。

「茶碗もカップも湯呑も二組ずつある――勝手に俺、使っちゃったけど」

 鬼頭は手にした湯呑に視線をおとす。

「あ、えっと大丈夫です。気にしないでください」

 それ、あなた用です、とは口が裂けても言えない。妄想彼氏用に食器を買っていたなんて、私の行動はなんて残念なのか。今さらながら、恥ずかしい。

「ひょっとして、元カレの?」

「違います。彼なんていたことないです」

 言ってから、思わず恥じる。あまり自慢できることではない。というか、そうしておけば、鬼頭は簡単に納得できたじゃないか、と瞬時に反省する。下手にツッコまれたらどうするのだ。妄想彼氏にされていたなんて知ったら、きっと気持ち悪いって思われる。

 私は、湯呑のお茶に手を伸ばし、お茶を飲みほした。

「とにかく、ご心配には及びません。鬼頭さんはご自身の恋人さんの方を心配すべきですよ」

「俺の恋人?」

「仕事とはいえ、私みたいな女を部屋に泊めたりして。絶対、心配していますよ」

 私は、飲み終わった湯呑を盆において、立ち上がった――はずだった。

 腕をグイッと、つかまれ私はバランスを失う。

「君は無防備すぎる」

 気が付くと、私の身体は鬼頭の膝の上に引き寄せられた。

「仕事なら、誰でも部屋に入れるわけじゃない」

 鬼頭の甘いテノールの声が耳元で囁く。温かい息が耳にかかった。

 鬼頭の腕に囚われるように私は抱きすくめられている。心臓が跳ね上がった。

 これは夢だろうか? いつから私は、起きながら夢を見るようになったのだろう……背中から伝わってくる体温は、白昼夢にしてはリアルすぎる。動悸の音が部屋に響きそうだ。

「仕事じゃなければ、俺は――」

 ブーン ブーン

「……携帯?」

 鈍いバイブ音が響いた。私のものではない。

「クソッたれ」

 鬼頭は、悪態をついて、私の身体から手を離し、電話を手にした。

 背中に感じていた体温が、急に遠くなる。

「俺だ……ああ、わかった……ご親切にどうも。すぐ行く」

 鬼頭は電話を切ると、大きく息を吐き、湯呑をお盆にのせた。

「……迎えが来た」

 何事もなかったかのように、彼はそう言って、後片付けを始める。

 先ほどのことは、やはり白昼夢だったのかもしれない――私は、ふわふわする頭を自分のゲンコツで叩きながら、背に残る彼の温もりを追い出すことにした。


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