其ノ六
剣と触手が擦れ合う音が響く。
普段だったら音も立てずにスルリと切れるのに、
『■■■■■■!!』
咆哮が上がる。どこか焦れるような叫び声。
そりゃあそうだろうな。
邪魔でしょうがないよな。
「でも、悪いな――お前をここから逃がすわけには行かないんだ、よッ!!」
左手に持った《顎》を振るい、左斜め後ろからやってきた触手の群れを切り伏せる。
間髪いれず正面から襲ってきた触手を《竜尾》で振り払い、それを
『■■■!!』
業を煮やしたように吐き出された黒い影の固まりは、砲弾のような威力を持ってオレを狙って飛んでくる。
「――《
《竜尾》の機構を起動し、〝衝撃〟の魔力物質でその弾丸を防ぐ。反動と弾丸そのものの衝撃を相殺する為、大地に深々と突き刺す。
オレが防御に回っている間に、陰に隠れてい動いているつもりなんだろう、しかし視界の端に捉える事が出来た。
「チッ、そこ動くなっつうの!」
《飛鱗》を投げる。《飛鱗》は魔力物質の刃を持って、近くで俺を襲うとしていた分離した触手を突き刺し、地面に縛り付ける。
「――チッ、千日手染みてきやがった」
舌打ちを打ちながら《竜尾》を引き抜く。
悪逆ノ精霊の能力は確かに強力で、吸収した力で攻撃されても体を再構築できる。
それはオレも同じ事。サシャから貰っている大我のお陰で、傷は直され、筋力は衰えない。
――だが結局体力の限界はこっちのほうが先に来る。
それをきっと、うちの《勇者》様は許してくれない。
「さぁ、もっと来いよ化け物。もっと戦えるんだろう、お前」
切っ先を向け、刃を振るう。
触手も、巨大な拳も、弾丸も、全て防ぎきり、攻撃を加え、出来るだけ相手を消耗させる。こいつが持っているエネルギーは奪った分
。バカスカ撃たせてりゃいずれオレにも勝機が見えてくるはずだ。
それまで、オレは何時間だって戦う。何時間だって護って――、
『■■■■■■■■■!!!!』
「――はぁ?」
唐突な絶叫に、剣が止まる。
このまま剣を止めては死んでしまうと一瞬だけ思いなおしたが、追撃は来ない。
苦しんでいるから。
ついさっきまでオレの攻撃なんて屁とも思っていないように戦い続けていたこいつが、苦しんでいる。胸を、腹を抱き、蹲り、必死で自分を押さえつけようとしている。
「――サシャか、」
考えられる要因は一つ。呪師に何かあったという事で……何かした奴は、うちのご主人様くらいしか考えられない。
『■■■■、■■■■、■■!!!!』
大型動物が痛みで暴れまわるような力と規模で、悪逆ノ精霊の触手ががむしゃらに周囲を攻撃する。それを防ぎながらも、俺は離れる事をしなかった。
どろどろに悪逆ノ精霊の体が解けていく。もはや肢体も維持できず、胴体だけになり、最後に頭も失って、核であるはずの若草色の宝玉を包み込むように丸まる。
球体。
真円度が高く、光沢を盛った黒い球体に、悪逆ノ精霊の姿は変わっていく。
「何がどうなって、」
オレの言葉は、最後まで続かなかった。
その球体から、無数の棘が生えて来たからだ。
物凄い勢いで生えてくるそれは、触手の槍よりも酷い。ファランクスどころか、一本一本が継承試験で受けたファオの魔法の槍と同等の威力と速さを持っていた。
「グゥッ!!」
《竜尾》を構え、再び盾にする。
だが先ほど異常の攻撃力を持っているその棘を防ぎきることは敵わない。
《竜尾》を持っている手が、庇いきれていない足が、腹にもその棘は突き刺さる。盾にしている《竜尾》も保たずに罅が入り、それでもなお耐えられない衝撃をオレに与えた。
「ウァ!!」
足まで突き刺されて踏ん張れるはずもなく、オレの体は浮上し、そのまま文字通り刺さるように森の中に吹き飛ばされた。
しばらく風を切り、背中に木々が当たるのを感じて、ようやく地に戻ってこれるほどの威力。
「クッソ……うちのご主人様は、いったい何してくれたんだッ」
強制的に癒されていく四肢に鞭を打ちながら立ち上がり、先ほど自分が立っていた場所を見る。
