エピローグ/森の幸福と青年の門出
『――それにしても、意外と男前ですね、彼』
『我々を救ってくださった方ですからさぞ屈強な方と思っておりましたが、先が細く、そこら辺の貴人にも負けない美丈夫です』
『目を覚ましたら頼んでみましょうか?』
『それはなんという名案でしょう』
……瞼の裏に光を感じ、体に冷たい水の感触を覚える。耳には、若い女が何人も集まって喋っているような声……いや、そのまんまなんだろうけど。
ゆっくりと目を開けると、知らない天井……どころか天井もない。木々が聳え立ち、蔓が天蓋のようにここを覆っているだけ。
一瞬、
手足を軽く動かしてみると、どうやら先ほど感じた水は夢でも思い込みでも、ましてや比喩表現でもなかったようだ。ほんの少し目線を下げてみれば、オレの体は胸の辺りまで水に浸かっている。
『――目を覚まされましたか、《眷属》殿』
木々の爽やかなざわめきを声にしたような、涼やかな女の声がするほうに目を向けると、少女のような女が三人、オレの顔を覗き込んでいる。
淡い緑色髪と目、そして肌を持ち、葉をより集めて作った服を着て、体から放つ淡い光は、その姿を幻想的に彩っている。
何より、ちょっと透けてるし、ちょっとだけ浮いてる。
サシャの言っていた
「……オレは、どうして、」
ぼんやりとする頭でそう聞いてみると、樹ノ精霊の一人が静かに微笑む。
『貴方は我らを救ってくださった直後から、三日ほど眠っておられたのです。
ここは、《エント・ウッド》の最奥。我らが美酒として愛おしむ泉。
この水には
そんな紅茶のティーバックじゃないんだからと言いそうになって、確かに体の調子が良い事に気付く。長時間寝ていた所為で気だるさみたいなのは感じるが、それ以外は痛みも何もない。
最後は相当派手に怪我をしていたはずだったんだが。
自力で上体を起こしてみると、Tシャツのような肌着とズボンを穿いているだけで、防具や装備、靴から靴下も無い。パンツ一丁でないのを喜ぶべきなのだろうか。
右腕を見てみる。焼け爛れていたはずの腕は、まるで怪我を負った事が嘘かのように、すっかり元通りだ。多少効力のある泉だったとしても三日でここまで治るのかと、少し動揺する。
「……随分綺麗に治りましたね」
『ええ、我らもここで癒されながら貴方を見守っていましたが、通常より治りが早い。きっと、大我との親和性が高いのでしょう』
「ご親切に説明どうも……それで、貴女方はもう大丈夫なんですか?」
見る限り問題はなさそうだが、体をミンチにして混ぜ合わされていたに等しい状況だったんだ、被害が無いとは言えないだろう。
それに、樹ノ精霊の一人は笑顔を崩さず、首を振る。
『お気遣い感謝いたします。ですが精霊とは、そもそも存在が曖昧な生き物でございます。確かに一度存在を解かれ、融合させられたのは、吾らの魂魄に大きな損傷を与えました。
しかし我らは樹ノ精霊。森の中にありさえすれば、この《エント・ウッド》が、我らに回復の力を授けてくれるのです』
「あぁ、そういう事かですか。貴女方は、樹の守護精霊ですからね」
護るものから、護られるべき存在に力と知恵、そして加護を授けるように、その逆もありえる。火の精霊が業火の中で力を得るように、自分の存在と対になる存在は、常に彼らの拠り所。
それの傍にいれば、回復は早いものだろう。
『はい……ですが残念ながら、実験材料にされた多くの仲間を失ってしまいました。彼女達は、呪師の実験の失敗の煽りを受けたのです』
三人の表情は暗い。自分達と同じ種族、いや、半身と言っても過言ではない存在が無為な成功もしなかった禁呪で命を落としたのだから当然だ。
『我ら三人、生き残っただけでも救いではありますが、この森を護っていくのにこれではやや心許ない……そこで、《眷属》殿に是非お頼みしたい事がございます』
「? はぁ、オレで良ければなんなりと、」
魔術師でも魔導師でもない、知識がないオレに何が出来るんだろう。
そんなオレを余所に、三人の精霊はお互い目を合わせて頷いてから、代表格の少女がオレに近づき、微笑む。
だが、この微笑みは先ほどの微笑とは違う。
慈愛の聖母様が、いきなり絶世の高級娼婦に様変わりしたような、蠱惑的な笑みだ。
『はい、実は――――――子種を頂戴したく』
……は?
