【21】嘘は、つけない。

「ごめんなさい」

「いえ……」


 これほどまでのことを経験していたら、人間に対しての相当な憎悪を抱いていても不思議ではない。しかし、クレイスの言葉や態度からはその様子を全く感じないことに、俺はずっと疑問を抱いていた。

 赤子を人質に、仲間を殺され、ただ逃げることしかできない。普通なら復讐という憎悪を抱きたくなるのが人間だ。スペル族というのは、これほどまでに温厚な人格なのか。それともクレイスが特別なのだろうか。俺には、彼女の心を読み解くことはできそうになかった。

 かける言葉が見つからないままクレイスが落ち着くまで、少しの間が空いた。それから再びクレイスが口を開いた。


「逃げている時は無我夢中でした。そのため、私は仲間とはぐれてしまったのです。そしてしばらく森の中をさまよっていると一人の兵士と出会いました。それが当時はまだ一等兵だったエルケットさんです」


 クレイスの話によると、逃げ彷徨っているうちにレイズ王国に領土に入ってしまっていたのだという。そして偶然森の中で狩りをしていたエルケット軍隊長と出会った。エルケット軍隊長も最初は国を追われて逃げてきた人間と思ったらしく、二人をレイズ城へと引き入れてくれた。

 行く当てがなかったクレイスは、エルケット軍隊長の優しさに甘えしばらく世話になることになった。自分に対して疑いもせず親切に接してくれるエルケット軍隊長。それが余計に、クレイスの中では、自分が魔女であることを隠している、その罪悪感が次第に増していくばかりだった。そしてついに自分が魔女であり、人間たちに利用されようとして逃げていたのだと打ち明けたのだ。


「エルケットさんは、本当に優しいお人です。打ち明けた時も全てを最初から知っていたかのように驚きもせず、ただこれからどうしたいのかと聞いてきました」


 これ以上世話になることもエルケット軍隊長の迷惑になりかねないと判断し、クレイスはレイズ王国から出たい旨を伝えた。しかしエルケット軍隊長の自分の目の届かないところに行ってしまうと何かあった時に助けられないという思いもあり、現在の森の奥地に村を作ることになったのだという。

 つまりあの村にあった他のテントのような建物には誰も住んではおらず、ただの空き家。あの村はクレイスとホワイスしか住んでいない。もしもの時のことを考えたカモフラージュだった。

 そこで俺はひとつの疑問が浮かぶ。


「クレイスさん、ひとつ聞いても良いですか?」

「はい、何でしょう」

「ホワイスとは、いつから一緒に?」


 するとクレイスは、俺から視線を外した。その視線の方向を向くと、いつのまにかベッドに横になって寝息を立てているホワイスがいた。その様子を見守るように視線のままクレイスは答えた。


「ずっと一緒です。彼女は覚えていないでしょうけど、人間に誘拐されてしまった赤子というのはホワイスのことです。そして私がその子を抱えながら逃げていた。だからエルケットさんも助けてくださったのでしょう」


 なるほど。クレイスは何も知らないホワイスのことを気遣って、敢えて今まで名前を出してこなかったのか。

 恐らくクレイスにとってホワイスが何よりも大切な存在なのだろう。だからこそ、過去の苦しみを知らないままいて欲しい。それが親として当然の心理なのかもしれない。


「わかりました。クレイスさんとエルケット軍隊長の関係。そして今、クレイスさんは軍隊長に恩返しをしようとしているんですね」

「はい、ただ少し困ったことがありまして、ホワイスを呼んだのです」

「困ったこと?」

「連絡がつかないのです。エルケット軍隊長と」

「それは、いつからですか?」

「今朝からです。エルケットさんは、昼過ぎには戻ると言って書庫から出て行きました。私はできる限り人目につかないよう、この部屋から出ないように言われているだけで、エルケットさんが何をしようとしているのかは何も聞いてません。だから、どうしようもできなくて。当然、勝手なことはできませんし……」


 先程の話によれば、クレイスは数年前にこの城でしばらく過ごした時期がある。全員ではないだろうが、クレイスの顔を覚えている人物も少なからず存在するだろう。だからこそ身を隠す必要がある。とはいえ、それではなぜこの城にクレイスを連れてきたのか。エルケット軍隊長の考えていることがわからない。


「それなら自分が捜してきます。城の中は自分にとって庭も同然。それにエルケット軍隊長の居場所もすぐにわかるでしょう」

「ありがとうございます」

「いいえ、ああ、そうだ。もうひとつだけ聞いても良いですか?」

「はい」

「魔法のひとつに、人の嘘を見抜くようなものってあります?」


 俺の問いに、クレイスは間髪入れずに答えた。


「いいえ、そのような魔法はありません。あったとしても、人に対して魔法の力は使えませんので」


 そうか、言われてみればその通りである。それじゃあの時のホワイスの行動は、単なる演技なのか。しかし、まだ幼いホワイスが演技をするとは信じがたい。

 すやすやと寝息を立てて眠るホワイスは、とても居心地がよさそうに見える。この空間が人間ではなく、クレイスが創った部屋だからなのかもしれない。そう考えると余計、ホワイスもまた嘘をつけるようには思えなかった。

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