異世界でプロデューサー

千人

プロローグ

 息苦しさを感じた。


 全身が浮遊感を伴って浮上していく感じだ。

 手足を動かそうにも、思考と連動してないかのように、一拍置いてから動いている感覚がある。

「なんだ、これ?」と思った途端──息苦しさが限界に達した。

 腕を伸ばし、足をばたつかせる。何かに足がついたのでぐっと踏ん張って体を持ち上げると、顔が何かの表面を突き破った。

「ぶはぁっ! おえっ……! な、なんだ……水……?」

 息を整えながら目をゆっくりと開く。


 真っ青の空に、千切れたトーストのような雲が浮いている。

 屋外のようだ。

 でも、なんで屋外にいるんだ? 

 俺は基本的に家から出ない生き方をしてきた。

 高校も中退してから行ってないし、部屋に引きこもってアイドルゲーム三昧。飯も家にあるものを適当に食べる毎日だったはずだ。


 視線を落とすと、水面に映った自分の顔があった。

 ちょっと目の下に隈があり、長めのぼさっとした黒髪がぐっしょり濡れている。着ている服も全身に張り付いてきていた。

 どうやら、服を着たまま水の中に入っていたらしい。


 現状はわかってきたが、こうなった経緯がわからない。

 俺は確かに基本的にはいつも部屋にいてジャージを着て、寝てるかゲームをして過ごしていたはずだ。


 外出したのはわかるとしても、服を着たまま池にダイブをかますような、アグレッシブ全開な行動をするようなタイプではない。

 むしろ逆だ。悪目立ちしないように心がけてきた。

 目立つといじめの標的になるからな。先輩よりもちょっとよい評価をもらっただけで、次の日には制服やらユニフォームがズタボロにされている。そんな世界では家に閉じこもって目立たないようにしているのが一番いい。

 それほど周囲を警戒していたはずの俺が、どういうわけか自分は服を着たまま全身浴を敢行していた? 本当に意味がわからないな。


 何があったんだったっけ? 


 …………思い出せそうで思い出せない。

 頭に靄がかかったというか、強い衝撃を受けて、その部分だけが抜け落ちたような忘れ方だ。

 腕を組んで考え込んでみたが、やはり思い出せそうにない。

「……なんか、寒くなってきたな」

 そういえば水の中にいたんだった。

 考え込むにしても、ひとまず水から上がろう。


 しかし、本当にここはどこなんだ? 俺が浸かっている水場は、ざっと見渡しても、直径100メートルほどもある。

 俺の暮らすベッドタウンには住宅街しかなく、公園に池であってもせいぜい直径30メートルが限界。こんなにバカ広い水場はない。

 加えて、この水辺やその周囲に生えている針葉樹林のような木々は高さが10メートルを超えており、かつ数が異様に多い。水場を取り囲むように植わっていることもあり、外部からの視線を完全にシャットアウトしていた。


 まるで自然のプライベートビーチだ。

 全裸になっていても、上空から覗かられなけば見つかることはないだろう。

 まあぱっと見、俺以外に人の姿はいないので、ばったりと裸の人物と出くわすなんてことはないはずだ。


 でも逆にこういう環境でよかったかもしれない。俺も着ている服を乾かすために、裸にならなきゃいけなかったから、背の高い木々が周囲にたくさんあるなら誰にも見られなくてすみそうだ。

 無人の水辺で本当によかった。


「ひゃっ!?」


「…………へ?」


 水の中を歩行中、不意に聞こえたか細い声が俺の思考を吹き飛ばした。

 濡れた全身からさらに冷や汗が噴き出す。


 誰かが、いた……。


 まずい! 本当に誰かのプライベートビーチだったのか……!?

 通報とかされちゃうのか!?

 俺のリアルがご臨終なさったのか!?

 いや、待て待て。

 もしかしたら鳥か何かの鳴き声かもしれない。

 きっとそうだ。さっきざっと見たとき、人の影はなかった。

 木々に隠れていて見えない部分もあったが、人の影はなかった……はずだ。

 確認しよう。


 首をゆっくりと、それこそネジの切れかかったゼンマイ人形に似た緩慢な動作で、か細い声のような音がした方向へ顔を向ける。


 そこには──太陽の光をいっぱいに浴び、黄金の奔流が煌めいている。


 ゆっくりと黄金の奔流──長い金色の髪が手でかき上げられ、その顔が露わになる。

 幼さをのぞかせる柔らかく白い肌、蒼海をほうふつとさせる青い瞳、桃色にふくらんだ唇が、可憐でありながらもリアルにはあり得ないような美しさを醸し出していた。

 ……素晴らしい! すべてが完璧である。ぜひとも『欲しい』!

 俺は全力で駆け寄ると、彼女の右手を両手で掴んだ。「……え?」と戸惑いのような声が漏れたような気がするが、今はそれどころじゃない。


 こんな女の子は滅多に出会えることはない。ここでしっかりと縁を結んでおかなければ『プロデューサー』失格だ。 


「俺の……アイドルになってくれませんか!?」


 街中で見つけた女の子をプロデュースするために必要なセリフを叫ぶ。

 イエスでもノーでも、これで『声をかけた』という縁は結べる。

 もし今日がダメでも、街中で彼女との遭遇率は上がるだろう。


 いやー、今日は実にいい日だ。

 これなら二回目の『アイドルセイヴァー』の大会もきっと優勝できるに違いない。

 そんなことを思っていると、目の前の少女の瞳が急激に潤み、唇はヘの字に急激に曲がった。

 白い鼻も赤くさせて……あ、なんか泣きそうになってる。

 おかしい、『アイドルセイヴァー』ではそんな反応をするアイドルは今までいなかったはず……。


 あれ? そもそもここってゲームの中だっけ?


 …………やばい。あまりにも現実離れした可愛い子がいたので、頭のネジが何本か飛んでいて、途中でゲームとリアルをごっちゃにしていたようだ。

 けれど、それだけ彼女が異彩を放っていたんだ。

 髪の毛は太陽の光を吸い込んだような金色、青くて大きく形の綺麗な青色の瞳、それでいて鼻が高く、体つきも細いのに、胸はグラビアも狙えるほどたわわで──。


「あ……」


 興奮してすっ飛んでいたが、彼女はその白肌に何も身につけておらず、生まれたままの姿となっていた。

 傍目で見れば、裸の少女の手を取って強引に連れて行こうとする男性(19)だ。

 間違いなくお縄である。

「ち、違っ」

「きゃぁぁぁっ!」

 否定しようとしたがもう遅かった。

 目の前の彼女は目尻に涙を溜めて、近くに置いてあった身の丈ほどもある巨大な棒のようなものを片手で持ち上げていた。

 すごい、腕なんて俺より二回りくらい細いのに意外とマッスル──

「ぐぎぃぉっ……」

 次の瞬間、巨大な剣が脳天に振り下ろされていた。


 これは、死んだかな……?


 意識をたやすく刈り取るほどの衝撃が脳を貫いて全身へと伝播する。

 どうやら。

 俺は社会的ではなく、リアルでも本当にご臨終するようだ。

 でもせめて最後に、もう一回『自分のアイドルたち』を見たかったなあ。


 薄れゆく意識の中、俺はそんなことを思っていた。

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