其ノ五






『シュマリ!? シュマリ!! ――貴様、そこまでするか!!』

「申し訳ありません。こんな事はしたくはありませんでしたが……」


 言葉を濁す。

 本当に、こんな事をしたくはなかった。トウヤと出会う前、《勇者》になる前であればこんな事はしなかっただろう。

 これは脅迫。事情を知らなければ〝悪〟に違いない。もしかしたら歴代の《勇者》が苦悩しながらも行ってきた事と違いはないのかもしれない。

 ――でも、これで多くを救える。本質的には違うはずだった。

 本当の意味で誰も傷つけていない。恐怖はさせているだろうが、例えムカルの怒りが止まらず、息子を犠牲にしてでも復讐の道を突き進むならば、ムカルを無力化しシュマリから説得してもらうしかない。

 他人の命を犠牲にして片方を救うような――天秤の帳尻を合わせるだけの救いは違う。

 全てを救う。

 それが例え自分の悪評に繋がろうとも。

 自分は、《勇者》だから。

 拳を硬く握り締めながら答える。


「ご安心ください。怪我などはさせていません。

 このまま交渉が無事終わり、もし大将殿がこのまま私達の条件を呑んで下さるなら、このまま息子様をお返しすると約束します」

『……そうでなかったら? 俺がそれでも戦いだと言ったら、』

「当然、このまま息子様は捕縛。世権会議の裁定の場に連行されます。このまま行けば……死罪は免れないでしょう」


 嘘だ。

 死罪にする気はない。世権会議上層部との交渉の結果必要な《倭桑ノ国》の情報はシュマリであっても多少は持ち合わせているだろう。

 しかもムカルよりも協力的で、彼自身父親のやっている事に反対なのだ。ムカルの軍団の内情まで含めれば、かなり罪は軽くなるだろう。

 勿論、父思いのシュマリがそこまで話すとは限らない。しかし死罪だけは絶対に避けられるだろう。

 これはブラフ、ハッタリ。

 自分の《眷族》であるトウヤが得意とする技術。今回は急ごしらえながらも、最大限生かす。

 表情を崩さない。

 相手に隙を見せない。

 攻める時は、間断なく。


「このままいけば、貴方は自分の血筋を受け継ぐ後継者を、いえ、大事な奥様の忘れ形見を失ってしまうでしょう。それでも、貴方は復讐に燃えますか? その信念を貫き続ける事が出来ますか?」


 絶句するムカルに言葉を続ける。


『貴様、人質に取っておいて、』


「言ったでしょう。こんな事はしたくはありませんでした。だから、ここまでの好条件を提示しているのです。

 息子様は最後の切り札。答えを出さずともこのまま無事終われば、私は何もいわず息子様を解放していたでしょう」


 騒乱を起こし、人死にを出しておいて領地を貰い、税金を免除され、多少制限はあるがそれが終われば自由の身にする、刑罰も最大限緩和される。

 これ以上の条件などないはずだ。

 何より、


「――そもそも、貴方はこのまま復讐を続けてどうするのですか? どんなに上手く立ち回った所で、犠牲は無に出来ません。必ず誰かが犠牲になる」


 こちら側の話だけではなく、大鬼族オーガの側にも被害者は出るだろう。

 〝影〟を前において戦ったところで、〝影〟が強力だったところで、それだけで全ての戦闘を理想どおりに終えられるはずもない。

 必ず人間の手を入れねばならず、人間の手が入っているのならば死ぬ確率は無くならない。

 しかも、彼らは未だ援助を受けられる状況ではない。

 食糧問題、住居・木などの燃料は確かにこの森の中でも賄えるだろう。


 問題は――医療だ。


 この森には何種類もの薬草があり、それを有効活用すれば多少の傷・病気ならば治癒出来るとウーラチカは言っていたが、それはちゃんとした知識が前提となる。

 大鬼族にはそんな知識がないのはシュマリから言質を取っているし、そのような知識があるならば最初から使っていただろう。もっと大鬼族も生き残っていたはずだ。

 傷を簡単に癒せず、病いを治す術も知らない。もしこの状況で伝染病などに感染したら、一瞬でエント・ウッドにいる大鬼族は全て死に絶える事になるだろう。


「この場で交渉条件に同意しなければ、今度こそ本気で世権会議との戦争が始まります。

 今まで認められなかった、見ても貰えなかったと言いますが、その場合確かに見て貰えるでしょう。ですが、それはあくまで〝敵〟としてです。

 戦いは長引きましょう。一ヶ月では終わらない、半年でも難しいかもしれません、では一年? 二年? 三年?