「えっとすいません、もう一回言ってもらえますか?」
聞き間違いではないのか。そんな淡い期待を持って、もう一度聞き返す。
樹ノ精霊の代表格――ああ、いや、それ以外も寸分違わず、同じく蠱惑的な笑みを浮かべている。
『ですから、《眷属》殿の子種を頂戴したく存じます』
……聞き間違いじゃない、だと!?
硬直するオレに、樹ノ精霊達は楽しそうに嗤いながら言う。
『精霊が己が同胞を生み出す方法が、三つあるのはご存知ですか? 眷族とする生物、あるいは自然から自然と発生するか、精霊になれない小さな大我の集合体に力を授けるか。
……あるいは、他種族の方から子種、あるいはその胎をお借りして、自分の精霊との特性を色濃く受け継ぐ子を為すかです』
それは流石に……いや、出来る事は知っている。そもそも肉の器に依存していないだけで、用意は出来るんだからソウイウ事が出来るのは分からないでもないが、それで良いの!?
『フフフ、疑問と緊張の色が見える。可愛いお方。
こういう事は、ままあるのですよ。次代を生み出す方法が他に無い時は、強い心を持った他種族の方にお願いする事は。勿論
確か、今代の精霊王様も、人種と精霊との合いの子だと伺っておりますし』
さらっと凄い事や凄い情報が飛び出ているような気がするが、そういう問題ではないだろう。
精霊と人類が契るというのは、神話の次代では珍しい事ではなかったし、唯一教会御用達の《古伝》の中にも幾つか見られる話だ。
時代に名を馳せた英雄が、精霊とのハーフだったなんて珍しい事でもない。
でも、どの神話伝承でも共通するのは――精霊と契ると碌な事にならないって事だ。
水の妖精と契ったが故に、その嫉妬で溺死とか。
火の精霊と結ばれたら、次の日から火を通した食い物以外は口に出来なくなったとか。
光の精霊と契り加護を貰った所為であちこちから災難が舞い込んで来るとか。
タダでさえ危険な仕事に就いているのに、そんな厄介事を背負い込む度胸、オレにはない。
「い、いや、オレには勿体無いお話ですから、」
『大丈夫、面倒なことは申しません。ただ一度きりの逢瀬をと思うているだけです』
『貴方様のような英雄殿と契れるなど、森に引きこもる我らには滅多にない事、ぜひ』
『この姿が気になるのでしたら、妙齢の女性に姿を変えましょうか?』
少女――大方十四、十五歳ほどの可愛らしい少女に詰め寄られ、少しずつ後ずさりする。
いくら外見が良くて年齢を変えられた所で、厄ネタ満載の女、ましてや精霊など抱ける気がしない。それを差し引いたって色々アウトだ。
どうする、どうすれば助かる? つうかこの状況助かる道はあるのか?
