少年少女異世界理由紀行

万路唯波/バンロイヴァ

序:少年少女と始まりの剣

 見渡す限り、木の葉と草むらと木の幹が描く奇妙なストライプ模様の空間が延々と続く大森林。そこにあって妙に浮いた格好の男女2人組が話をしている。

 話しかけているのは、あちこちにうねって跳ね散らす癖っ毛の、パーカーにジーンズにスニーカーの少年。相槌を打っているのは、長い髪でざっくりとポニーテールを作ったTシャツにサロペットにスニーカーの少女。共通しているのは黒髪に黒目、形や柄は違えど荷物で膨れたリュックを背負っていること。歳は察するに、10代後半。具体的には18歳ぐらい。

「んで授業が終わるだろ?」

「分かる」

「行く必要もない音楽室行くだろ?」

「分かる」

「後輩にちょっかいかけつつ楽器で遊ぶだろ?」

「分かる」

「んで適当に学校出るだろ?」

「分かる」

「なんかどっかから『みぃつけた』って聞こえただろ?」

「分からない」

「そんで次の瞬間森のど真ん中だろ?」

「クソ分からない」

「分からねえよなあ」

「分かりみが浅過ぎて怒髪天」

「それは分かる。なんか分かる」

 少し前から分かるだの分からないだのと投げやりな会話のキャッチボールを繰り返しているが、彼らがこの森に来るまでの経緯と言えばまさに彼らの話す通りなのである。

 みぃつけた──不気味にリバーブのかかった、男とも女ともつかない曖昧な調子でそう嗤うその声を聞いた直後、目の前が暗転し、それが明けたらこの有様。脈絡もへったくれも無いこの状況に彼らはただ困惑し、考察もままならずにいた。

「時に、黒谷さん」と少女は少年を呼んだ。

「なんですかい我妻さん」と少年は少女に返した。

「歩いてみますか」

「奇遇っすねぇ。俺もそう言おうと思ってまして」

「そんじゃ出発しんこーう」

「イエッサーじゃなかったイエスマーム」

 そうして何処を目指すでもなく歩き出す。が、会話は途絶え、ただ草むらを踏みしめる音だけが鳴る。

「あのさあ」「あのさあ」

 口を割るタイミングが見事に重なり、また黙る。一瞬見合わせた互いの顔から、少年は少女の不安を、少女はこの場の異質さを悟った。ヤバい──幼馴染の顔はそう言っていた。そうしてまた2人が下草を踏みしめる音だけが場を支配する。そう、2人が踏みしめる音だけが。鳥の声、虫の羽音、葉擦れの音さえも無いその森は、ただただ死んだように静かだった──


「ねえ」


 少女がある一点を指差して少年を呼び止めるまでは。

「どした?」

「あの木」

 少女が指差しているのは1本の木。他となんら変わりのない、いたって特徴もない1本の木。

「あれだけ他と違わない?」

「……本当だ」

 しかし、2人は物珍しげに近寄り、真剣な眼差しを向ける。周囲の木を観察して、またその木に視線を戻す。「なんなんだろうなあ」と少年が何の気なしにその木に手を触れた瞬間のことであった。


『まってたよ』


 不気味にリバーブのかかった、男とも女ともつかない曖昧な調子の声。あの声だと気付くが早いか、木が突如として眩い光を放ち辺りに猛々しく風が吹き荒れた。驚きに声を上げ顔を庇いながら2人は後ずさる。飛ばされる──! そう必死になったのもつかの間、気がつけば風は止んでいた。

「ね、ねえねえ、大丈夫? 何? 何今の? 生きてる? てかアタシ生きてる? 大丈夫? アタシ生き、て、る……」

「な……なん、だ、これ……?」


 目を見張った。


 鬱蒼と生い茂るばかりだった木々の中にぽっかりと広場が姿を現した。青磁のような不可思議な色合いの光が一帯を淡く覆い、幽かに霧が漂っている。そしてその空間の中心、2人の視線の先には泉があった。静かに波紋を描く水面の、その中心には──剣。一振りの長剣が真っ直ぐと突き刺さっていた。

「ほんっともうなんなのこれ……?」少女は声を震わせながら口の端を吊り上げ、

「あー……これは……」少年は頭を抱え、


 異世界だ──2人は違うトーンで口を揃えた。


「ねえねえ」

「なんだよ」

「絶対アレ引っこ抜いたらなんか起こるよね」

「うん……まあ……露骨に調べろと言わんばかりの配置だもんなあ……どう見ても退魔なソードかエクスなカリバーか……でもそういうのって大概なんかやべーイベントのトリガーになってたりするんだよなあ、いやちょっと待てまずなんで俺らが……」

