其ノ二
その言葉に、全員が目を見開く。言葉遊びのようなその言葉に、コイツはいったい何を言っているんだろうと首をかしげる。
「良い? 先の事なんて誰にも分からないの。ただその先に何かあるって事以外は分からないの。
――でも、分からないからって、不幸が訪れるかもしれないからって、生きるのを止めて良い事にはならない」
生きて、
生きて、
生きて、生きて、生きて。
その先には、良いものばかりではない。悲しく辛い事もきっと沢山あるだろう。
でも、生きる。
生きる事をそれで諦めて良いはずがない。
「あんた等の仕事は、その〝どうにか〟を探しに行く事なの。
それを止める事は、私が許さない。――私が、絶対に許さない」
錫杖を小脇に抱えると、ムカルの手を無理矢理掴んで引っ張る。
体重差、力の差でどう考えても動かせるわけが無いのに、彼女は力を緩めず、全力でムカルを前に進ませようとする。
「決めたのよ、もう目の前で死なせない、こっちはあんた等を全員救う為にいるのよ、分かったらさっさと、立ちなさいよぉ!」
『……何故、そんな事をする』
ムカルは呆然とした顔で目の前の少女に問いかける。
『何故、そこまでする。そこまでする義理もないはずだ。俺達は大鬼族、世権会議の民ではない。何故救おうとする、何故俺達を見捨てようとしない。
――お前は、いったいなんなんだ』
その言葉に、サシャの力が止まる。
錫上をしっかり持ち直し、正面にあるムカルの目から己が目を逸らさない。
誇らしげに、己が名を語る。
「私は、
――貴方達の《勇者》よ」
――その光景は、いずれ語り継がれる事になる。
《勇者》サシャが、本当の意味で無辜の民を救おうとした、最初の光景だ。
「はい、自己紹介終了。分かったならとっとと行きましょう。あんた等を助けたら、今度はあっちで頑張ってるうちの《眷属》とウーラチカを助けに行かなきゃいけないの。
《勇者》だって暇じゃないのよ、ほら、シュマリも手伝う!」
『え、あ、はい!!』
戸惑いながら、シュマリももう一度父の手を取る。
『……《勇者》、《勇者》か』
勝てないはずだ。
こんな無茶苦茶な事を言って誰かを救おうという人間に、勝てるはずもない。
どこか観念したように、ムカルは足に力を入れた。
◆
「『森ヨ我ガ命ニ従エ、見ヨ、カノ者ラガ怨敵ゾ』!!」
魔導の呪文が盛り全体に広がる。
木々がざわめき、万よりもなお多い軍隊が動き出す。
根が足となり枝葉が腕となり、蛸の如く蠢き、オレ達を襲ってくる。
「ちょっまっ」
「うおぉっ」
慌てて近くにあった岩にウーラチカと共に隠れる。
枝葉が伸び、濁流のように岩を中心に割れていく。その勢いで岩が振動しているのを背中で感じる。
「ちょっ、ウーラチカさん!? 森やら植物やらはお前の味方するんじゃないのかよ! めっちゃ攻撃されてるんだけど!?」
「そうだけど! なにか変! 木、まるで酔っ払ってるみたい!」
「ハァ!? 酔っ払ってる!?」
何を言っているんだと呆けるが、オレは少し考えがあって《看破眼》を起動する。
もっとも、多すぎれば体に異常が出る。それもまた上限を超えなければ酩酊感と不快感くらいで済むが、それ以上になれば、魔獣化したり、死んだりする。
――つまり、今呪師が操っている森の木々もそうなんじゃないかと踏んだんだが、
「ビンゴ……というか、なんだこれ。普通の人間が操れる大我の域を超えているぞ」
横を通り過ぎる木々が、警戒色か、あるいは本当に酔っ払っているかのように紅くなっているのが見える。
