其ノ三






 空間転移。

 魔術にも魔導にも、そんな術式が存在する。条件さえ揃えば、大陸の端から端まで〝跳躍〟出来る。

 ただし、その条件は使うモノにも依るが、かなり厳しいものが多い。殆どは大我オドを蓄積して定期的に使える据え置きの魔方陣を使う。

 サシャが使った転移術式は、〝えにし転移〟。

 自分と縁が深い人物、場所に転移出来るというものだが、これは〝縁〟という非常に曖昧なものを目印にする為、普通ならばばらつきが大き過ぎて狙った場所に行く事は出来ないと断言出来る。

 だが、それはあくまで、普通ならばだ。

 《勇者》と《眷属》の繋がり、絆、縁。

 それは通常の縁以上に強固で、祝福とも言えると同時に、呪いのレベル。

 だからこそ、術式に使う大我を絞り距離を限定すれば、自然とトウヤの元にやって来れるのだ。


「相変わらずタイミングが良すぎるぜご主人様、本当にどっかで機を覗ってたんじゃないか?」

「失礼ね! こっちは駄々捏ねる大将様のケツ蹴り上げて、揉める樹人族エント大鬼族オーガを一時的に和解させて、それからようやくここに来てんのよ!

 そんな都合合わせられる余裕、ある訳ないじゃない!!」


 サシャの顔には怒りと同時に、ほんの少しではあるが疲れが見えた。

 何せつい少し前までは戦争状態だった両種族。危険が迫っているからと言って、じゃあ仲良く手を繋いで逃げる、何て事になるはずが無い。

 揉めて、短気な大鬼族が手を出そうとしたのを、サシャが一喝してなんとか収めて来たのだ。


「で、状況は……あんまり良い状況じゃないみたいね。」


 下卑た笑みを浮かべる呪師。

 どこか恐怖を引き立てる笑みを浮かべる悪逆ノ精霊モルガナ

 疲労感が顔に出ているトウヤとウーラチカ。

 二人ならば何とか、と期待していたが、流石に卓越した魔導師と異質な能力を持っている精霊モドキ相手には難しかったのだろう。


「詳細は?」

「呪師があの悪逆ノ精霊とやらから大我を貰ってお前みたいな状態、悪逆ノ精霊の触手は分離する、弱点はあるような気がするがまだ見つかってない。以上だ」

「本当にジリ貧じゃない」


 弱点が見つかっていない点に関しては想定の範囲内だが、呪師が大我を大量に抱えているのと、悪逆ノ精霊にまだ特殊な能力が残っていたのが予想外だ。


「――まぁ、いいわ。私が呪師の相手をするって事で良いのよね?」

「ああ、それで良い。出来れば情報とか引っ張り出せるとありがたいなぁ」


 そんな無茶な。

 という言葉を出そうとして、飲み込んだ。

 トウヤも無茶をしてくれていた。悪逆ノ精霊と呪師などという強い敵相手に、ウーラチカと二人で頑張ってくれていたのだ。

 そんな状況で、無理無茶無謀なんて言葉を吐きたくなかった。


「ヒヒヒ、お話は済みましたかな?」


 そんな二人の会話に、呪師の言葉が割って入る。


「いやはやお待ちしておりました《勇者》殿。貴女様を喰らいたい喰らいたいと、某の悪逆ノ精霊が痺れを切らして、

「『――吾乞イ願ウ』!」

 ほぉ!?」


 朗々と話し始めた呪師の言葉を遮って詠唱する。


「『大地ノ息吹、我ガ眼前ニイル愚カ者ヲ縛リ上ゲヨ』!!」


 呪師の足元から土が巨大な大蛇のように太く長く巻き付き、その四肢を束縛しようとする。


「『シカシテ土塊ヨ、汝水ニハ敵ワズ』」


 しかし呪師も負けてはいない。即座に詠唱を発すると、土の中から湧き上がる水に解かされ、硬度を失ったそれを容易く崩す。


「酷い事をいたしますなぁ。某が話しておりますのに」


「お生憎様。もうあんたの話を聞く気はこれっぽっちもないし、あんたがこれ以上何かをたくらんでいたとしても、それに乗っかる気はないわ」


 呪師を睨み付ける。

 この男の所為で、多くの人が悲しんだ。

 ムカルは怒りと復讐に取り付かれ、

 シュマリはそんな父を歯噛みしながら見つめ、

 多くの大鬼族が利用され、

 多くの樹人族が悲しみ、

 樹ノ精霊ドリアード達が殺され、

 《苔生ノ翁》が死に、

 ウーラチカも、危うく悲しみの渦に呑まれかけた。


「コレは酷い、《勇者》殿の口から出ている言葉とは思えませぬなぁ。全てにおいて平等、中立中庸、善と悪を区別せず、全てを守るのが《勇者》でありましょう? 某の事は救っていただけないのですかな?」


