書籍試し読み『会計探偵リョウ・ホームズ 』

Rootport /「L-エンタメ小説」/プライム書籍編集部

1章 墨色の研究 A Study in Black-ink

第1話 たとえ1ペニーの過不足でも解いてみせよう


 彼女はカネにならない仕事はしない。だから依頼人(クライアント)が部屋に入ってきた瞬間、ぼくには結末が分かった。依頼人が子供――双子の少年だったからだ。


「――悪いが、そんな依頼は受けられないな」


 わが同居人、リョウ・〝ホームズ〟・ランカスターは即断した。思った通りだ。


「「そんなぁ!」」


 双子は揃って両手を上げる。年齢は十歳ぐらいだろう。名門私立学校(パブリック・スクール)の制服のような身なりをしているが、よく見ると袖口がほつれ、シャツの襟は汚れていた。


「人捜しだって? なぜ私がそんな仕事をしなければならないんだ」


 彼女がかぶりを振ると、長い黒髪がさらさらと流れた。黒玉のような瞳、象牙のように白い肌、小ぶりな鼻筋――。東洋の血が混ざっていると一目で分かる。


「だってお兄さんは探偵でしょう、ミスター・ホームズ!」


「オレたちの仲間を捜してよ!!」


 双子は口々に言う。

 ため息を漏らしつつ、リョウは脚を組み替えた。

 スーツのズボンに包まれた長い脚。

 二十歳になるかならないかの女が――それも、東洋生まれの女が――一人で生き抜けるほど、この都市(ロンドン)は優しくない。男装は彼女の自衛手段だ。幸い、日本人の顔を見慣れている人間は少なく、性別を偽るのはたやすかったようだ。リョウ曰く、最初から彼女の性別を見抜いたのは、ぼくが初めてだったという。

「探偵だって?」とリョウ。


「玄関先に看板を出しておいただろう。真鍮製の小さなプレートだ。それを見なかったのか?」


 双子の兄はブレザージャケットの裾を握りしめながら言った。


「だって、『探偵社ホームズ』って書いてあったもん」


「そうだよ! 『なんとか探偵社』って」


 リョウは目を伏せる。ばさり、と風が巻き起こりそうなほど長いまつげ。


「その『なんとか』の部分が大事なんだけどね」


 双子は顔を見合わせた。


「なんとか?」


「たしか、Aで始まる単語だったよね……?」


 男装の麗人はにわかに大声を出した。


「おい、ワトソンくん! 教えてやってくれ!!」


 急に声をかけられて、ぼくは標本箱を落としそうになった。「うわっ」と思わず悲鳴が漏れる。通販で購入し、昨夜届いたばかりの《北ウェールズ鉱石コレクション》だ。鉱石九個セットで五ポンドもした。目下のところ無職、無収入、求職中のぼくにとって、分不相応に高い買い物だ。標本が割れでもしたら泣くに泣けない。


「――前にも言ったよね、荷物の整理中は声をかけないでくれって!」


「ならば私だって前にも言ったはずだ。無駄遣いは控えるべきだとね」


「無駄じゃないさ! ぼくが博物館での仕事を探しているのは知っているだろう。これは将来のための投資だよ」


 「投資だと?」リョウは笑った。「もしもそれを投資と呼ぶのなら、一度でも利益を上げたことがあるのか。石ころや干し草を買うことが就職に繋がるのなら、なぜ君はこんな平日の昼間から部屋で油を売っているのかな?」


「干し草じゃなくて、植物標本だよ」


 反論する声にいまいち力が入らない。


「たしかに、まだ結果は出ていないけど……。でも、いつか必ず――!!」


「利益を出せないなら、それは投資ではなく浪費だ。買っているものが鉱石だろうと証券だろうと同じだよ」


 ぐうの音も出ない。


「それで、ミスター・ホームズ」と双子の兄。


「探偵じゃないなら」と弟。


「「あなたはいったい、何者なの?」」


 彼女の代わりに、ぼくが答えた。


「表の看板には、会計(アカウンタント)って書いてあるんだよ」


「会計探偵……」


 ぽかんとする双子に、リョウはふっと笑いかけた。


「帳簿に秘められた謎を解くことが私の専門でね。お金にまつわる事件なら、たとえ一ペニーの過不足でも解いてみせよう」


 このぼく、エラズマス・〝ワトソン〟・フッカーが彼女と知り合ったのは一ヶ月前。実家からの仕送りを停められたばかりの頃だった。いい歳していつまでもふらふらしているぼくに、父は愛想を尽かしたのだ。

