恋するコーヒーゼリー

もおち

第1話 コーヒーゼリーが逃げ出した

 コーヒーゼリーは、私の好きなデザートだ。

 

 コーヒーの苦みと、ミルクのほんのりとした甘さが、絶妙なバランスを生み出している。コンビニで売っているものやレストランで食べられるもの、さまざまな味を私の舌は堪能した。肥えていると言ってもいい。


 特に、私が好きなのは、私自身が作ったコーヒーゼリーだ。コーヒー豆を選ぶことから始めて作ったコーヒーゼリーは、私の舌と抜群に相性が良かった。自慢だ。


 コーヒーゼリーは、時代の先駆者が生み出した嗜好品。感謝してもしきれない。栄養の偏りが気にならない性格であったなら、三食全部がコーヒーゼリーでも構わない。

 それぐらい、好きだ。



 そんなコーヒーゼリーが、逃げ出した。



 比喩ではなくて、婉曲的な表現でもなくて。

 コーヒーゼリーが逃げ出した。

 

 人間の姿になって、逃げ出した。


「……はい?」


 呆然とした口からようやく出てきた言葉は、ひどく間抜けだった

 何度も言うが、比喩ではない。残念ながら。



 数秒前。

 夏の暑さに負け、冷房の効いたリビングで私はソファーに座っていた。

 プリンのような型から皿へプッチンしたコーヒーゼリーに、私はミルクをかけた。ローテーブルの上で揺れるそれを、さあいざ食べようとスプーンを構えたその刹那、コーヒーゼリーがなくなっていた。


 代わりに、小学生くらいの男の子が座っていた。短パンから伸びる細いくらいの脚が緩く折り曲げられている。

 短い髪と瞳のこげ茶色を見ると、普通(突然現れたことを除けば)の男の子だった。

 けれど、その髪と瞳はところどころ白かった。光の加減、ハイライトだと考えても、白の量が多く、それこそミルクのようだった。

 コーヒーゼリーが、男の子に化けた。


「……行かなきゃ」


 男の子はそう呟くと、ぴょーんとテーブルから飛び降りる。背中に羽でも生えているかのように、それこそゼリーのような軽やかさで玄関のほうへと向かっていった。


 私の痺れた神経が、指先まで戻ってきた。

 私は立ち上がると、玄関のほうへと走った。

 

 男の子を追いかけるため。

 私の一日一ゼリ―を全うするため。

 私のコーヒーゼリーの舌になっている舌を満たすため。


 私は走って、玄関を開けた。

 夏の日差しが、目に刺さる。

 そして――


「……」


 男の子は玄関の前にいた。


「あついよぉ……とけるぅ……」

 

 当惑した顔で、もといた家へと逃げて行った。


「……はい?」


 もう、訳が分からない。

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