 ――その間に、何人貴方の部下が死にますか? 息子様が死なないと断言出来ますか?」


『しかし、だが、』


 息子を人質に取られているという状況。

 サシャの内容の正しさ。

 その両方がムカルを追い詰める。

 肉体的な追い詰めであれば、自分が傷付く事も厭わず激情に従って動けば突破出来るだろう。

 だが、精神的なものはそうはいかない。崩されたところに攻め立てられるそれに、ムカルは抗いようもない。


「――貴方の信念は、全てを犠牲にしてまで叶えなければいけないものですか?」


 その言葉に、ムカルの怒りの炎が勢いを失っていく。

 今、生きている部下達を思い――今、自分の目の前で捕まっている息子を見る。


「奥方はそんな事を望んでいない、とは言いません。私は貴方の奥方を知りませんから。

 ですけど、今を生きている人達は? 本当に貴方の信念に心から賛同している人ばかりですか? 




 部下は、息子様は――今を懸命に生きたいと思っているのではないですか?」




 復讐の為にどんな事も出来る人間は、極少数。

 どんなにそれが正しかろうと、大義があろうとも。

 それで人が生きていられる訳ではないのだ。


「――貴方には、この場で選んでいただきます。

 我々と平和の道を歩むか。

 それとも……全てを犠牲にして、雌雄を決するかです」


 答えを詰め寄る。

 ムカルは完全に揺らいでいる。どちらかを選ぶべきか。

 妄念に成り果てた道義無き復讐か。

 今を生きる部下と、息子の未来か。

 自分の心か。

 他者の命か。

 本当は正解などないのかもしれない。善悪などというものが等価だというのであれば、このような状況で出される答えにも正解不正解はないだろう。

 しかし、それでもサシャは選んで欲しかった。

 未来を。

 家族を。

 失ったものではない、今目の前にある大切な者達を。


『俺、は、』


 ムカルの答えが、今、




『――あぁ、もう使い物﹅﹅﹅になりませんなぁ』




 地獄からの言葉が、ムカルの影の中から聞こえる。

 ずるりと、まるで影の中から﹅﹅﹅﹅﹅影が生ずるように﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅出現する。

 黒い影に、いや、――〝影〟に包まれた呪師が顔を覗かせ、その〝影〟の触手がムカルを襲う。

 ムカルも、サシャも、ウーラチカも、縛られているシュマリも。

 あまりに唐突な出現と攻撃に、何も出来なかった。




「――あっぶねぇッ」




 トウヤを除いて。

 《顎》を縦に握り締め、その触手を縦に裂くように攻撃を無力化する。


『■■■■■■■!!』


 〝影〟は二日前、いや三日前の夜に比べても変わりない咆哮を上げ、呪師を庇うように飛び上がった。しかしその姿自体は少し違っていた。

 より立体的になった、というべきだろうか。文字通り影そのもののような薄い体は、今や丸みを帯び、全身が黒いだけの少女のような姿になっており、それに比例するように存在感もより濃くなっていた。