サシャの怒りの言葉にも、呪師はどこか小馬鹿にするように口を動かす。


「そもそも考えてくだされ《勇者》殿。大鬼族、あれはそもそも自業自得ですわい」


 ――は、

 あまりな言葉に、思わず返す言葉を失う。

 呪師は続ける。


「あの者達は最初からそういう﹅﹅﹅﹅者達だったのです。

 争いを好み、下品な事この上ない野蛮人。某らと同じ人類という括りに入れてやる価値すらない、獣のような存在です。あいつらが国を追い出されたのも、戦いに明け暮れ、そして負けたが故。

 某はほんの少し背中を押してやっただけの事。遅かれ早かれああなっていましたでしょう」


 ――隣に立つトウヤの剣が音を立てる。

 表情は何も変わっていないのに、雰囲気は如実に変化する。今にも怒り狂い、未だ喋っている呪師を見ている。

 それでも呪師は言葉を続ける。


「樹人族も樹人族でございます。こんな良い環境を独り占めし、挙句の果てに自分達が戦えないからと、わざわざ半種デミ精闇族ダークエルフを傭兵に仕立て上げるとは、いやはや、連中の森にかける情熱は異常でございますなぁ」


 ――今度は、ウーラチカの弓の弦が音を立てる。

 こちらはもはや隠す気すらない。今にも小我オドから〝矢〟を生成し、呪師を蜂の巣にしかねない勢いだ。

 それでも呪師は言葉を続ける。


「某はただ、自分の夢を叶えようと躍起になっていただけでございます。

 《勇者》殿が《勇者》になる為に努力したのと同じように、某にも夢があり、某はただそれに邁進しただけの事。〝禁呪〟だなんだと騒がしい、技術は技術。それを使う人間次第でいくらでもそんなもの、」


「――黙れ」


 トウヤでも、

 ウーラチカでも、

 ましてや呪師でもない。

 サシャが怒りを湛えた目で睨み付ける。

 大鬼族は自業自得?

 樹人族がウーラチカを傭兵に仕立て上げた?

 ――サシャわたしの夢があいつと同じ。


「ふざけんじゃないわよ……ええ、そう、私は中立中庸の《勇者》。どんな人間だって救うし、どんな人間だって殺さない、死なせないって誓いを立ててここにいる。

 でもね、シュマリにも言ったけど――私はあんたを赦す気なんてさらさらないわ」


 目の前の呪師は、多くの人を傷つけた。

 ムカルが、シュマリが、多くの大鬼族が、多くの樹人族が、樹ノ精霊達が、《苔生ノ翁》が、ウーラチカが。

 沢山の命が失われ、沢山の悲しみが流れ、沢山の怒りを見た。

 もう、充分だ。

 これ以上、こんな辛い事は起こさせない。




「呪師を名乗る悪魔系デモンズ種族。私は貴方を殺さない、私は貴方を恨まない。私は貴方を見捨てない。

 ――でも、キッチリ罪は償ってもらうわ」




 錫杖を一度だけ振るう。

 遊環が清涼な音を立てる。


「――《勇者》サンシャイン・ロマネスが、貴方に速やかな投降を勧めます。

 投降してくれるならば、戦闘という貴方の命の危険を与える行為には発展せず、安全で公平な裁判を受けられるように、私が具申します」


 その場にいる全員が目を見開く。

 ここに来て、投降を勧めるという、一種愚かに見えるかもしれない光景。

 だが、サシャは真剣だった。ここで投降してくれるのであれば、本当に彼を傷つけるつもりはなかった。

 殺さない、救う。そう決めていても、戦闘の場では何が起こる解らないから。


「――ヒ、」


 しかしそんなサシャの言葉は、




「ヒヒッ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ、ヒャッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」




 呪師の狂気の笑いでかき消される。


「ッヒヒヒヒヒヒ、今代の《勇者》殿は愚か者じゃ! 本当に驚きじゃ!

 通過儀礼のようなものじゃったなら誰にでも言えるじゃろう、大義名分の為となれば心無い事も言えるじゃろう!