木々で覆われていたはずのその場所は、オレが今立っている場所の手前まで、更地という言葉が生易しい、荒野に変化していた。
先ほどの棘は軟化し、自分の周囲に倒れている木などに触れ、周囲の空気中からも大我や
その速度は、戦っていた時以上の物だ。《看破眼》で見ていれば、その場の大我がどんどん損なわれている事が良く分かる。
「……本当に、何がどうなっているんだ」
――いや、自分で言っておいてなんだが、これと似たようなものを傭兵時代に見た事がある。魔獣狩りをしていた時だ。
ある魔獣をオレとその場にいた他の傭兵が追い詰めたが、ソイツは致命傷を追ったと判断した途端、自分を守る行動に出た。
周囲にいる生き物を手当たり次第に食い漁り、防御の姿勢をとったまま爆睡したのだ。
普通の生き物だったら休めるわけがないんだが、普通の生き物とは外れた生態を持っている魔獣には、そういう異常な行動が目立つ。
恐らくそいつは自分という存在を守り、維持するための行動をとったのだ。
肉の器を持っていないあの悪逆ノ精霊という存在が同じ行動をとっているとは断言し辛いんだが、可能性は無いわけじゃない。
「うちのご主人は、それだけ追い詰めたって事か……そうなると余計手を出し辛いな」
目の前で盛大な食事と休息を続けている悪逆ノ精霊だったものを近づかずに眺める。もしオレの考えが当たっているか、当たっていなかったとしても遠かったとすれば、ここで手を出しちゃいけない。
窮鼠猫を噛む、手負いの獣が一番怖い。今アイツが生きること、自分の存在を維持し続けるのに必死なら、さっきの戦闘なんか比じゃないくらいの攻撃がこっちに一点集中するだろう。
その攻撃を縫って本体に突っ込んでって攻撃……考えたくは無いな。
「――トウヤ!!」
そうしてオレが立っていると、ウーラチカの声が聞こえる。見てみれば、悪逆ノ精霊を迂回するようにこっちに走ってくるのが見える。
抱きかかえられているサシャは少し怪我をしているようだが、ぱっと見大きな怪我じゃない。それに少し安堵しながら、オレも剣を収めて駆け寄った。
その二人以外に姿は見えない。呪師を拘束出来たならばそのまま放置していく事はないだろう……そう考えて、オレはそれを言わない事に決めた。今はそんな状況じゃない。
「トウヤ、いったいこれはどうなっているの!? なんで悪逆ノ精霊がこんな風に、」
「それはこっちが聞きたいっての。アンタがやらかした以外考えられないんだよ」
いちいちオレの所為にしなきゃ気が済まないのかこのご主人様は。
「そう、でも、そうね、だとすれば考えられる事は……でも、それだと、他に可能性は……ううん、それ以外には確かに考えられないわね、だけど……」
なにやら真剣な面持ちで、サシャは丸まった悪逆ノ精霊を見つめながら考え込む。
こうなってしまえば、もはや後はサシャの答えを待つばかりだ。オレも多少詳しくなったとはいえ専門知識はないし、ウーラチカはどうだか知らないが、
「……?」
ここでいつも通り、無表情に首をかしげている時点で答えは察せる。
「……おそらく、今悪逆ノ精霊は体が維持出来ない状態なの。私が呪師の使っている制御術式を破壊したんだけど、どうやらそれは、あの体を構成しているという意味での制御も担っていたんだと思う」
「つまり、あいつは今自分の体が勝手に壊れてってるって事か?」
オレの言葉に、サシャははっきりと頷きを返す。
「そう、だから自分の体の中にある大我やら小我やらで、自分の体を無理矢理維持してる。でもそれはとても膨大な力を使う事になる。だから消費の激しい人間型を止めて、エネルギー吸収に努めている。
ただ、その分防衛機構は前の状態より強力。近づいてきたものは容赦なく打ち殺して、餌に変えようとするでしょうね」
……つまり、オレの予想は間違っていなかったって事か。
「? えっと、という事は……