 あにはからんや、この都市の下宿代がかくも高額だったとは。今までの部屋に住み続けることは叶わず、追い出されるように退去した。しかし、すごすごと田舎に戻るようなぼくではない。新聞の個人広告欄を血眼になって探して、ついに同居人募集の情報を見つけた。場所はベイカー街、家賃は破格。当然ぼくは飛びついた。

 で、その部屋で待っていたのが彼女というわけだ。

 リョウ・ランカスターは英国人の父と日本人の母から生まれたらしい。極東のどこかで育ち、言いしれぬ事情があって、たった一人でこの国にやってきた。当時、リョウはとある事件の調査中で、解決のためにどうしても男の同居人を必要としていた。この事件については、また別の機会にお話しするとしよう。

 事件の解決後、リョウは「ルームシェアを続けよう」と言った。ぼくのことを気に入ったのか、それともただの気まぐれか――。彼女が何を考えているのかは分からない。とはいえ、求職中で住所不定のぼくにとっては、またとない申し出だった。

 彼女に「ホームズ」というニックネームをつけたのはぼくである。つい先日、ベイカー街を根城にする探偵の小説を読んだばかりだったのだ。すると彼女は楽しげに笑った。ならばさしずめ君はワトソンだな――と。

 こうしてぼくらは「ホームズ」「ワトソン」と呼び合うようになった。彼女はこのあだ名がいたく気に入ったらしく、真鍮製の小さな看板まで作らせた。


 しかし、せっかくのプレートも、きちんと読まれなければ形無しである。


「残念だが君たちのような依頼は受け付けていない。人捜しなら警察に相談すべきだね」


「「でも――」」


 食い下がろうとする少年二人を、リョウは片手を上げて制した。


「第一、私に頼むと高くつくぞ。君たちは身なりこそきちんとしているが、古着なのは一目瞭然だ。相談料を支払えるとは思えない」


「それは……何年かかっても、働いて返します!」


「僕たちはちゃんと仕事に就いていますから!」


「ほう」リョウは片眉を上げ、こちらに目配せした。


「その点では私の友人よりも尊敬に値するね。いったい、どんな仕事を?」


「オレたちは清掃会社で働いているんです。お客さんのお屋敷に出向いて、掃除を請け負う仕事です。平日には、ほぼ毎日客先に出向いています」


「うちの親方は、一回仕事するたびに二シリング六ペンス(※ペニーの複数形)を支払ってくれます。一ヶ月ではだいたい――」


「約二ポンド一〇シリングだな」


 リョウは即答した。双子は目をぱちくりとする。


「そ、そうです……」


「ホームズさん、計算めちゃくちゃ早いですね」


 彼女は「ふん」と小さく息を漏らす。


「初歩的なことさ。そろばんを使うまでもない」


 そろばんとは東洋の計算器具のことだ。どこで学んだのか知らないが、日本式そろばん術はリョウの特技である。ぼくたちイギリス人なら紙とペンがなければとても解けないような数字でも、彼女は一瞬で計算してしまう。


「君たちだって一ポンドが何シリングかは知っているだろう?」


「二〇シリングですが……?」


「そして君たちは、平日にはほぼ毎日仕事があると言った。一ヶ月に二十日ぐらい稼働していると考えていいだろう。ならば計算は簡単だ。一日の収入がほにゃららシリングなら、一ヶ月でほにゃららポンドになる。『ほにゃらら』の数字がいくらだろうとね」


「オレたちの収入は一日あたり二シリング六ペンスです。ペンスの部分は――?」


「おや、君は一シリングをペンスで言うといくらになるのか知らないのかい?」


「もちろん一シリングは一二ペンスですけど……」


「だったら、やはり計算は簡単だ。六ペンスかける二十日間で一二〇ペンス。ぴったり十シリングになる」


 一ポンドは二〇シリング、一シリングは一二ペンス――。

 ロンドンの住人なら必ず知っている換算式だ。


「いずれにせよ、私に仕事を依頼したければもう少しカネ回りがよくなってからのほうがいいだろう。私とて、君たちのような子供に莫大な借金を背負わせたくはないからね。というわけで、今日のところはご退出いただければ――」


 リョウのセリフを遮って、ドアをノックする音がした。


「あら、ご来客中だったのね」


 ドアから顔を覗かせたのは、マーガレットおばさん。ぼくらの下宿の女主人だ。丸顔で、丸々と太っていて、頭の後ろで髪を丸い団子にまとめている。全体的に円で構成された輪郭の女性だ。


