警告
「中島さんだね」
男はそう言って、にこやかに笑った。
「何のご用でしょうか?」
私は後ろに手をやって、ミサンガに触れながら、辺りを見まわす。
このあたりは、人通りが多く、まだ日は明るい。大声を出せば、他人に無関心な都会とはいえ、警察に通報くらいはしてもらえそうではある。下手に走って逃げて、人がいないところに行ったほうが危険だ。
まして、相手は霊能力者。足で撒けたとしても、どこまでも霊的に追跡される可能性がある。
私は男を注意深く見た。
濃い目の茶色の髪。端正な顔だち。カッコイイというには、目が大きすぎて眼光が鋭すぎる気はするが、野性味を帯びているといえなくもなく、人目を引く容姿だ。身長、体格は、鬼頭と同じくらいだが、この男の方が威圧的だ。ノーネクタイのYシャツ姿。ラフなビジネスマンスタイルだ。
男は、両手をあげて、敵意のなさをアピールしながら近寄ってきた。この前のような、粘りつくような感触はなく、瞳の冷たさも、影も前ほどは感じなかった。
「警戒しなくても、何もする気はねえよ。話がしたい」
「それを信じろと?」
いつでもミサンガを切り落とせるようにしながら、私は男を睨みつける。震えそうなのを知られたくなくて、唇を噛みながら、精いっぱい虚勢を張った。
「これだけの往来の激しい場所で、アンタをどうこうしたら、さすがに目立つ。それは、オレとしても、いろいろ不都合がある」
「どのようなお話で?」
「ここでは、ちょっとな」
彼はそう言って、目の前のケーキの有名な喫茶店を指さした。大きすぎる目が、ほんの少しだけ和らいだ光を帯びる。
「少しだけでいい。ケーキくらいおごる。アンタにも損はない話だ」
「……電話をして、人を呼んでも良いのであれば」
「かまわんよ」
男が頷くのを確認して、私は、視線を外さないように気をつけながら、カバンから電話を取り出した。
『はい、こちら防魔調査室です』
女性の声が答える。そうか、これ、オフィスにつながるやつで、鬼頭への直通番号じゃないのだ、と、思うと、なぜだか少し胸が痛んだ。
「あの……中島と申します。鬼頭さんに話がしたくて」
『鬼頭ですね。少々お待ちください』
数秒のコール音のあと、『どうした?』と、テノールの声がした。
「会社の前で影追いの術者さんとお会いしまして、話をしたいと言われております」
『え? どういうことだ?』
「私にもさっぱりですが」
『場所は?』
男は私の様子を面白そうに眺めている。特に何かをしようとしているようには見えない。
私はそれでも警戒を解かないようにしながら、鬼頭に今いる場所を説明した。
『……すぐにはいけない』
ぼそり、と鬼頭が呟く。それはそうだろう。いくら霊能力者とはいえ、空間転移する訳には行かないだろうから、物理的な距離はどうしようもない。
『出来るだけ早くいく。電話は切らずにずっとつないだままにしておいて』
私は間抜けに電話に頷いた。
「連れが後から来ますが、よろしいですか?」
「オッケー。こっちは構わんよ」
私は鬼頭にその旨を告げ、電話を切ったふりをしながら、そのままかばんに入れる。電話の電池が切れるまでは、ある程度、会話は聞こえるハズだ。そう思うと、少しだけ心強かった。
「じゃあ、行こうか」
彼は私が付いてくることを疑いもせず、先導して店に入った。
ケーキの美味しい店との評判があるため、店内は、女性が多く、男性の彼はとても目立った。
私の警戒心を解くように、わざと注目を浴びているように見えなくもない。その眼光が鋭すぎることをのぞけば、何かをしでかそうとしているようには見えなかった。
私は、緊張したまま、彼の前に腰かけた。腕のミサンガに、指をかけたまま、女性の店員が水を運んで来てくれるのを、姿勢を崩さずに待つ。
「オレ、珈琲とチーズケーキね」
「私は、アイスティとガトーショコラで」
女性が復唱して去るのを目で追ってから、男はくっくっと笑った。
「意外と、普通に注文したね」
「おごっていただけるのでしょう?」
食意地がはっているのは事実だ。それどころではないのに、反射で頼んでしまった。
緊張して、喉を食べ物が通らない……というほうが、可愛らしい女性っぽいのに我ながら残念だとは思う。
「その図太さ、気に入った。顔はちょっと地味だけど、身体は実に好みだし、いいね、アンタ」
にやり、と男は笑いながら、じろじろと私の胸元に目をやる。完全に、視線はエロ親父だ。せっかくの美形が台無しである。だいたい、付き合ってもいない男に『身体が好み』って言われて、素直に喜ぶ女はあまりいない。セクシーとか言うなら嬉しいかもしれないけれど、口説き文句としてはサイテーレベルである。
「殺されそうになった相手に、セクハラ発言されて喜ぶほど間抜けではありません」
美形だからって、いつでも女がなびくと思わないでほしい。干物女にだって、選ぶ権利はあるのだ。
私は彼を睨みつけた。
「言っておくけど、それ、たぶんオレの従兄だ。オレはアンタと初対面だから」
「従兄?」