 しかし某には解る! 悪魔それがしには判る!!――本気で言うておると!!」


 人の心を手に取るように理解し、その者が欲するモノに漬け込む。

 それが悪魔。それが古来から生き、その古来の生き方を捨てなかった、本物の悪魔。そしてだからこそ理解できる。目の前の相手が、心の底から自分を傷つけたくないと思っている事を。

 ここまでされて、ここまでした、もはやまともな倫理観など持ち合わせていない悪魔を救おうと﹅﹅﹅﹅している。

 なんと愚かだろう。

 なんと歪んでいるのだろう。

 世の聖職者、世間でいう所の善人であっても救うどころか滅する事を考える呪師じぶんに向かって。

 ああ、なんて良い。

 堕し甲斐のある人間に、一日で三人にも出会うとは。

 彼らを纏めて絶望と悪感情の坩堝に叩き堕とせたなら、

 悪魔として、これほどの幸福があろうか!!


「――で、返答は?」


 サシャは嗤われても、愚かと言われても、何も変わらない。

 ただ真っ直ぐに呪師を見て、答えを待ち続ける。


「――お断り致す!!」


 両手を天に振り上げ、歓喜の表情を浮かべる。神に祝福されているように、否、それ以上の幸福感を現しながら、《勇者》の差し出した手を払いのける。


「某は悪魔! 悪逆を為す太古の生命、本物の﹅﹅﹅悪魔!

 それが貴女様のような聖人君子に手を差し伸べられ、どうしてそれを取れましょう! 救いなど求めていないというのに! 手を取ったところで某の命はないのに!!


 なればこそ、――貴女を貶めましょう」


 その言葉と共に杖が指揮棒のように振るわれ、




 一瞬で、悪逆ノ精霊の触手がサシャに殺到する。




 分裂し、増殖し、何百と増えた触手は一軍の槍衾。違いがあるとすれば、軍が放つそれよりも統率が執れ、一刺しされただけでも彼女の全てを奪うだろうという事。

 それは文字通り、悪魔の一撃――、




「――おい、うちの主人がまだ話してるだろうが」




 巨大な刃が、その槍衾を切り塞ぐ。

 穂先は全て吹き飛ばされ、残っている触手部分も、巻き込まれるようにズタボロにされていく。


『■■■■■■■■■■――!!』


 悪逆ノ精霊の絶叫も気にせず、トウヤはゆっくりと構える。

 右手に《竜尾》。

 左手に《顎》。

 その歪な二刀流で、背中に《勇者》を庇って立つ。


「――もう良いな、サシャ」


 戦っても良いな?

 傷つけるかもしれないけど、良いな?

 ――だがその代わり、お前の信念の為に救うよう動くけど、良いな?

 そのような感情を込められたたった一言に、サシャは頷く。


「――ええ、思いっきりやりなさい、トウヤ」


 信頼と情熱を込めて。







「走れ!」


 オレの言葉と共に、サシャの足は動き出す。

 それを追って、触手を再生させながら悪逆ノ精霊が動くが、


「――サシャの、友達の邪魔、させない」


 その目に、小我の矢が突き刺さる。


『――■■■■■■■■!!』


 どこまでその目が人間と同じように機能しているかわからない。だが効果はあった。

 悪逆ノ精霊は苦悶の咆哮を奏で、その場でのた打ち回る。

 その間に、サシャはその横をすり抜け、呪師の方へ駆けて行った。


「――さぁてウーラチカ。オレ達はこいつを相手にする。サシャが弱点を見つけ出すか、オレが先に見つけちまうか。どっちにしろ、こいつをぶっ倒して精霊様を救える〝ナニカ〟が必ずあるはずだ」


 痛みからなのか、視界が開けないからなのか。その場で暴れまわる悪逆ノ精霊を睨みながらのオレの言葉に、ウーラチカは頷く。


「うん、おれウー、頑張る」

「良いお返事だ」

「……でも、良かったの? 一人で行かせて」


 《勇者》は戦えない。

 《勇者》は《眷属》に守られる存在。

 それが社会一般の常識だ。それは間違いではないし、ウーラチカがどこか心配そうなのも分かる。

 だが、それでもオレは安心させる為に――いや、違うな。

 確信があるから﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅笑みを浮かべた。


「大丈夫だよ。




 アイツは攻撃出来ないけど、それは戦えないわけじゃないから」





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