「お夕食が必要かどうか訊きにきたのだけど……。出直したほうがいいかしら?」


「私はいつものローストビーフでかまわないよ。ワトソンくん、君は?」


「異存ない」


「承知しました。それにしても、可愛らしい依頼人さんね」


 リョウは苦笑した。


「可愛らしいご依頼をお断りしようとしていたところさ」


「その制服は、バクスター清掃社のものね?」


「ご存じなんですか?」


 ぼくが訊くと、おばさんはうなずいた。


「もちろんよ。三、四年前に開業した清掃業者で、身寄りのない子供を集めて働かせていたはず。『浮浪児たちに慈悲と仕事を!』ってキャッチコピーの書かれたチラシをよく見かけたわ」


「浮浪児を? 言っては悪いが、掃除を頼みたいなんて奇特な客がいるのか?」


「あたしもチラシを初めて見たときはそう思ったわ。だけど、その子たちみたいな小綺麗な格好をさせて、最低限の礼儀作法も教育している――というのがウリだったみたい」


 もじもじとしながら、双子の兄が言った。


「人気の理由は、他にもあるんです」


 弟が続ける。


「オレたち、ときには煙突の掃除も請け負っているんですよ」


「なんだって!?」


 ぼくが叫ぶと、リョウはきょとんとした顔で言った。


「驚くようなことか? たしかに最近ではオイルヒーターも出回っているが、暖炉の暖かさには敵わない。このロンドンに何本の煙突があるか考えてみたまえ。細くて狭い煙突でも、彼らのような子供なら奥まで手が届く。体が小さければ、くぐり抜けることだってできるだろう。煙突掃除にはもってこいじゃないか」


「たしかに君の言う通りだよ、小さな男の子は煙突掃除に向いている」


「だったら――」


「だけど子供に煙突掃除をさせるのは、とっくの昔に禁止されているんだ。労働環境があまりにも厳しいし、掃除中だと気付かずに暖炉に火をくべられて、蒸し殺されてしまうなんて事故も頻発したらしい」


「つまり、この子たちは違法な働かされ方をしている、と……」


 我が友人は眉をひそめる。


「待ってください!」と双子の兄。


「うちの親方は、その……。悪い人じゃないんです! かっぱらいとか万引きとかで生きてきたオレたちに仕事をくれたんです!」


「だから警察には言わないで!」と弟。


 ぼくとおばさんは顔を見合わせた。


「なるほどね、面白い商売を考える輩もいるものだ」


 リョウの瞳がきらりと光る。


「俄然興味が湧いたよ。『バクスター清掃社』……。それが君たちの就業先の名前に相違ないね?」


「「はい!」」


「改めて名前を聞かせてもらおうか」


「オレはジョンです」と双子の兄。


「ジャックです」と弟。


「ふむ、ジョンとジャック……。簡単すぎて逆に覚えにくい名前だな」


「J・J・ブラザーズと覚えてください」


「いいだろう、J・J・ブラザーズ。それで、君たちの仲間が消えたと言っていたね」


「そうなんです! オレたちの兄貴分だったやつなんですけど、朝起きたら、ベッドにいなくて――」


「もう少し、順を追って説明してもらえるか?」


 双子の話をまとめると、こうなる。

 彼らの親方はロイ・バクスターという四十がらみの男で、いつもスーツと山高帽を身につけている紳士然とした人物だそうだ。イースト・エンド地区の貧民街を歩き回っては、身寄りのない子供を集めているらしい。子供たちはバクスターの用意したアパートで共同生活を送っている。双子が毎日仕事に出ていると話していたことからも分かる通り、商売はそれなりに繁盛しているらしい。


「それで、消えたお仲間というのは?」


「オレたちと同じ部屋で寝起きしていたジョエルってやつなんですけど――」


「またJで始まる名前か……」


 リョウは頭痛をこらえるように目を細めた。以前、イギリス風の名前を覚えるのは苦手だと言っていた。


「ジョエル兄貴はオレたちの三つ年上で、今年で十四歳になります。バクスター清掃社で働く子供たちの中でも年長のほうで、みんなをまとめるリーダー的な立場でした。だけど、先週末の金曜日の朝でした。起きたらジョエルのベッドが空になっていて――」


