桜木恵子は考える 2


 有言実行。正に授業開始一分前に学校へ到着した私は、クラスが違う美咲と別れ三組の教室に入った。

「あ、けいちゃんだ。おはよぉ」

 横開きの扉を開けると、クラスメイトの高峰たかみね志穂しほが気の抜けた朝の挨拶をしてきた。美咲とは対照的な性格の彼女は明るめの綺麗な茶髪を肩まで伸ばしており、けばけばしく無い程度に化粧をしている。

 椅子に座っている童顔の彼女がこちらに向かってにへらと笑った。

「おはよー、しほ。相変わらず眠たそうだねぇ。また夜遊びしてたの?」

 私が問うと志穂はゆるりとかぶりを振った。そのままのっそりとした動きで机に突っ伏すと「四時寝だから余裕だぜぇ」と右手でサムズアップをして見せた。

欠伸あくび混じりに『余裕』って言われてもねぇ……」

 私は今にも寝息を立てそうな志穂を尻目に、自分の席に着くと机の上に鞄を置いた。その時、ガコンと鈍い音が小さな衝撃を伴って響いた。

「……?」

 鞄を開き、水筒や化粧道具でごった返しになっている中に手を突っ込む。

「あ、道理で重かった訳だ」ポツリと呟くと、種種雑多な鞄から手を引き抜いた。

 どうやら昨日、寝ぼけながら『道具』を片していたせいでサバイバルナイフが紛れ込んでしまっていたようだ。

 別に誰も私の鞄の中なんて覗かないだろうし、気にする事じゃないか。などと考えていると、始業のチャイムがスピーカーから流れた。

 ガラガラと音を立てて扉が開くと、地学教師のチンタオが現れた。本名は青島あおしま猛男たけお。中国に青島と書いてチンタオと読む地があるのだが、地学の授業中に地図帳でそれを発見した誰かがあだ名を付けたらしい。

 チンタオの由来を初めて聞いた時、センスの塊だと私は思った。近所に青島さんが住んでいるのだが、玄関前の表札を見る度にチンタオの文字が頭に過るようになった。いや、なってしまったと言うべきか。それが意味もなく辛かったりするのは、私があまりチンタオの事を好いていないからだろう。

「全員ちゃんと席に着けよー、早速昨日の宿題の点検するからな!」

 ひょろっちい割に声が大きいチンタオが言うと、どこからともなく「えー」という声が上がった。

「え、宿題ってなんかあったっけ?」

 お調子者の志垣しがきいさむが全体に聞こえるボリュームでそう言うと「またお前はやってきとらんのか! 今日の課題倍にするぞ!」と叱責されていた。

 志垣勇は高身長で中々のイケメンなのだが、勉強ができなかったりデリカシーゼロ発言を無意識でしたりと、中身がなんとも残念な野郎である。

 私は一連の流れを他人事のように右から左へスルーしていたが、課題をやったノートがどこにも見当たらなくて焦った。

 やばい、どこにもない。

 私は胸の内で大きく溜息をつくと、諦めの境地になった。

 こんな事いつもなら無いのに……成績優秀真面目キャラで通してる私にとって課題を提出しないなんて以ての外である。

面子めんつに傷がつく」

 ボソリと呟いた言葉は虚しく消えた。

「あ、そうだ。忘れる前に言っておこう。桜木、お前放課後職員室に来てくれ」

 チンタオに唐突に名指されて、心臓が飛び跳ねた。身体を硬直させ、目だけを合わせると上擦うわずる声で返事をした。

「な、なんでですか?」

 心拍数が上がり、ばくばくと動悸が早くなる。

「……やっぱり忘れてたか。風紀委員長は今日会議に出席しなきゃだろ? そのための資料があるんだが、忙しくて僕は顔出せないから取りに来てほしいんだよ。伝えたのが先週だったから忘れてるだろうと思ってな」

「あ、あぁ! 会議! 言われなくてもちゃんと覚えてますよ。先生のそれは杞憂です!」

 思わず早口で答えると「それもそうだな」とチンタオは納得したように頷いた。

「よし、じゃあ授業始めるぞ」

 そう言ってチョークを手に取り黒板に文字を書き出した。

 私は安堵の溜息を吐くと、自然と鼓動も落ち着いた。

「助かったー」隣で志穂がポツリと言葉を吐いた。

 何が助かったんだよ。と心の中で吐露すると、私の視線に気付いた彼女が「あいつ今の会話で課題の事忘れてやんの」とチンタオをこっそり指さした。

「……あ、ほんとだ。今のうちにやっとこ」

「いいや、あいつは今日回収しない」

「なんで言い切れるの?」

 ヒソヒソと会話を続ける。

「ふっ、女の勘さ」

「そんな事言って後で痛い目見ても知らないよ?」

「よし、じゃあこうしよう。あいつが課題を回収するしないで賭け合おう。当てた方がジュース奢りで」

「乗った」

「こら、そこ喋らない」

 チンタオに注意されたがそれ以上は何も無かった。

──ねぇ、先生。課題は?

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