 以前より、明らかに力を増している。


『ヒヒヒ、いやぁ、参りましたなぁ。まさか気付かれていようとは』


 あの引き攣ったような笑みを浮かべて、呪い師は〝影〟から這い出てくる。

 誰もが動揺した。

 誰もがここにいるはずもない存在だと思っていたからだ。







『ぃうえrhうぃんxc、みらうえをmhc……mぉえ? jxむwrmcん:jd?』


 何やらオレに話しかけていただいているようだが……さっぱり内容は分からない。

 黒いローブに身を包み、真っ白な皮膚と紫色の目を持った、蛙と蜥蜴を悪い意味で足して二で割ったような顔をしている。

 オレが会うのはこれが初めてだが――まぁ、あからさまに気持ち悪いな。知り合いの悪魔系デモンズ種族は結構人間に近いんだがなぁ。

 オレが言葉を理解していないのが分かったのか、呪師は少し考えてから、何度か大きな咳払いをする。


「ゴホッ、ゴホッ――ヒヒ、これで通じますかな《眷族》殿?」

「あっさり話すんのかよ……」


 長命で、さらに人を話術で篭絡させる悪魔。まぁ話が通じないと、仕事にならないだろうしな。


「してぇ、某の研究成果と某の魔導。そこら辺の者では見極められんものと自負しておりましたが、流石勇者の《眷属》殿ですなぁ」

「まぁ、ちょっとしたコツがあるからな」


 少し苦笑しながら言う。

 ――オレの《看破眼》があれば、魔術魔導で隠蔽していたとしても、隠蔽している事﹅﹅﹅﹅﹅そのものを見抜く。

 大我マナの流れがそこだけ乱れてりゃ、そりゃあ誰にだって分かる。


「ヒヒヒ、侮れませんなぁ《眷属》殿」

「……アンタ、よくそれで生きていけるな」


 隠しもしない慇懃無礼。どこをどうとっても信用出来ない。こんな奴を信じようという人間がいるほうがどうかしているように思える。


「ヒヒヒ、人間追い詰められればどういう存在にでも頼ってしまいますわい」

「へぇ――後ろの化け物みたいなやつにか?」


 呪師の後ろに従う〝影〟を指差すと、さらに悪辣な顔をする。


「ヒヒヒ、これは某個人の目的でありますれば……まぁ、後ろの大将殿には感謝しております。何せ、これを作るための材料はちいとばかり厄介でありましたから」

「……樹ノ精霊ドリアード、それに樹人族エントの血か?」

「――ほう、それも見抜かれますか」


 見抜くというか、誰が見ても明らかだろう。

 あんな状況でわざわざ〝影〟単体で襲撃かけて来て、樹人族である翁から何かを吸い取り、その直後に呪師からと思われる呪文で退避する。

 そこまで堂々とされて隠しているとは思えないだろう。


「で、目的やなんかは話して貰えるのか? なんだったら、ここで投降して貰えると良いんだけど?」


 心にも無い事を言いながら、《顎》を構え、《竜尾》を抜く。


「ヒヒヒ、それは無理でございます。

 ――某の悪逆ノ精霊モルガナは完成しました。既に大鬼族も樹人族も、この森すら用済みで御座いますれば」

「……ああ、そうかよ」


 こちらに呼応するように、どこか構えのようなものを取る〝影〟。

 ――ここで一端引くか?

 ここにはまだ呆然としているムカルやシュマリがいる。ご主人が殺さないと決めたからには、こいつらも護らなきゃいけない。サシャが護衛をしてくれているとはいえ、戦えるのはオレとウーラチカだけ。

 相手は強くなっただろう〝影〟に加えて魔術と魔導に詳しい呪師が追加。

 あんまり分が良いとは言い切れない。


「サシャ、サシャ、」

「ッ――なに、トウヤ」


 オレの言葉に、サシャは翻訳用魔術具を解除しながら答える。


「お前はムカルやシュマリと一緒に大鬼の集落、それから樹人族集落に寄って、出来るだけ早く逃げてくれ。

 オレとウーラチカはここでこいつらを足止めしておく」


 オレの言葉に、ウーラチカは素直に頷く。既に弓は構えられ、いつでも射掛ける用意は出来ていた。


「……大丈夫なの?」


 サシャは心配そうな顔で聞いてきた。

 オレが苦戦していた事も、この状況があんまりいい状況じゃないのも分かっていて、心配してくれている。

 一瞬、どう答えようか迷う。普段のオレだったら全然平気そうな顔をして、ジョークの一発でも飛ばしているところだろう。


「……いや、割ときついな」


 だがオレは素直にそう言っておいた。こんな状況で暢気に構えていられる程、オレの根性据わっている訳ではない。




「――だから、避難終わったら直ぐに助けに来てくれないか」




 呪師の動きを封じ込めるには、魔術や魔導にもそれなりに通じているサシャの力が必要だ。

 護らなければいけない存在だが、同時に一緒に戦う仲間だ。

 だったら、一緒にいないってのもどうかと思うだろう?


「――ええ、分かった。私が来るまで、無事でいなさいよ」


 そう言って、もう一度魔術具のスイッチを入れなおし、ムカルとシュマリと話しかけ始める。


「ヒヒヒ、宜しいのですかな? 某に聞こえるように作戦を話して」


 呪師の余裕の笑みは崩れていない。〝影〟――いや、悪逆ノ精霊か? こいつの性能を一番理解しているんだから、自信過剰にもなるだろう。

 だが、ソイツは文字通り〝過剰〟だ。

 どんなに強かろうが、

 どんなに怖い怪物だろうが、




「良いんだよ――お前に出し抜かれるようなら、《眷属》なんかやってねぇよ」





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