 目をキラッキラさせる少女は小躍りしながら、眉間に手を当てる少年の肩をバシバシ引っ叩き言い放った。

「見てくる!」

「は?」

 唖然とする少年を置き去りに、少女は二足飛びに泉に飛び込んだ。水深は足首程。スニーカーやサロペットが水に浸かるのも厭わず、呼び止める少年の声もどこ吹く風と目的の剣の元へざぶざぶ歩いて行く。

「あのさあ……あー、あんま余計なことすんじゃねえぞ? 周り見てくっからよ」

 泉から離れて行く少年に、少女は「あーい」と気の抜けた返事。そうして辿り着いた剣の前で屈み込み、まじまじと観察する。

 光に満ちたこの空間の中で、一ヶ所だけ色彩が抜け落ちたかのような両刃の剣。少女の腰よりやや低い位置にある柄には黒い革が螺旋状に巻かれ、見るからに握り心地が良さそうだ。刃の根元を、歯車のような形をした黒い物体が支えているのみで、鍔はほぼ無いと言って差し支えない。その歯車擬きの中央には灰色の石がはめ込まれているが、燻んで輝きは鈍い。切っ先を泉の底へ沈めた鈍色の刀身は薄く平坦で、文字らしきものの羅列が小さく刻まれている。

「んんー?」

 少女は首を傾げてその文字らしきものに注視した。平仮名でも片仮名でも漢字でもない。アルファベットでもキリル文字でもギリシャ文字でもない。幾つかの線と点と図形を組み合わせた、文字というより幾何学模様と言う方がしっくり来る。が、少女の視線はそれらひとつひとつをゆっくり辿って行く。確か、これは、こんな。

「と……と、ざ、す……ふ、ふた、たび……」


 トザス フタタビ ヒラクタメニ

 ヒラク フタタビ アユムタメニ


 そんなことを読み取って、少女はまた首を傾げた。更に続きがあるらしいのだが、掠れてうまく読めないのだ。

「うんまあど〜せこの剣でしょ? 引っこ抜けば開くんでしょ? 扉開いちゃうんでしょ? ていうか引っこ抜かなきゃなーんも始まらないんでしょ? 知ってんだから」

「どうしたー? なんかあったかー?」

「いや別にー?」

 森の中から飛んできた少年の声を適当にあしらい、少女は剣の柄に手をかけた。

「お?」

 驚いた。見た目以上に軽そうだ。そんな気がする。

 自分の力でもあっさり引っこ抜けるかもしれない、と少女は柄を両手で掴んで力を込めた。それを目撃した少年は瞠目し叫ぶ。

「オイ馬鹿何やってん──」「よいしょっ!」

 が、それさえも遮って少女は泉から剣を引き抜いた。

 途端に文字通り堰を切ったように泉から水が溢れ始め、瞬く間に勢いを増し広場を覆っては2人の足元を掬う。慌てふためく少女に、「馬鹿野郎!」と少年は叫ぶ。

「余計なことはすんなっつったろうが!」

「いやだってどう考えてもこいつをどうにかしなきゃ何も起こんないって!」

「まーたその勢いかよ!」

「アンタもそう言って、森の中になんかあったの!?」

「あったんだよ! なんか墓みてえなの、がっ、うわっ!?」

「ちょっ!?」

 水は尋常ならざる勢いで嵩を増し、口論の合間に2人の膝上まで水位が上昇していた。溢れ出る勢いも相まってバランスが取れず、2人とも派手に水の中へ転んでしまう。少女は引き抜いたばかりの剣を辛うじて地面に引っ掛け、なんとか少年の元へ近づこうとするが、そうこうしている間に水位は更に上昇する。激しい水流に押し流され、剣もロクな支えになってくれやしない。足元をさらわれ、胴を突き飛ばされ、必死に伸ばす腕は気がつけば水をかいていた。

「さっ、ら……!」

「っか……る……!」

 喘ぐ喉を嘲笑うように水が塞ぐ。体が浮かないと思ったら、そういえば学校帰りだった。そんなことに思い至った時には、とうに呼吸の自由は奪われていた。

 水流に全身を捕らわれ、上へ下へと弄ばれ、そんな中こちらに手を伸ばす幼馴染の影を辛うじて視界に捉える。が、届かない。息が、出来ない。ド畜生が──声が届けばそう喚いていただろうが、ごぼごぼと水が暴れる音に聴覚を遮られ水圧に胸腔から酸素を絞り出され、足掻けど足掻けど何一つ叶わないまま、意識がすり潰されて行く。



『おはよう』



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