其ノ三






 ――結局、あれからエリザベスと喋る事はなかった。

 オレの指示に一々文句を言わないようになったと言えば良い事のように聞こえるかもしれないが、文字通り上の空。

 オレの言った事をずっと考えているのかもしれないが、話さない以上オレから訊く義理もない。


 むしろ、考える事すらなかった正真正銘の箱入りお嬢様からすれば充分成長と言えるだろう。

 それが最終的にどういう結論になるのかは別にして。


 まぁ、もっと大きな問題は、オレの本来のご主人様であるサシャから一向に便りがない事だ。

 連絡する暇がないのか、連絡出来ない状況なのか、あるいは衝撃的な事実を見つけて連絡するという行動が頭からスッポリ抜けているのか。

 出来れば最初のが良いなあ。

 後者二つは、こっちにも影響を与える。一番最悪なのは連絡出来ない状況ってのだが、二番目だって嫌な可能性だ。

 もうかなりややこしい事態になっているのに、これ以上ややこしい事になったら困る。

 とにかく、オレとお嬢様の関係がどうなろうと、サシャから連絡が来なかろうと、旅は続けなければいけない。

 幸い、気の良い商人のオヤジがオレ達の険悪な雰囲気を気にせず(案外、触る神にも何とやら、とでも思っているのかもしれない)、鈍甲竜アーマードの荷台に乗せてくれている。

 そのおかげで、オレ達は何の苦労もなく、目的地である《ブリーゼ》に今日中に着くという所まで来ていた。


 ――あの時以来『群体蟻アンツ』は襲って来ない。


 オレの脅しが効いたのかもしれないが、警戒は怠れない。何せ相手は暗殺者アサシン。俺の思いも寄らない方法でこちらを監視しているかもしれない。

 物理的に隠れたのを探すのは、《看破眼》のお陰で苦にはならないが、それ以外ではあまり役に立たないからな。いったい誰にどういう指示を与えられているのかも、まだ分かっていないし。


「旦那、そろそろ見えてきますぜ」


 オヤジの言葉に、オレは荷台から顔を出し、進行方向を見る。

 それほど大きくはないものの、砦のような壁を有する街・ブリーゼだ。

 ぱっと見は平穏そのものと言っても良いだろう。交易路に隣接しているものの、旅人の交通の要所というわけではないブリーゼは、オヤジのように地元を回る商人の立ち寄りが多い。

 余所者が多いと、治安も自然と悪くなる。

 それは余所者への不信感が呼び水になるいざこざだったり、その土地ならではの風習を知らない無知な旅人の無礼であったり、要因そのものは様々だ。

 そういう〝侵入者〟が少なければ、当然厄介事も減ってくるって訳だ。

 ……それは同時に、滅多にやってこない〝侵入者〟は目立つという事だ。

 きっと自称姫と愛を誓ったリチャード君はそこも念頭に置いて、目的地に設定した。というのは、流石に憶測が 過ぎるだろうか。単に自分の地元だからって理由も、ない事はないだろう。