「――アパートも、近所のどこを捜しても、見つからなかったんです!」


 今日は木曜日だ。ジョエル少年が消えてから、もうすぐ一週間になろうとしている。

 ぼくは口を挟んだ。


「家出でもしたんじゃないか?」


 双子は、しゅんと肩をすぼめた。


「バクスター親方もそうおっしゃっていました。たしかに、雇われた子供全員があそこに馴染めるわけじゃありません。家出するやつは珍しくないんです。金持ちの屋敷をせせこましく掃除するよりも、置き引きのほうが手っ取り早く稼げるから」


「だけど、ジョエル兄貴はそんなやつじゃありません! いつかバクスター親方みたいに自分の会社を持ちたい、まっとうなことをして稼ぎたい……。兄貴はいつもそう言っていました」


「なるほど、月収二ポンド一〇シリングの少年は叶わぬ野望を抱いていたわけだ」

リョウのセリフに、双子は冷水を浴びせられたような顔をした。


「おい、ホームズ。少しは言い方ってものを考えなよ」


「私は事実を言ったまでだよ、ワトソンくん。イースト・エンド地区のどんな貧しい家庭でも、月に四ポンドは稼いでいる。もちろん独り身なら生活費も安上がりだろうが、それでも開業資金を貯めるのに何年かかるか分からない」


「じゃあ、やっぱり……。ホームズさんもジョエル兄貴は家出したとお考えなんですか?」


「叶うはずのない夢だと気付いて、逃げ出したと?」


 リョウは肩をすくめる。


「さあね、それは監査の結果次第だ」


「監査?」


「捜査じゃなくて?」


「忘れたのかい、私は会計探偵だよ。……そのジョエル少年だが、失踪する直前に何か変わったことは無かったかな?」


 双子は首を捻った。


「うーん、変わったことと言われても……」


「いつも通りに仕事をして、メシを食って、寝て……。何も変わらなかったと思います」


「金銭関係のトラブルは?」


「オレの知るかぎりでは、無いですね。人からカネを借りることも貸すこともありませんでした」


「将来のためにお金を貯めていたみたいですが、どこにコインを隠しているのか、オレたちにも秘密にしていました。ジョエル兄貴がいくらぐらいお金を持っていたのか、正確なところは分かりません」


 ぼくは苦笑した。


「なあ、ホームズ。君はさっき月収二ポンド少々では大した貯金はできないと言ったよね。なのに、金銭関係のトラブルを訊くのは矛盾していないか?」


「矛盾しないさ。時と場合によっては、人は一ペニーのために殺人を犯す。貧しい生活をしていれば、なおさら一ペニーの意味が重くなる。……では、君たちの雇い主について聞かせてもらおうか」


「バクスター親方について?」


「さっきお話しした通りですが――」


「私が知りたいのは、もう少し詳しい人となりだ。たとえばバクスター氏には何か趣味はあったかな?」


「趣味と言われても……」と双子の弟。


「ロンドンの紳士なら、競馬やボクシングくらいは嗜んでいそうなものだが?」


「いいえ、そういうのは無いですね」と双子の兄。「バクスターさんが競馬場に行ったとか、ボクシングを観戦したとか、そんな話は聞いたことがありません」


「あ、でも、お兄ちゃん。バクスターさんの趣味といえばあれがあるよ」


「ああ、あれか」


「どれだ?」


「トランプです。『ブラック・ジャック』というゲームがお好きで、ときどきご友人と遊んでいたみたいです」


「年上の子供にはルールを覚えさせることもありました。ブラック・ジャックは『親』が必要なゲームです。子供に親をやらせて、練習の相手をさせていたんですよ。ご友人と遊ぶときに備えて」


 リョウは「興味深いね」と漏らしつつ、腕を組んだ。

 彼女の控え目な胸が、ふわりと盛り上がる。そのポーズを見るたびに、彼女の性別がバレやしないかとヒヤヒヤさせられる。


「訊きたいことは他にもある。清掃社の他に事業をやっているかどうか、共同経営者はいるかどうか――」


「清掃社の他には、たぶん会社は持っていらっしゃらないと思います。白状すると、オレたちもバクスター親方のところで働き始めて半年ぐらいなんです。だから、昔のことは分かりません。それこそ、ジョエル兄貴だったらそのあたりも詳しかったはずですが」