言葉の意味は判らなくても、分かる言葉だけで統合したウーラチカの言葉が一番正解に近いんだろう。
今の状況で倒すのは確かに難しい。生存本当だけで動いているって事だ、悠長な攻撃手段をとっていたら逃げる可能性だってある。
「で、そこまで分かって作戦はあるか、サシャ」
「…………問題は、核。あの核になっている精霊が生きている事は確実だし、精霊を救うにはあの核だけは無事に確保しなきゃいけない。どちらにしろ核を取り外さなきゃあの精霊モドキは倒せそうに無い。
ただ、あの肉体に見えるものは一種の大我の塊。つまり高エネルギー体そのもの。今の状態のアイツに素手で触って中から核を引っ張り出すのは、ちょっと難しいわね。
……
その言葉に、オレは少し嫌な予感がする。
何か、無茶振りをされるんじゃないかという、嫌な予感だ。
「……素手じゃないならなんだって言うんだ」
聞きたくないと思いながらも先を促すと、サシャは少し言い辛そうに重い口を開く。
「……腕全体を、私の供給する大我で覆うの。それで、内部からの攻撃は防げるし、大我そのものみたいなものだから、核に触れても核そのものには影響を与えないように摘出出来る。
ただ、その……どろどろに熔けた鉄の中に腕を突っ込んでいるようなものだから、」
……ようは、無茶苦茶痛いって事か。
そりゃあ、言い辛いだろうな。
「……分かった、そいつは俺がやろう。どっちにしろ、そんな大きい大我を受け入れられるのはオレくらいだし、サシャは身体能力に難有りだからな」
そもそも、これをやらなきゃ始まらないってんなら、オレがやる以外ないだろう。
「ごめん……」
申し訳なさそうな顔をして謝るサシャの頭を、オレは軽く撫でる。
「気にすんな……さて、問題は、どうやってあの遠慮がなくなった触手の群れを突破して中に突っ込んでいくかだ。
片腕を空けとかなきゃいけないから、オレは《顎》しか持っていけない……《竜尾》がこれだしなぁ」
手に持っている《竜尾》を見る。
刃を出す溝が入った亀裂の所為でずれている。これじゃあ、刃を生み出す事は出来ないだろうし、基盤らしき宝玉にも細かい罅が入っているのを考えると、使えば即爆発しそうだ。
そんな物を持って線上にたつわけには行かないが……でもそうすると、今度は自分の身だって護れない。《顎》だけで切り進むのはちょっと難しい程の触手の数だし。
「そうね、そこは――ウーラチカ、出来る?」
サシャの言葉に、話を聞いていたウーラチカは少し戸惑う。
「出来る、と思う。けど、もうウーの小我少ない。小我じゃないと、連発難しい」
ウーラチカの矢の射出速度は速いが、そこら辺の枝ではなく、小我を使えばさらに早い。
拾って、番えて、引くという三段階じゃなく。指に小我を込めながら引くだけで〝矢〟になるんだ。きっと本気を出せば、あの触手の群れを打ち払う事だって出来るだろう。
だが、無いものはどうしようもない。小我は急激に回復するものでもないのだから。
しかし、そんなウーラチカの不安そうな言葉に、首を振る。
「大丈夫――私に考えがあるから」
柔軟をして体を柔らかくする。
少しでも早く走れるように、防具は外す。お高いものだが、まぁ命には代えられない。あとで取って来れる様木に目印をつけ、その根元に置いた。《飛鱗》のホルダーも、鞘も、壊れている《竜尾》もだ。
手に持っていくのは《顎》のみ。これも最後の仕上げに必要なだけなので、刃を生成せず鞘に収め、足の動きの邪魔にならないように腰に下げている。
「じゃあ、良い? 零って言ったら走りなさい。真っ直ぐ、他には何も見ないで」
サシャの言葉に頷いて、オレは体を傾ける。這い蹲っているように見えるだろうが、もしここでオレと同じ
目の前の木々はもう、ウーラチカの誘導で避けてくれているから、はっきり悪逆ノ精霊の姿が見える。もはや眼も耳も口も無い状態になっているので、どこまで外の世界を認識しているのかは分からないが、少なくとも此方に気付いている様子は無い。