「エリザベス、そろそろ着く。この馬車とはここでお別れなんだ、忘れ物のないように降りてくれよ」

「――――――」


 オレの言葉に、エリザベスは返事もしない。

 ただ気まずそうに目を逸らし、緩慢な動作で荷物をまとめ始める。薬にしようと思って言った言葉だし嘘もないが、ちょっと心外だってくらい効き過ぎている。

 まぁ、


「ここでお別れになるかもしれないってのに、オレも甘いのかもしれないなぁ」


 もし、彼女がここでちゃんと考えて『逃げる』事を選択したのだとすれば、もうオレにもサシャにもする事はない。

 リチャード君が姫を利用するような悪党であるならばぶん殴って、姫を海外にでもどこにでも逃がす。

 もしリチャード君が単に、愛する人の為にその手腕を駆使しただけなら、それこそ彼に引き渡せば終わる。

 何度も考えているし何度も言っている。この国がどうなろうが、最悪無くなろうが関係はない。

 主人サシャが救うといえば救うし、主人サシャが見捨てれば見捨てる。

 ――でも、オレの中には一つの確信、そして一つの確信めいたものがあった。

 一つはご主人様について。あの大真面目に誰も彼も救おうとする愛おしくも愚かなうちの《勇者》様。姫の答えがどんなものであれ、ありゃあ簡単に引き下がる女じゃない。

 ……そして、オレもまた、このお姫様を見捨てられないかもしれない、というものだった。

 前の世界の〝俺〟に似ている。ただそれだけで、後ろ髪が引かれている。罪悪感でも、憤慨でも、使命感ですらない。

 オレの中にあるのは、興味にも近いナニカだ。

 前の世界の〝俺〟が結局どういう答えを出したのか。目を逸らし逃げ続けてどこに辿り着いて、何を得たのか。未だに記憶を思い出していないオレにはさっぱりだ。

 でもだからこそ、ここで姫様がどういう答えを見せてくれるのか、どう前に進むのか。

 逃げるにしろ、立ち向かうにしろ、抗うにしろ、受け入れるにしろ。どういう言葉で、どういう態度でそれを選び実行するのか。

 それを見てみたい。

 そんなどこか、好奇心にも似た感情がオレの中に芽生え始めているのは確かだった。


「お疲れ様でした旦那。首都からここまでとはいえ、結構な長旅でしたね」

「ん?――ああ、そうだな。ここまでこの旅が快適になったのは、アンタのおかげだよ」


 商人のオヤジに、素直に礼を言う。

 正直に言ってしまえば、オレらはかなり怪しさ満点の二人組みだっただろう。明らかに武装している傭兵と、こまっしゃくれのじゃじゃ馬。似てないから、兄弟とも思われなかっただろう。

 そんな怪しい二人にここまで親切にしてくれたのは、本当にありがたい。


「いいえ、結構な御代を頂戴してるんですから、当然です。

 あっしもしばらくブリーゼにいようと思っているんです。もしなにか用事がありましたら、直ぐにお答えしますんで、何なりと」

「そうかい? それじゃあ早速出申し訳ないけど――宿、どこにあるか教えてくれるか?」


 オレの少し冗談の雰囲気を混ぜた言葉に、オヤジは律儀に笑い声を上げながらも、「へい、心得やした」と言ってくれた。







 ――魔術灯の光が、部屋の中を照らしている。その中で、とある男が書類を片付けていた。

 本来であれば、灯りは貴重なものだ。庶民も蝋燭や油を大事にし、貴族であっても魔術灯や高級蝋燭などを大事にしようする。

 灯りが必要な作業は、昼間に済ませるのが当たり前と言えるだろう。こんな暗くなり始めた部屋では、少なくとも行わないだろう。

 しかしにそんな心配は無用。

 平民おろか、辺りにいる貴族も、彼の財力と権力を持ってすれば、弱小と言っても過言ではなかった。

 それに、彼の仕事は多い。国の大事に関わる書類が幾つも手元にあり、常時その処理に追われている。

 王という頂点がいない現在、彼への比重はかなり大きいものになっているといっても、過言ではないだろう。

 そんな中。部屋の隅にある影が、ヌルリと動く。


「――娘が街に入りました」


 影の形は、二人組みの人だった。陰に潜むために黒い服装を好んでいる暗殺者は、さながら影の化身。こうして話しかけなければ、仕事に集中している彼では気づきもしなかっただろう。

 だがそんな事に動揺する事も無く、男は視線すら向けずに口を開く。


「高い念話符を君達に与えた甲斐があったな。情報は速さが大事だと、改めて実感させられる。

 それで? 彼にはもう伝えたんだろうね?」

「恙無く。今夜にでも、行動を起こすとの事」

「それは何よりだ」


 一番重要な懸案事項が、何とか最終局面を迎えてくれた。

 その事実への安堵も喜びも、彼は表に出す事はない。目の前の事務仕事にさも熱中していますというように、冷静な色を落とさない。


「――ところで、あの付き従っている傭兵を如何いたしますか?」


 その言葉に、ほんの少し彼の作業を進める手が止まる。

 ――姫についている傭兵。非常に厄介な存在だ。暗殺者達の報告に拠れば、彼はこちらの手の者を殺さずに﹅﹅﹅﹅無力化したと訊く。

 武術の心得の無い彼にも分かる。

 いくら戦闘能力という観点では片手落ちな『群体蟻』だったとしても、世権会議の中でも危険視される一派である暗殺者達に本気を出さず勝利するというのは、一介の傭兵では難しい。