『『『さぁ、さぁさぁさぁ』』』
もはや彼女達の色っぽい笑みは
ここに幸運の女神はいないのか――、
「――アンタ、何してんの?」
……オレの幸運の女神は、かなり不機嫌そうな顔をしていた。
「まったく! アンタがそういう軽い男だって知ってたけど、まさか精霊と……そ、そういう事をしようとするなんて! 変態! 不潔! 傭兵!!」
「だから断ってたんだってオレは。というか、最後のは全傭兵に失礼だっての」
何とか樹ノ精霊の誘惑というなの罠から抜け出せたオレは、外されていた装備も取り戻し、完全武装で歩いている。
向かっている先は、この《エント・ウッド》の外。
怒りながらも、サシャはしっかりオレが眠っていた三日間について説明してくれた。
オレが核にされた精霊を抜き出してしまえば、あの黒い影のような何かは土にしみこんでいくように消失。精霊たちは術の縛りがなくなってしまったお陰か、大我を取り込めば直ぐに元に戻ったそうだ。
あんまりにも呆気ない終わり方のように思えるかもしれないが、そもそも精霊を縛り付けておくだけでも結構な術式。
それを改変し、使役出来るものに作り変えている時点で常軌を逸したほど繊細で、異常な術式だったのだ。
拘束力がなくなれば自然な状態に戻るってのは、まぁあり得ない話ではない。
その後は、《勇者》であるサシャの独壇場だったようだ。
すぐさまこの森の復興に必要な人材と、
大鬼達、そして樹人族も協力して集落の買いたいと移送の準備。これは、悪逆ノ
そして政権会議の役人が派遣され、大鬼族達の引渡しと、和平条件厳守の念押しを引継ぎを終え、サシャはもう既にこの森を発てる準備は出来上がっていた。
唯一の気がかりはオレの容態だった訳だが、来てみればこの通り、元気過ぎるほど元気だったと。
「思ったより上手く事が運んだな。事前の根回しが効いたか」
「それもあるけど、今回は師匠、
「……いったいどんな弱みを握っているやら」
「……やっぱり、そう思うわよねぇ」
安楽椅子に座りながら厭らしい笑みを浮かべているあの婆さんの顔を思い浮かべ、二人で乾いた笑い声を上げる。
「まぁ、被害の大半を
……呪師の顛末についても、サシャはちゃんとオレに言ってくれた。そこに嘘を差し挟む理由はないだろうし、きっとこの事については、サシャの今後にずっと影響を与え続けるだろう。
冷たいように思えるかもしれないが、そういう心の中の痼ってのは自分で解消しないとどうにもならない。他人の手が心の中に入って切り取ってやる事は出来ないんだ。
だから、オレはそんな言葉にも、そうだな、と答えるしかなかった。
「……まぁ、私にこんな思いさせたんだもの。精々利用してあげましょう」
……オレが手を出す必要性もなさそうだしな。
どこか誇らしい気持ちを抱きながら頷く。
「……つうか、今回の一番の問題は、お前がウーラチカに仮免使った事だと思うけどなぁ」
「ウッ!」
オレの言葉の矢が、サシャの胸に突き刺さる。
さらっとやってくれたが、あの行動は世権会議内で決まっている《勇者》の倫理規定に大きく違反する行いだった。
本来あれは《勇者》の《眷属》に足る存在かを審査する為の措置で、実行する為には目も眩むような申請書類を世権会議に送りつけ、承認を貰って初めて実行出来る。
つまりあんな即興でやって良い事じゃない。審問会でコテンパンにされる事請け合いの方法だ。
「あ、あそこには私とトウヤ、それにウーラチカしかいなかったんだから問題ないわよ! それにホラ、緊急事態だったし」
手足をばたばたさせて言い訳をし始める我が主に、オレは苦笑する。
「別に、咎めている訳じゃない。単純に、「成長したんだな」って思っただけだよ」
生真面目だったサシャが今回、普段では創造できないような搦め手に幾つも挑戦してくれた。《勇者》がそういう事を出来るようになってくれたならば、《眷属》としての仕事も減って万々歳。
こっちとしてはありがたい話だ。
「フンッ、また上から目線で……まぁ、今回限り。もうこんな危険な博打は二度とごめんよ。
――それに、案外無駄になってないと、私は思うから」
「あ? それはどういう、「ほら、もう森を出るわよ!」