それで良い。
というか、ずっと気付かないで欲しい。
「いくわよ――三、」
足に力を入れ、腕に全体重をかける。
「――ニ、」
真っ直ぐに前を見て、爪先に力が集中するのを感じる。
「――一、」
既にオレの体は、内側から爆発しそうなほど力を蓄えていた。
あとは、それを、
「――――零!!」
解き放つだけだった。
直ぐに景色が後方に流れていく。目の前の悪逆ノ精霊の姿が、普段以上の速度で大きくなっていく。
もはや悪逆ノ精霊は吠える事すらしない。感情すらも感じない。
ただ、その生きようとする意思、自分を守ろうとする意思だけは触手の動きに現れる。鉄のように硬くなり、先は鋭くなり、ドリルの如く螺旋を描く。
相手の防御力など無効化し、穿ち、吸収するためだけに作られているそれが、視界の端に迫ってくる。
それでもオレは走りを止めない。
オレには――この森の守人がついているからな。
視界の端に、閃光が瞬く。
もはやそれは普通の矢とは言えないほど太く、長い。城の防衛兵器としてとりつけられるバリスタの矢のような巨大な光線が、走り続けるオレに近づく触手を猛烈な速さと量で駆逐していく。
――一時的に大我を契約した《眷属》以外に提供する権限。
それでサシャは、一時的で、本来の《眷属》程ではないが、それでも膨大な大我をウーラチカに渡したのだ。
大我は小我よりもエネルギー効率が良い。普通に番えたっていつもの矢より強力になり、いつもの矢より多く、早く放てているのだろう。
振り返らずとも、行け、精霊を救えと背中を押されているのを感じる。足は止まらず、距離はあっという間に詰められ、悪逆ノ精霊の体にすぐに届く。
「サシャ!!」
オレが叫んだ瞬間、――腕に熱が篭る。
青白い光炎に包まれているような幻視を与えるほど、右腕に宿っている大我は膨大だ。そして、その熱と痛みも。
熔けた鉄の中に腕を突っ込むとはよく言ったものだ。覚悟してからやらないと、痛みで意識が持っていかれそうなほど
「だぁりゃあぁああぁああぁあぁぁぁああぁあ!!!!」
突く、切り裂く、横に切り開く。何度も何度も切り開いて、出来るだけ奥に手が届くように、出来るだけ宝玉に手が届くように斬り進む。
――一瞬、若草色の光が視界に入った。
「――ッ!!!!」
《顎》を離し、右手をその傷の中に突っ込み――柔らかい感触の中に、硬い何かを探り当てる。
『助けて助けて体が作れない痛い苦しい気持ちが悪い助けて援けて救けて足りない力が足りない大我が足りない小我が足りない魔力物質が足りないもっともっともっと集めないと死ぬシヌ死ヌ私が私達が壊れる破壊される停止する無になる止めて助けて誰か誰でもいいから』
「――ッ」
呪いの言葉が頭の中で沸騰する。
もはや外界から情報を得る術は、彼女達にはない。だから触れてくるものは全て敵だと思い、呪い、憎むしかない。オレの頭の中を攻撃し続けるしかない。
でも、それでも、それを離さない。もっとしっかりつかめるように、自分の体の痛みも偏重も気にせず、奥に手を伸ばす。
「――大丈夫、」
自分に、精霊たちに、言い聞かせるように呟く。
「大丈夫、」
絶対助ける。絶対救う。こんな所で、痛かろうが辛かろうが、諦めたりなんかしない。
手を伸ばす。
絶対に死なせたくない、失わせたくないから。
置いていく辛さも、置いていかれる苦しみも、何かを永遠に失った者の悲しみも、分かっている。だからそれをもう〝二度と〟味わいたくない。誰かに味わって欲しくない。
「力ずくでも、お前らを護ってやらぁ!!」
何かが千切れる感触を気にせず、腕を引き抜く。
皮膚が焼け爛れ、肌色の部分など一つもない俺の手の中には、若草色の宝玉が一つ。
――それを見れただけで安堵したのだろう。俺の意識は、そのまま闇の中で溶け出していった。
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