大我の過剰摂取。それによる強化なのだろうが、それ以上にその膨大な大我で無理矢理操っているのだ。
それだけの大我を操れる人間は《勇者》くらいなもの、知識が薄いオレでも、こんな量魔導師が扱えないって分かる。
「……ドーピングしてるってわけか、不正行為なんて、倫理委員会に怒られるぞ」
「? トウヤ、もっと分かるように説明する!」
「あぁ~、つまり、多分だけど、あいつはあの
従えている者が従っている者に小我を提供しているというのはよくある話だが、悪逆ノ精霊は小我を供給されなくても自分で勝手に周囲から吸収する。むしろ、その吸収力は森をからし、触れただけで抵抗力の低い動植物を枯らせるくらい強い。
その貯蔵量も膨大とくれば、逆にそれを呪師に供給すれば延々と強力な魔導を使う事が出来る。
勿論、魔導ってのはざっくり言えば〝誘導〟。そう簡単に奇想天外な事は出来ないが、
「ヒヒヒ、隠れているだけでは木々は防げても空からの攻撃は防げますまい――ほうれ、
嬉々とした呪師の言葉と共に、暗雲が垂れ込み、雨が降ってくる。
もっとも、その雨粒は鋭く、氷に変化していないはずなのに鋭い。
流動と固定、その両方を実現した異常な姿でオレ達の上から降り注ぐ。
「――人が話しているのを遮ってんじゃねぇ!!」
《竜尾》を振るい、その
異常な光景、強力な攻撃。それでもその攻撃が魔力物質を編み、その特性を生かしたものであるならば、オレに両断出来ないものはない。
うん、でもまぁ、
「チッ、数が多過ぎんだよ!」
《竜尾》で旋風を起こし、雨粒を弾き飛ばしていても埒が明かない。
「ウーラチカ!!」
「――分かってる」
オレの言葉と共に、ウーラチカが弓を引く。
だが、呪師を直接狙うと思っていたその矢は、オレの真上――異形の雨を降らしている雨雲に向いていた。
「ちょっ、そっちじゃ、」
「大丈夫――
そう言った瞬間、矢は放たれた。
それは真っ直ぐに雨雲の中に入り、刹那の静寂の後――炸裂した。
「なっ――」
《看破眼》は、オレの動揺を無視して目の前の現象を精細に観測していた。
〝矢〟という《概念》で纏まっていた小我の矢は、その纏まりを
その所為で、雨雲を生み出していた魔力物質の頚木を砕き切ったのだ。
――簡単な事のようにやってのけたが、矢の概念を与えているのは弓であってウーラチカ本人ではない。その塩梅を短時間で調整するってのは、普通の技じゃない。
「やっぱ才能ある奴は違う、な!!」
《竜尾》を両手で握り、刃を横にして構える。
「次はオレだ――しゃがめ、ウーラチカ!」
斬撃の刃が伸びる。それを横薙ぎに一閃――岩も、向かってきている木々も切り裂く。
オレの剣の刃は、刃であって刃でない。文字通り、そういう《概念》。本のちょっと刃が当たってない
まぁ、ちょっとコツがいるっていうか、集中しなきゃいけないからあんまり使えないけど。
「……トウヤも、人の事言えない。結構無茶苦茶な事してる」
「オレじゃなくて、能力のおかげなんだけどな……さて、」
刃を元に戻しながら構え直す。
呪師は悠長に佇んでいる。相変わらず気持ち悪くニタニタ嗤いながら、横に悪逆ノ精霊を侍らせて。
「ヒヒヒ、弱りましたなぁ、《眷属》様がお強いのは理解しておりましたが、
嬲るように、追い詰めるように言葉を投げてくる。
オレはそれにキッと睨み付ける。
「――あぁ、なんでも試してみろよ。
オレもアンタ
「――――――」
呪師は何も答えない。
だが、コイツの場合答えないだけでも充分だ。
――オレも呪師も待っている人間は一人だけ。
《勇者》であるサシャの存在。
