其ノ二






 すでにベッドの中に入っていた影武者は。起き上がってこちらを見ていた。

 金色の髪と、碧眼の目。絶世の美女といっても過言ではない顔立ちは、王族の気品を感じさせる。これだけ言えば、変装は完璧と言っても良いだろう。

 だがサシャには見れば見るほど、違和感しか感じなかった。


「……幻影魔術がちょっとかかっていますよね? あと、本物のお姫様の方が少し身長が低いように思えますし、年齢に比べて発育が宜しいように思いますけど」


 サシャの澱みのない言葉に、影武者である女性は暗がりでもはっきり分かるほど大きな笑みを浮かべた。

 微笑むというには上品さに欠け、大笑いというには少し野性味が強い。時折トウヤが見せる戦士特有の笑みだ。


「ご明察だよ《勇者》様。正直、そこまで慧眼を持っているとは思わなかった。つうか、それならこんな所に本人が押し掛けてくるってのが、一番信じられないけどね。こんな事して怒られないのかい?」

「大事の前の小事、と思っていただければ」

「ハハッ、良いねぇそれ。《勇者》なんて大層な看板抱えているからてっきり鼻持ちならない奴かと思えば、あんた案外こっち側かもね」


 心底愉快そうに笑うと、寝台の近くに置かれた魔術灯に灯を入れ、ベッドに座る。

 もはや姫という役柄を演じる気がないのか、粗野で堂々としていて、どこか妖艶さを感じる座り方だった。


「あ、姐さん良いんですか!? バラさなくても俺とリッツでこいつらを、」

「馬鹿、倒してどうするんだい」


 未だにウーラチカの拘束が外れない男の情けない言葉を、姐さんと呼ばれた影武者はぴしゃりと黙らせる。


「そもそもあんたらが馬鹿正直に真っ向勝負するのが悪いんだ。

 どう考えてもこの嬢ちゃん――おっと失礼――《勇者》が主犯だったろうが。こいつ襲えば、あんたを捕まえている精闇族ダークエルフの兄ちゃんだってジリ貧になっただろうに。