 正体は凡そ予測出来ている。

 しかし予測出来ているからこそ、そう簡単に「では殺せ」と命令できる人物ではない事も分かっている。

 ここは、腕が試されるというものだろう。


「そうだな……出来るだけ殺すな。拘束し、私の元に連れて来い」


 それがどれだけ難しい事か、彼にも分かっているはずだった。それでもそう言ったのは、生かしておく事で得する部分の方が大きかったから。

 そしてそんな理不尽な命令であろうとも、金を払っている限り、『群体蟻』が断らない事も分かっていた。

 もっとも、自分の政敵が遣わした敵なのか。拷問でもなんでもして、情報は吐き出してもらわねば困るのだから。


「承知しました。姫の処遇は、以前御命令いただいたものから、変更はありますかな?」

「ああ、そっちは構わん――むしろ、首にしてくれた方が教育する手間が省けるかもしれないな」


 もはや事ここにいたれば、姫という存在は邪魔でしかないだろう。

 替わりはもういるのだから。


「それより、誰か手の空いている者はいないか?」

「おりますが、何かご用事で?」

「ああ、実はこれを城下町に逗留しているとある人物に渡してもらいたい」


 一枚の手紙を執務机の端におけば、影一つは足音も立てず近付いてその手紙を受け取る。

 郵便配達。なんてチンケな仕事なんだ。殺しなど大きな仕事をしている『群体蟻』の一人の不満を察する事もせず、彼は話を続ける。


「今回の件で少々知恵をお借りした人物でね。金銭などを受け取る主義ではないから、私なりのほんのささやかな気持ちだ。そう、渡す相手に言ってくれるかな」

「……承知いたしました」


 それだけを言うと、再び二つの影は本物の闇の中に消えていった。


「――もう少しだ」


 もう少しで、自分の長年の夢が叶う。

 他人からすれば悪辣なその思いは、彼にとっては非常に重要で、非常に純粋な思いだった。






 ――宿屋のベッドで、エリザベスは静かに夜空を見上げている。

 目的地に着いた所で、相も変わらず二人部屋。

 もう仕事は終わった、何処へでも好きな所に行けば良い。エリザベスにしては控えめにそう言ったつもりだったが、彼は少し眉を顰め考えてから、


『いいや、まだ契約の範疇だ。あんたが無事リチャードと再会するまではな』


 とだけ答えて、下の酒場へ行ってしまった。

 男はお酒と女性とのいやらしい触れ合い(それが何なのか、いまいちエリザベスには分からないが)が好きだと聞くし、そういう事をしに行ったのかも知れない。

 どうでも良い事を考えながら、エリザベスはただただ、空を見続ける。

 ずっと憧れていた、自由な空。

 母と暮らしていた時も。フラグレントが屋敷に来た時も、そして城にいた時も。自由に窓を開ける事すら叶わなかった昔よりもずっと自由。

 好きに窓を開け、なんだったらこの宿を飛び出して、空を眺める事も出来る。今までは、それに焦がれる程憧れていた。

 自分の自由、そしてそれで得られるリチャードとの幸せを。


 ……でも、今はその自由が血で濡れているのが分かる。


 トウヤの言葉はエリザベスがどうしても抗いたいものだったが、同時に抗えないものだというのも、心の底では理解していた。

 この国の多くの飢えた人。きっと犯罪に奔る人間もいるのだろう。

 この国には悪い貴族が沢山いて、きっとエリザベスが逃げれば何の事もなく悪事を働くのだろう。

 王族という事を認めるつもりはないが、されどそれで自分の血の中から王の血を抜く事は出来ない。それなら自分に出来る事も、トウヤの言葉を信じれば、あるのかもしれない。

 少なくとも、その無辜の民と悪辣な貴族から得たお金で生きていたエリザベスには、答える義務のようなものが、もしかしたらあるのかもしれない。


「――でも、それがなんだって言うの」


 下唇を、微かな怒りから噛みしめる。

 だってこの国は、自分に何もしてくれないじゃないか。

 エリザベスに責任を押し付けるだけ押し付けて、何も与えてはくれない。