悪逆ノ精霊はなんでも食う。大我も小我も関係なく吸収する悪食。そんな奴が《勇者》が持っている美しの泉の加護――世界中の大我を手に入れたらどうなるか。
キャパシティーがどれぐらいあるのかは知らないが、どっちにしたって世界は破滅だな。こんな悪辣な奴がこれ以上の大我を手に入れたらどうなるか。
――一方こっちも、サシャに来て貰わなきゃ困る。オレとウーラチカ、二人で呪師と悪逆ノ精霊を纏めて押さえ込むのは難しい。
今のこの状況は、あっちもサシャを待っているからこそ起こっている膠着状態だ。サシャが来たら一気に崩しに掛かるだろう。
そうなると、結局呪師の相手を出来るのは、同じく魔導を使い、呪師以上の大我を扱えるサシャだけだ。
「ヒヒヒ、分かっておられましたか……では、そこから先もお分かりでしょう?」
呪師の顔が、より一層歪む。
楽しそうに。
愉しそうに。
……ああ、分かってますって。
こっちが結構不利な状況なのは分かってますって。
――
「……アンタさぁ、長生きしている
「――ほう、」
オレの言葉に、呪師の片眉が上がる。
「なんでそう簡単に、あいつが捕まるって思うんだ、アンタ」
そりゃあまぁ、まだまだ経験不足だ。
男女差別はしたくないが、女が筋力とか肉体面で弱いのはそりゃあしょうがないし。
そもそも、《勇者》が戦う事は出来ない。
普通に考えれば、呪師の足止めをさせようっていうオレの考えの方が、どうかしている。
でも、
「――アイツはな、お前みてぇな下種野郎に捕まるほど弱くはない」
ムカルとの交渉を見て確信した。
まぁ交渉としては及第点、というより結構ごり押しだったけど、初めてにしては凄いと思った。
上から目線で言っているように見えるかもしれないけど、こっちだって傭兵って〝商売〟してたんだ。交渉事だってそれなりにこなしている。
でも、オレがまだまだ経験浅かった時に――あんな風には出来なかった。
それだけで、充分アイツの凄さが分かる。
何より……どんなに嫌な事でも、辛い事でも、やるべき事を、歯が砕けんばかりに食いしばったってやり切る。
そんな奴が弱い訳が無い。
それに何より、こっちにはオレだけじゃなくウーラチカもいる。悪逆ノ精霊を押し込めておくぐらいはやれるだろう。
「――ヒヒッ、では、その夢を壊すため、じわじわと苦しんで貰わなければ。『土ヨ土ヨ土塊ヨ、カノ者ラヲソノ汚泥ヲモッテ闇ニ沈メヨ』」
足元が液状化し、瞬きをする暇もなくオレ達を包み込める程のドームを形成する。
「ッ、トウヤ下がって!」
暗闇の中で、ウーラチカの小我の弓が光り輝く。何層にも塗り固められた土壁を、神速の矢が幾度も貫通し、穴を開ける。
「うっしゃあ!!」
オレはそのままその穴だらけで脆くなって壁に突っ込み、その囲いを突破した。
「『風ヨ砂塵ヨ、己ガ身ヲ触レ合ワセ、烈火ヲ生メ』ィ!」
呪師の手の中で、小さな何かが火花を散らし、その火花が発火する。火は見る見るうちに巨大な槍に変わり、
「『ソノ身ヲ熱ク焦ガス大火ノ槍ハ、カノ者ラヲ打チ滅ボサン』!!」
ロケットランチャーも真っ青な勢いで突っ込んでくる。
「「――ッ!!」」
避けたのは同時、避ける方向は左右で違った。
オレ達に着弾するはずだった炎は予定していた場所を通過し、そのまま森の中で――爆破した。
生木は派手に燃え上がり、着弾地点などもはや黒い煤しか残っていない。効果範囲はかなり狭かったが、威力は絶大。
「チッ、さっきからバ火力をぽんぽんぽんぽん!」
立ち上がりながら、《看破眼》で悪逆ノ精霊を注視する。
弱点。
どこでもいい。