「そ。あんたが会ったのは、オレの従兄の磯田隼人(いそだはやと)。念のため、フォローしておくと隼人は、アンタを殺す気はなかったはずだ。さらう気は満々だったとは思うけど」
殺す気がないにしろ、危害を加える気は満々だったという時点でアウトだと思う。
「あなたでないという、証拠は?」
私の問いに、彼は首をすくめた。
「霊波が全然、違うだろ?」
「霊波?」
なんのことだかわからない。
「お待たせいたしました」
店員が、頭を下げて、注文の品をテーブルに並べていく。
私達は、彼女が去るのを辛抱強く待った。
「えっと、ひょっとして、そこまで霊力高いのに、わからない?」
呆れたように彼はそう言った。
「私、霊力、高いのですか?」
鬼頭もそんな話をしていたが、どうにもピンとこない。
はあっと、男は深くため息をついた。
「世紀の神事を行うハズの巫女姫が、ど素人かよ……」
よくわからないが、男はかなり失望した目で私を見る。
「何の話です?」
私の問いに、男は仕方ない、という顔をした。
「潮神社(うしおじんじゃ)って神社ってわかる?」
「さあ?」
「寂れた海沿いにあるふたつの宮からなる神社だ。この夏、二百年に一度、宮の神体を入れ替える時期になっている。神の身体を一度、巫女におろし、神を宮から宮へと運ぶ」
「おろして、運ぶ?」
「そ。いわば、神の神輿だ。で。君はその巫女の候補だ」
「聞いたこと、ないです」
「今、話した」
そういう問題ではない。
そんなものに、立候補した覚えはさらさらないのである。そもそも、そんな神社、たぶん、行ったこともない。
「候補っていうことは、他にもいるのですか?」
「あと二人。ひとりは八十のばあさんで、もうひとりは、年齢は十五だが、病院に長期入院中だ」
「なんですか、その人選?」
私の問いに、男は苦笑する。
「仕方ないだろう? 潮田家(しおたけ)の血筋の女性は、それだけしか残っていない」
「潮田?」
私は首を傾げ……ようやく気が付く。
私の死んだ母の姓だ。私の母が死んだのは、三歳くらい。
母の両親は結婚した当時に既になかったらしく、私は母の郷里に行った記憶はない。
母の墓は、父の血族の方にあるので、薄情かもしれないが、本当に縁がないのだ。
「潮田の家には、女が生まれにくいらしい。アンタは、本家から見れば、かなり枝ではあるのだが巫女に適正な人材は、ほぼ、君しかいないわけ。もっとも、潮田の家じゃなくても、巫女適性があれば誰でも可能だとは思うけどね」
母の実家がそんなややこしい血筋なんて、初めて聞いた。
「祭りは、金もかかるし、人手が足りないから、誰もやる気はないんだけどね。そもそも、潮田の家自体が、すでに神社から手を引いていて、伝承はほぼ残っていない状態だ。古い時代からの神事なんて人知れず消えていくものではあるが」
ふうっと男は息を吐いた。
「『神』を運ぶということは、その間、巫女の身体に神が宿ることだというのは、理解できるか?」
「なんとなく」
「その巫女を手に入れるということは、『神』の力を得ることだ、と、解釈できる」
深刻な話をしているはずなのに、男は優雅にチーズケーキを食べる。
ほんの少し満足そうな笑みが浮かぶところを見ると、強面のくせに甘党なのかもしれない。
「で、従兄は、アンタを狙っているって訳」
「なぜ?」
「知らねえ。オレは隼人じゃないから」
「では、あなたは何を狙っているの?」
私の問いに、男はニコリと笑った。
「とりあえず、警告だ。潮田の家は、今更、祀りをする気はないだろう。神の力は弱くはなるだろうが、祈るもののいない神を祀ることは、あまり意味がない。それならばそれでもかまわない。だが、神の力を欲するものはいる。夏の間、従兄をはじめ、アンタを狙うものが現れるのは間違いない」
「どうすれば、やめていただけるので?」
「神運びを終えてしまえばいい。オレが手を貸す」
すうっと、手が伸びて、私の手に触れそうになった。
「ずいぶん、親切だな、磯田空(いそだそら)」
パシリと、男の手が払われ、テノールの声がした。
「鬼頭さん」
険しい顔をして、鬼頭は私の隣に腰をおろした。
「親切心で言っているからな」
ニヤリ、と男は笑う。
「潮田の血族をたどれば、適任者は中島優樹菜だけだ。彼女が狙われるのは間違いない」
「迷惑です」
私がそういうと、彼は、クックッと笑った。
「だろうね。いや、面白いな、アンタ」
私は別に面白いことはひとつも言っていない。
男、磯田は、名詞を一枚テーブルに置き、レシートを持って立ち上がる。
「オレの手が欲しくなったら連絡しな」
「……お前は、神の力を欲していないと、言えるのか?」
鬼頭の言葉に、磯田は首をすくめた。
「磯田の家の力は、もともと神の力だよ――じゃあな、巫女姫。楽しいデートだった。次はベッドでな」
バチンと、ウインクをとばして、磯田は店を出て行った。
「……どういう意味?」
鬼頭が顔をしかめて私を見る――私が教えてほしかった。
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