 空を眺める自由も、好きな男と添い遂げる自由もない。王族としての権利と贅沢な暮らしだって、自分が欲しいと思った事は一度もない。

 確かに、父や母におねだりした事だってある。新しいドレスが欲しい、帽子が欲しい、日傘が欲しいと、少し困らせた事がある。

 しかしどうやって気づけば良い。父に徹底的に隠されたその箱庭の中で、それが血と汗の金貨だとどうやって気づけというのだ。


 与えられた権利は自分で手に入れたものではなく、

 押し付けられた義務に抗う事も怒られる。

 理不尽じゃないか。


 ……そう思えば思うほど、トウヤに言われた言葉が脳裏を過る。

 目を逸らさず考えろ。

 逃げるのなら、抗うのなら、何を得て何を失うのか。

 それを考える時、どうしてもエリザベスはもう、気安く捨てるとは言えなかった。あの多くの浮浪者達を見て、全てを放置し、リチャードと添い遂げたいと、最初ほど強く思えない。

 今でもエリザベスは、この国が嫌いだ。

 ――しかし、それはもう以前の嫌いとは違う感情だった。

 そう考え事をしていた時、コンコンと控えめなノックの音が聞こえる。


「っ、はい、どうぞ」


 空を見上げていた姿勢から顔を上げ、薄暗い部屋の向こうにある扉に目を向ける。

 古い扉はその建て付けが悪いのを証明するようにギシギシと音を立て、廊下にまだ着いている灯りが、一人の女性を浮かび上がらせる。

 確かこの宿に着いてから挨拶した二人目、この宿屋で働く従業員の女性だったはずだ。


「――リズ﹅﹅さん、ですよね?」


 何処か気弱そうに喋る女の言葉に、エリザベスは飛び上がるようにベッドから立ち上がる。

 その愛称を知っているのは、その愛称で呼ぶのは、広いこの世界でも三人だけ。うち二人は既に亡くなった父と母。

 そしてもう一人は――、


「貴女、リチャードの遣いなの!?」

「シッ、もう寝ている方もいますから、大きな声は、」


 喜びのあまり声を大きくしながら走り寄ってくるエリザベスに、女性は口を押さえながら言う。


「リチャードさんは、この街の外れにある古いお屋敷にいらっしゃいます。出来れば、今夜中に会いたいそうです」

「そう、そうなの……やっぱり、迎えに来てくれていたのね」


 先ほどまでの鬱屈した気持ちは、遥か彼方に吹き飛んで行った

 世界でたった一人、愛する男性。リチャードが自分の側にいてくれる。

 それだけで、エリザベスの気持ちは暖かくなり、勇気に奮い立つ。

 ――どんな無謀な事をしても良いと思える程。


「あ、だったらトウヤにも声をかけないと、」


 もう数少なくなってしまった荷物を手にとって部屋から出ようとすると、女性に腕で静止させられた。


「待ってください。リチャードさんは、『一人で』と言っていました。私が裏口に案内します。そうすればお店にいらっしゃる方には気付かれない筈です」

「え、どうして?」


 エリザベスはその言葉に、一瞬疑問を持つ。

 トウヤは、リチャードが手配した護衛の筈だ。それが一緒に連れて行かなくて良いというのは、とても普通の事とは思えない。


「さぁ、それは私にも分かりませんけど……リチャードさんが言う事に、間違いはないんじゃないでしょうか?」


 女性の言葉に、それでも疑問は拭いきれない。

 そもそも最初から変だった。あんなに乱暴で粗野な男を自分の護衛につけると言うのは考えられなかったし、結局護衛など殆ど要らないような旅路だった。

 なのに、どうして、


「それとも、リズさんはリチャードさんを疑うんですか?」


 女性の詰問口調の言葉に、エリザベスは激しく首を振る。


「そんな事はありません!」


 ――そうだ。

 自分を唯一守ってくれる、自分のことを今一番気にかけてくれる人を疑う事なんてあってはいけない。

 リチャードは、自分を騙すなんてしない﹅﹅﹅

 半ば盲目的にそう自分に言い聞かせてから、エリザベスは女性の言葉に頷き、自分の荷物だけ持って外に出た。





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