悪逆ノ精霊の大我供給さえ止めちまえば、ここまでの火力を維持し続けるのは無理。サシャが来るまで殺すのは無理だが、来た瞬間に殺せるように、
「ッ、トウヤ!!」
ウーラチカの絶叫に近い警告の声が耳に入った、その時。
オレの横っ腹を強烈な打撃が襲う。
「――グッ、」
息が詰まる。
何が起きたか分からず見れば――見慣れた黒い触手。
いったい、どこから。
視線を元に戻しても、悪逆ノ精霊からは何も伸びていない。もう一度、触手を見る。
蛇。
そのように表現した触手は、今はもうその言葉通りの姿を取っていた。
分離したのだ。
「んなの、あり、かよ」
分離して動かせるのなんて、さっきまでやってなかったじゃねぇか。
「ヒヒヒ、我が研究成果の打撃はどうですかな? もっとも、傷を直ぐに治してしまえる眷属様ですから、あまりダメージにはならんかもしれませんがなぁ」
嘲る声が聞こえる。
《眷属》は大我を供給してもらっている間、《
……しかしそれは、ちゃんとした〝傷〟だけだ。
適切な威力で放った打撃は、体に損傷を与えずにダメージだけを与えるには有効な手段だ。ちゃんとした傷は治るが、痛みを無かった事に出来るわけじゃない《眷属》の性質をよく理解した攻撃。
「ヒヒヒ、精闇族の小僧っ子は適当に殺せるでしょうが、《眷属》殿には丁寧な処置をしませんとなぁ」
「余計なお世話だなぁ……」
痛みが引いてきて構え直す。
――悪逆ノ精霊の気配と、呪師が大盤振る舞いに大我をばら撒くから気配が隠れていたようで、ここは既に分離した触手に囲まれていた。
「……ウーラチカ、一匹一匹丁寧に狙えるか?」
「……流石に、ちょっと小さい、というか、細い」
「ですよね~」
《竜尾》を仕舞い、《顎》を抜く。《飛鱗》を投げつける事も考えたが、オレもこれだけ細いやつに当てられる自信はない。
「ヒヒヒ、さぁジワジワと嬲り殺します故、どうか悲鳴を上げてくだされ。貴方達が悲鳴を上げれば上げるだけ、《勇者》様の到着も早まりましょう」
その言葉通り、ゆっくりと触手がオレ達との距離を狭めていく。
きっと取り付いて徐々に力を吸収していこうって心積もりなんだろう。まるで大型魔獣の胃袋に入るように。入った事はないが、経験はしたくない。
「どうする、トウヤ、何か手、ある?」
「流石に手数が多すぎる。こっちは二人だ。ちょっとコレを相手にするのは無謀だな」
背中越しに聞こえるウーラチカの声に答える。
一匹一匹は大した事がないが、ざっと計算しただけでも五十は下らない。
それを相手に出来るような手段がオレにはないし、聞いてくるって事はウーラチカもないんだろう。
「トウヤ、もうちょっと真剣にする! これ、結構ピンチ!」
「お前、だんだん言葉上達してきたよなぁ。やっぱ話すと違うもんか?」
「悠長な話、してる場合じゃない!!」
オレの言葉に、ウーラチカはより一層焦るように言う。
「落ち着けよ。
とりあえず、
「『――大気ヨ、我ガ呼ビ声ニ答エヨ。
我ガ《眷属》ト同胞ニ纏ワリツク害蟲共を切り刻め』!!」
オレ達を中心に、カマイタチの嵐が吹き荒れる。
触手の蛇を寸断し、両断し、ばらばらに分解していく不可視の斬撃。
「――あら、もう佳境かしら? 遅れちゃった?」
森の中から、涼しげな声が聞こえる。
ったく、人が結構きつい状況だってのに、暢気な口調だ。
これだから、
「いいや、これからだよ――我が主」
《勇者》ってやつはかっこいい。
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