 あんたらには、暗殺者アサシンの自覚ってのが足りないのさ」


 殺るなら容赦無く殺りな、などというこちらこそ容赦のない言葉に、もはや暴れる事も言葉を返す事も出来ないのか、男はがっくりと項垂れている。

 どうやら、上下関係的に影武者の方が、立場が上のようだ。


「まぁ、《勇者》と《眷属》って組み合わせじゃ、あたしらに敵う訳がないんだけどね。

 ねぇそこの精闇族のお兄さん。悪いんだけど、もうそいつ放してやってくれない? あたしらもう、何もしようがないから」

「…………サシャが、良い、言うなら」


 伺うようにこちらを見るウーラチカに、サシャは頷く。それだけで、ウーラチカは素直に拘束を外した。

 男は一瞬ウーラチカの方を睨みつけるが、影武者の言うように何もしようとはせず、気絶している仲間の方に近づく。


「さて。それで? お宅らがあたしららを殺す気も捕まえる気もないってのは事実かい?」

「ええ。嘘を言う必要性がないもの。ただ、貴女達が必要な情報をくれれば、だけどね」


 サシャの言葉を、影武者の女は鼻で笑う。


「ハッ。私達に情報を晒せと。《勇者》なんて偉い仕事をしていると、態度も偉くなるのかねぇ。

 教えてあげるよお嬢ちゃん。まずあたしらが雇い主の不利になる情報は開示しない。それをすればあたしらの信用に関わるからだ。

 信用されない暗殺者は、すぐに捕まる。《勇者》様相手でも、それは同じだ」


 魔術灯が置かれている引き出しの中から煙管を取り出し、煙草草を詰め、指先に火を灯す。

 魔術、しかも簡易術式とは言え無詠唱で行うその姿を見れば、それなりの技量を持っているのだろう。いや、そうであると暗に主張しているのだ。

 今ここで私と殺り合うのは、相当のリスクがあるよ、と。

 ――それで黙るほど、サシャも甘くはない。


「それはよく理解しています。だから雇い主を直接教える必要性はありません。

 依頼されている業務内容と、貴女達がどこの絆所属の誰さんなのか、それを答えて頂けるだけで結構。それだけ教えてくれれば、直ぐにでもこの場から去りましょう」


「おや、そう簡単に教えるわけにはいかないと教えたつもりだったんだけど、聞こえていなかったのかねぇ」


「いいえ、よく分かってる。でも、貴女達は話すわ。

 だって――このまま話さなければ、自分達が無事では済まないのも分かっているから」


「………………」


 サシャの言葉に答えようとせず、視線を逸らして紫煙を吐き出す。否定も肯定もしない。

 ――暗殺者は、世界で一番命を大事にする。

 矛盾した言葉に聞こえるかもしれないが、この場合の命は他人のではなく自分の命だ。

 暗殺者は絶対位に自分から命を断たない。暗殺者を育成するのにかかる時間と費用は膨大だ。失った人材を一人補訂する為にかかる労力は尋常ではない。

 数を量産し、切り捨てていく《群体蟻》のようなやり方もなくはないが、主流ではない。

 絶対に生きて帰る。もし捕まったとしても決して情報を吐かず、逃げる算段を外部にいる仲間が、あるいは自分自身が付ける。

 絆という名前を付けているからこそ、暗殺者は仲間を見捨てる事を極力避ける。

 何せその場では良くても、生き残った仲間の忠誠心にも影響を与えるのだから。


 ――だからこそ、この暗殺者達も、信用に関わらない最低限の情報は渡してくれるだろう。


 このままでいればサシャに通報され、世権会議から逮捕される。世権会議の事情聴取は生半可な物ではない事は彼女達も理解しているし、何より外部からも内部からも逃げ出す事は難しい。

 流石の仲間も、救い出す事を諦めてしまうかもしれない。

 だとしたら自分の命も、仲間の命も、雇い主からの信用も一斉に失ってしまうのだ。

 話すか話さないか。どちらが利口なのか、分からない筈がない。


「――ハハッ、あんた、結構やり手だね。最初思った通り、あんたはやっぱこっち側の人間だ。

 目的の為なら手段を選ばないし、平気で人を脅す」


「……そうね。否定出来ないかも。でも、これで助かる命と救える誰かがいるのであれば、遠慮する気は無い。

 それに、これは脅迫じゃなくて提案。もしやろうと思えば、情報を貰い且つ貴女達を捕縛する権限が私達にはあるんだから」


「それは脅迫とどう違うっていうのよ……まぁ、いっか。

 そもそも《勇者》にバレている時点であたしらお終いだしねぇ。少しでも媚び売って今後の仕事に繋がるなら、親父も怒らないかなぁ」


「姐さん!」


 リックと呼ばれた気絶している暗殺者を解放している男が絶叫をあげる。


「良いんですかい本当に!? 俺らこのまま死んじゃう可能性が、」

「お黙りフランク。こんな発言力があるドラゴンみたいな連中相手にして逃げ隠れ出来るはずがないだろう。強いて言うなら、目を付けられた雇い主が悪い」


 発言力のある竜……少し釈然とはしないものの、話をしてくれる方向にまとまっている事はけして悪い事ではないだろう。


「ただ、一応あたしらも矜持プライドってもんがある。あんたが言った通り、雇い主を直接話す気は無い。長い付き合いって訳でもないから義理はないんだけど、それくらいはね」

「ええ、それは構いません。大凡予想は付いてますから」

「ハッ、どちらにしろあたしらジリ貧だったってわけか、怖い怖い」


 揶揄うように笑う影武者の女に、サシャは眉一つ動かさない。


「まず貴女……名前がないと呼びづらいですね。お名前をお伺いしても?」


「名前ねぇ。仲間の内からはマルタって呼ばれてる。まぁ仕事によって名前を変えちゃうから、あんまり意味はないけど。ちなみにさっきから喚いてる方はフランク、気絶してる方がリッツだよ」