 ロイ・バクスターは、あまり自分のことを語りたがらない男だという。


「聞いた話では、最初は奥さんと二人でこの会社を興したそうです。だから、共同経営者といえば奥さんがそうなるのかな? でも、オレはその人に会ったことがありません」


「会ったことがない?」


「死んじゃったらしいんです、奥さん。事故で。一年くらい前に」


「たしか――。馬車に轢かれたって、ジョエル兄貴は言っていました」


 リョウは「ふむ」と息を漏らした。


「なるほどね……。だいたい分かったよ、ジョエル少年の消えた理由が」


 部屋にいた全員が息を呑んだ。


「本気で言っているのか、ホームズ!」


「なぜ嘘をつく必要が?」


「じゃあ、兄貴がどこにいるのかも分かったんですか!?」


「それは何ともいえない。少年が消えた理由についても、いくつか確認したい点が残っている。……君たちは一旦、仕事に戻るといい。この件については私に任せてくれ」


「「は、はい!!」」


 何度も「ありがとうございます」と言って、J・J・ブラザーズは去って行った。


 「真面目な良い子たちねえ」とマーガレットおばさん。「ワトソンさん。あなたも、あの子たちの勤勉さを見習ったらいかが? お仕事の選り好みなんてせずに」


 おっと、流れ弾が飛んできた。


「リョウコはね、あたしが古い知人から預かった大切な娘さんなの。あなたのようなどこの馬の骨とも知れない男と同居させていると知られたら、ご両親に顔向けできないわ。せいぜい早くお仕事を見つけて、新しい部屋も見つけてくださいな」


 ぼくは「へい」とか「はあ」みたいな曖昧な返事をした。

 リョウの性別を知っているのは、このロンドンに三人だけ。リョウ本人と、マーガレットおばさん、そしてぼくだ。


「だいたいねえ、ワトソンさん! 収入もないのに石ころやら干し草やらを買い漁るのは感心しませんよ」


「なぜそれを……?」


「あなたがご不在のときに届いた荷物を受け取っているのは、このあたしです」


「あれは干し草じゃなくて植物標本で――」


 意外にも、助け船を出してくれたのはリョウだった。


「まあ、そんなにイジメないでやってくれよ」


 彼女は外出用のマントを羽織り、どこかの国の海軍の帽子をかぶった。


「今のところ、おばさんの心配するような不埒な行為は受けていないよ。羊のように温厚で無害な男さ、ワトソンくんは」


「油断は禁物よ、リョウコ。男はみんなオオカミですからね」


 リョウはくすくすと笑った。


「彼がオオカミかチワワか――。その議論は、いつかお茶でも飲みながら楽しむことにしよう。今は、哀れなジョエル少年のことを調べるために彼の力を借りたい」


「ぼくの?」


「そうとも。私の知識はお金に関するものに偏っているからね。さっきの煙突掃除の話でも分かる通り、この国の文化風習については君のほうが詳しい。……それに、この国の紳士は幼少期に一通りの護身術を教わるんだろう? 剣術とか馬術とか、弓術とか。暴漢に襲われたときには、私の代わりに刺される程度には役立ってくれるはずた」


「ぼくの命を何だと思っているんだ!」


 というか、この国の紳士を何だと思っているんだ。中世の騎士じゃあるまいし。


「悪いけど、ぼくは標本の整理作業で忙しいんだ。今回は遠慮させてもらうよ」


 リョウは、にまーっと笑みを浮かべた。


「へえ、本当にいいのかい?」


「な、何が?」


「私はこれから、いくつかの銀行を回る。オーナーと直々に面談するつもりだ。そういう金持ち連中とコネを作っておけば、君の就職活動にも役立つだろうと思ったのだが……。いやあ、残念だな――」


「ま、待ってくれ」


「大切な干し草コレクションの整理に精を出すというなら仕方ない。今日のところは、私一人で出かけることに――」


「だから待てって! ああ、行くよ! ご一緒しますとも!!」


 彼女は満足げにうなずいた。


「分かればよろしい」


 くそう、いつか覚えてろ。


「では、君も急いで身支度を済ませてくれ。これからお会いする皆さんはご多忙だ。昼食時(ランチ・タイム)を逃したら面会できないぞ」


 そう言いつつ自分の作業机に近づき、彼女は武器を手に取った。

 ――すちゃ。

 華奢な手のなかで、そろばんが涼やかな音を立てる。


「さっそく監査開始だ」


 そして、思い出したように付け足した。


「ああ、そうだ。ワトソンくん、君の《北ウェールズ鉱石コレクション》を忘れずにね」


「は?」


「書類かばんにぴったり収まるサイズだし、ちょうどいい」


「何度も言うけど、これは貴重なもので――」


「だったら、なおさら結構だ。ぜひとも今回の監査作業で使わせてもらいたい」

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