言葉が遮られたので前を向いてみれば、木々並び立つその隙間から、外の光が差し込んでいた。二人で ゆったりした足取りで外に出ると、最初に入ってきた時と変わらない風景がそこにはあった。
近くには馬車。御者台を見てみれば、最初にここに送り届けてくれた
そして、馬車の近くには、
「――二人とも、遅い。
ウーラチカが座り込み、最初に離していた時と変わらず薄い表情を浮かべていた。
服装は随分変わっている襤褸布だった服は綺麗なシャツとズボンになっていて、髪も整えられている。どこをどう見ても森の野生児とは思えない。背中に背負っている弓は相変わらずだが、綺麗に整備されているのか、前よりも見れるようになっていた。
「……ハッ、道理でいないと思ったよ」
「フフッ、先に馬車で待ってて貰ってたの。私は貴方を迎えに行かないと行けなかったし、長居すると出たくなくなるってウーラチカ自身が言ってたから」
サシャは、まるで悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべている。
「……で、あいつ、どうするんだ? まさか世界で一番優しい《勇者》様であるお前が、このまま放り出すなんて事はしないよな?」
ウーラチカはどうしようもない世間知らず。このまま野に放ったら三日ほどで飢え死にか、森に逃げ込むか、何かやらかして逮捕されるだろう。
オレが分かり切った事を訊くと、サシャは頷く。
「当然よ。私がこのまま彼を見捨てるなんてあり得ない。……そこで、相談したい事があるの。
ウーラチカを、二人目の《眷属》にしたい」
サシャの口から出た言葉は、まぁ、予想通りのものだった。
「ああ、良いぜ。あいつは使えるしな」
「というか、オレに訊くなよ。したいならすれば良いじゃないか。ウーラチカ次第だがな」
サシャはそんなオレの、どこか投げ槍な言葉に、首を小さく、だが何度も振る。
「ウーラチカには了承を貰った。私としては、アレだけ純粋に物事を見られる彼を、腕前以上に買っている。
……でも、最初の《眷属》であるトウヤの了承は得たかったの。いくら《眷属》を増やせて、それが《勇者》一人の権限だったとしても。
トウヤは、私の一番の《眷属》なんだから」
……嬉しい事言ってくれるじゃないか。
どこか天邪鬼なオレが邪魔をして上手く笑えないが、それでも嬉しい言葉だった。
「――だったら、一ノ《眷属》であるオレが勧める。あいつは絶対手放すな」
「――うん、ありがとう!!」
サシャはその場に荷物を置いて、すぐにウーラチカの元に駆け寄った。
「ウーラチカ、トウヤも良いって! 今ここで契約しちゃうわよ!」
「おー、じゃあ、何て言えば良い? 何すれば良い?」
「弓を持って、私の前に座って……そうね、貴方が言いたいように誓ってくれさえすれば良いわ。私がそれを受けるから」
緊張感のないウーラチカは、サシャの言われた通り、背負っていた弓を構え、サシャの前に跪く。
「……あー、ウー、まだ《眷属》とか《勇者》とか、よく分からない」
オレ達を前にして、ウーラチカは言葉を選びながら放し始める。
「きっと、ウーはちゃんと分かっているか難しい。きっと、もっとちゃんとした人がなるべき、そう思う。
――けど、ウー思った。もし、ウーの森で起こったような事が他にも沢山あって、悲しんでいる人いるなら、ウー、それを、何とかしたい」
言葉は、相変わらず稚拙そのもの。
だが、その思いが真っ直ぐで、とてもオレ達じゃ推し量れないほど重いのは、その純粋な目を見れば分かる。
「それに、サシャも、トウヤも、友達。――ウー、友達の助け、なりたい。
だから、弓に誓う。ウー、サシャの〝弓〟になって、二人の手の届かない人、助ける」
何よりも、そういう言葉を臆せず言える素直さは、オレ達にはないものだった。
改めて、ウーラチカが必要な事に気づく。
「……良い? ちゃんと言えた?」
不安そうなウーラチカに、サシャは笑顔で頷き、その弓を握る手を優しく包む。
「ええ、良いわ――貴方の忠義、お受けします、ウーラチカ」
ウーラチカの手に、燐光が纏う。
その光は前に俺が見たときと同じように美しく、
まるで彼の名前の通り、明けの明星のようだった。
第三章へ続く
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