 案外簡単に名乗る――いや、それだけではない。

 あまりにも簡単に話をする気になった事に、サシャはピクリと眉を動かす。


「ハッ、信用出来ないかい? 私が嘘を言っているのか本当の事を言っているのか」

「――そうですね、否定しません」


 暗殺者が尋問や拷問を逃れる為に嘘の情報を渡す事は一般的だ。

 だけど、


「ここで情報を混乱させても意味はありません。私達はこの状況の時点で既に雇い主の目星はつけていますし、マルタさんが影武者だという事は既に掴んでいる。

 戦闘で負ける事はありませんし、貴女達がその場しのぎの嘘を言って逃げたとしても、此方に損はありません」


 影武者を一人失うというのは、暫定的な雇い主のフラグレント公爵には大きな痛手だろう。相手の動揺を誘うというには、充分だ。

 そのまま此方に主導権を握れるなら、なお良し。


「ですけど、一番大きな理由は別にあります」

「へぇ、それはなんだい?」


 余裕綽々と言った様子のマルタに、サシャは微笑む。




「貴女が信用出来る人だと思うからです」




「ッ――へぇ。それはなんでだい?」


 自然と言葉を紡いでいるように見せているが、一瞬声に動揺が走ったのを、サシャは聞き逃さない。


「……貴女に、マルタさんに似ている人を一人知っているので」


 ――先代勇者アンクロ。

 ほんの数分話しているだけだが、その口調にはアンクロと同じ雰囲気を感じた。

 適当で豪放磊落、それでいて、変なところで芯が強い――男を実力で黙らせられるという、強い自負と覚悟を持っている女性の声だ。

 これはもはや判断基準にしたというより、そうであって欲しいという願望に近いもの。

 しかし信じるというのは、元来そういうものだ。相手が自分にとって良い人間であると望みを託すのが、人間関係の第一歩だ。


「………………アンタ、性格悪いね。まさか暗殺者相手に情で訴えるとは思わなかった。

 天晴れ《勇者》。伝説になる役職ってのは、そういうもんなのかもしれないね。脅しの後でってのと、あんたが女じゃなければ夜這に伺うくらいは格好が良い」


 まるで苦瓜でも咀嚼しているかのような渋い顔。

 普通なら呆れられていると考えるかもしれないが、素直ではない女性の相手に慣れているサシャにとってその表情は恥ずかしさを噛み殺しているような顔にしか見えなかった。


「ああ、もう! こんなんじゃ嘘なんて教えようがないね。あたしら暗殺者。裏稼業だからこそ、義理人情と信用は大事にする。

 ――あたしらの仕事は、御察しの通り影武者。姫君がいなくなった夜には既にこの城に入ってたよ」


 悔しそうに話し始めたマルタの言葉は、少なくともこの段階で嘘ではないだろう。

 エリザベス姫がトウヤと城を出ても、大小関係なく混乱は起きなかった。もし姫が抜け出した時と影武者が入った時間に大きな差が存在するなら、兵士が城中を探し回っていたはずだろう。


「でもそんなに早く依頼があったというのは、少し妙ですね」

「妙もクソもない。あたしらの絆と雇い主の関係は、結構長くてね。常時この国には何人かの暗殺者が潜んでいるのさ。有事の際は、雇い主の命令に即応出来るように。

 まぁ、ようは長期契約って事だよ」


 ――一国の重鎮が、犯罪者集団である暗殺者達と長期的な契約を行なっている。

 その情報の段階で、世権会議を動かすには充分だし、フラグレント公爵を拘束出来るだけの証拠でもあるだろう。

 だが、まだ足りない。

 フラグレント公爵が雇い主であるというのは、暫定的なものだ。今の段階では、相手と話す上での交渉材料や駆け引きに使う程度。


「では、貴女達三人以外にも、暗殺者がいるんですね」

「まぁそうだね。協力者も含めれば、結構な数がいるさ――おっと、協力者の詳細含め、仲間がどこにいるかは伏せさせてもらうよ。あたしらだって保険くらいは欲しいものだ」

「構いません……ですが、という事は姫がどこで何をしているかも、貴女は把握しているって事ですね?」


 サシャの質問に、マルタはニヤニヤと少し意地の悪い笑みを動かさず、


「さぁ、どうだろうねぇ」


 とだけ言って、煙管の紫煙を吸い込んだ。

 他複数の暗殺者や情報提供などの協力者がいるのであれば、ある程度の情報は漏れていると言っても良い。

 ――それでも姫を連れ戻そうとしない理由は分からないものの。


「……そうですか、良いでしょう。次の質問は、ちょっと大事なんです。そのような態度は控えてください


 ――貴女は、貴女の絆は、王の死に関与していますか?」


 ――空気が少し冷える。

 窓を開け放っているからではない。彼女の纏う空気が、その温度を変えてしまうほど冷たくなったのだ。

 冷静になった時のそれとは違う、怒り特有の突き刺さるような冷ややかさ。


「――いいや、殺していないよ。疑う気持ちは分かるけど」

「……それを信じる根拠は?」


「まず、絆の名前を聞けば分かるけど、あたしらは殺しは滅多にしない。命を取れば、場が混乱し得られる情報を逃す事だってあり得る。やむを得ない状況でない限り、安易にその手段はとらない。

 第二に、そもそもあれは暗殺者の仕事じゃなく、自然な死さ。きっと働き過ぎたんだろうね、心臓止まってポックリだよ。遺体を見せてもらったが毒殺の痕跡もなかった」


「……そうですか」


 ――人間、大きな出来事の裏に大きな理由があると思い込むが、そうでない場合も多々ある。

 昔アンクロに忠告された言葉を、今思い出す。

 確かに勅令を出した直後に王が死ぬというのは、あまりにも偶然が過ぎると考えてしまう。後継がいないと思っていた王に、隠された姫がいるという事実が、その事実をより怪しい靄に包んでしまう事も。

 だからこそ、人間は思い込んでしまう。

 謎めいたものの隣にも謎があると。

 マルタの話を鵜呑みにする事は出来ない。今後の調査は必要になってくるが、主観だけで言えばその言葉は嘘ではないように思えた。

 演技であんな鋭い怒りを見せられるならば、彼女は暗殺者ではなく女優になるべきなのだから。


「……では、最後の質問です。貴女達の絆は『群体蟻アンツ』ですか?」


 どこか嫌な確信を持って聞く。

 そこで、今まで大きく表情を変えなかったマルタの目が見開かれる。


「――おい、ちょっと待て。何でそこで『群体蟻』の名前が出てくるんだ――まさか、いるのか? この国に」


 一気にマルタの顔に緊張が走る。近くで話を聞いているフランクにも、同様の混乱が見て取れた。


「知らなかったんですか?」


「ああ、知らないね。おかしいな、姫に何か危害が加えられているなら、協力者の情報が入ってくるはずなのに……。

 いや、あんたが知ってるっての事は、あの護衛についている傭兵は、あんたの手先って事? あいつが秘密裏に倒したなら、協力者には分からなかっただろうけど」


「手先というか……私の部下です」

「……つまり《眷属》か。あぁ〜、しくじった!!」


 近くに置いてある灰皿に煙管を投げ飛ばすと、マルタはベッドの腕に倒れこむ。まるでこの世の不運が全て降りかかってきたような顔だ。


「まさか三回目の仕事がこんなに面倒なもんだったとは……オヤジの野郎、何が簡単な仕事だよッ!」

「三回目……」


 変なところで杜撰な理由が妙なタイミングで判明してしまった。

 ようはサシャと同じく、彼女もまだまだ新米なのだ。フランクとリッツと呼ばれた暗殺者達があっさり倒されたのも理解する。二人とも多分まだ暗殺者の仕事をし始めて日が浅いのだろう。

 姫君の影武者をそんな新人に任せて大丈夫なのかと大きなお世話な事を考えてしまうが、暗殺者には暗殺者なりの慣例や理由があるのだろう。


「えっと、簡単に言ってしまえば、知らなかったんですね」

「そりゃあそうだろう。いくら《眷属》や《勇者》が特別って言ったって見た目が変わるわけじゃないんだ。紋章隠されちゃ、あたしらに判断材料はないよ」

 大我マナを知覚できる訳じゃあるまいしと続いた言葉に、サシャは納得と共に首肯する。

「話を戻しましょう。貴女達は『群体蟻』ではないと?」

「違う。全然違う……って口で言っても信じてもらえないよね。これが証拠だよ」


 寝巻きの裾をたくし上げ――る前にこちらを見ているフランクやウーラチカを睨みつける。

 フランクが慌てて、ウーラチカは何となく分かっていない顔をしながら視線を逸らしたのを確認してから、マルタは裾を上げて右足の太腿を見せる。

 魔術灯の微かな光の中で映し出されたその太腿には、それほど大きくはないが、確かに紋章が見える。

 丸の中に収まる、まるで棒のような細長い虫の紋章


「――『七節擬スティック』」


 『七節擬』

 諜報・潜入に重きをおく、こちらも有名な絆の一つだ。

 七節のように身分や姿を偽り、情報を持っている相手の懐に潜入し、必要な情報を手に入れて雇い主に届ける。戦闘能力はかなり低く、それよりも潜入に必要な知識や技術などを幅広く習得する、『群体蟻』よりも技能集団の意味合いが強い。

 彼女が言っていたように人殺しどころか、戦闘さえも極力避ける。

 その事実に、サシャは憂鬱な心持ちになる。

 トウヤの嫌な予感、そしてサシャの嫌な予感は、見事に的中してしまったから。





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