真夏のクイズ

 泡がシャーベットになるほど冷やされたフローズンビールをごっきゅごっきゅと喉に流しこみながら、私は隣の席のカップルをそっと観察していた。

 二十歳に満たない男女だ。眼鏡をかけた童顔の男の子は、Tシャツをかぶって水着を穿いている。男の子よりずっと大人っぽい風貌の女の子は、水着の上に薄手のパーカーを羽織っている。

 ちなみに私はジーンズにノースリーブのブラウスという格好で、海水浴に来たお客さんでほぼ満席の海の家では、ちょっと浮いている気がしなくもない。ま、ビアガーデン代わりに来ただけなので。手を上げてスタッフの子を呼び止め、同じものを追加注文した。

「じゃあ、次の質問は……」

 と、カップルの女の子が口を開いたので、私は耳をそばだてた。


「平成の間で吉川よしかわ英治えいじ文学新人賞を受賞した女性作家の中から五人を挙げなさい!」


 この暑い中でよくそんなマニアックな問題を思いつくよね、おじょーさん。

 さっきからこんな風に、女の子は小説に関するクイズを出し続け、男の子はそれに正解し続けているのだ。ひとつ前の問題は「『とある魔術の禁書目録インデックス』は電撃小説大賞の第何回の何賞を受賞したでしょう」だった。

 端で聞いている私も、自分のお脳をけんめいに検索する。作家志望のOLである新井あらい沙織さおりさんとしては負けていられない。宮部みやべ先生は受賞してたはず。えー、あと誰だろう。辻村つじむら先生とか? 桐野きりの先生は?


「宮部みゆき、恩田おんだりく朝倉あさくらかすみ、山本やまもと文緒ふみお佐藤さとう多佳子たかこ


 男の子は淡々と答える。早いよ。女の子はスマホで正解を検索し、目を丸くして男の子を見つめた。

「なんでわかるの。すごい」

「ただの知識だよ」

 男の子はクールに言い放ったけど、眼鏡の奥の目に安堵の光が灯るのが、私にはわかった。この子の前でノーミス記録を更新できてよかったね。たぶん女の子もわかったと思う。そういうもんです。女の子は「ふふっ」と笑って、男の子をからかうように見つめる。男の子は拗ねたように目をそらしつつ、完全に女の子から目を離すことはできていない。

 春だ。真夏なのにここだけが青い春です。

 ますます暑くなった気がして、私は運ばれてきた新たなフローズンビールのグラスを傾ける。

「んー、それじゃあね……」

 今度のクイズは何だろう。私が彼女なら「三毛猫ホームズの〇〇なんちゃら」の「〇〇」に入る言葉を十個挙げさせるかな――そんなことを思いながら、冷たい喉ごしを愉しむ。


「今朝起きて、わたしが最初に『あいつ何してるかな』って考えたひとは誰でしょう!」


 噎せた。ビールが鼻に逆流した。いきなりクイズの傾向が変わったよ。たぶん、ルールも変わった。

 男の子はぽかんとして、それから、眼鏡の位置をクイッと直す。

「それは、不適切な問題だよ。解答を導く手がかりを得ようがない」

「ないの?」

「ないだろ」

「じゃあヒント、わたしは今日の海水浴をとても楽しみにしてました」

「うう……」

 言葉に窮して無意味に眼鏡を外したりかけたりする男の子を、女の子がかわいい笑顔で詰めていく。つよい。お姉さん、ドキドキしてきました。

「――きみばかり出題するのは不公平だ。ぼくからも出す」

「逃げた。まあいいや。スマホ使っていい?」

「だめに決まってる――いや……」

 男の子は思案げに目を伏せた。

「検索してもかまわない。どうせ、ここのネットで解答は出てこない」


 私は、眉を寄せた。

 ここのネット。そう、男の子はいった。って、何?


「一六〇〇年、豊臣勢と徳川勢の間で行われた――」

「ガガル戦役!」

「……ガガル戦役において、徳川聖騎士団の徳川キャミルが――」

「くーっ、引っかけかあ」

 女の子が天井を仰ぎ、

「引っかかるにもほどがある。もう少し聞けよ」

 と、男の子があきれた顔をする。


 私は、どんな顔をしているだろう。汗が引く。周囲の喧噪が遠ざかる。ゲームやマンガの話じゃないと思う。じゃあ、なんの話なんだろう。


「徳川キャミルが石田ギギの率いる幻獣師団を壊滅させたル=ザヌの戦いは、どこで行われたか」

「わたし、帝国史は苦手なんだよね。10回クイズとかにしてくれない?」

「あのな。ル=ザヌの戦いなんだから、海底都市ル=ザヌに決まってるだろう」

「きみのことだから、またいやらしい引っかけかと思って」

「またって何だ。い、いやらしいって何だ」

「だって、先週のあらし曜日の昼休みさ――あれ、はな曜日だったっけ……」


 ふたりの戯れるような会話を聞きながら、私は周囲を見まわした。

 にぎやかな、ごくふつうの海の家の光景だ。その中に、こちらを盗撮しているようなひとが隠れていないか。この子たちが話す「歴史」にうろたえる私を笑うための動画を作っている、テレビスタッフかユーチューバーのいたずらを疑ったのだ。そうであってほしかった。


「――わたしから、最後のクイズ」

 改まった口調に、私はカップルに視線を戻した。

「ちゃんと答えてね」

 女の子の表情が真剣で、きれいだ。男の子は唇をきゅっと引き結んで、女の子を正面から見据える。膝の上で手が震えている。


 女の子が、問いを発した。

 問いなのだと思う。

 その音声が何語なのか、私にはわからない。言語なのかどうかもわからない。

 ただ、途方もなく美しい響きと旋律をともなう、神さまが天上から奏でる音楽のようなものが、彼女の口からほろほろと零れだしていた。


 問いが止んだ。数秒にも、数十分にも思える長さだった。女の子は泣きそうな顔で、男の子の反応を待っている。

 男の子は、大きく深呼吸をしてから、

「うん」

 と言った。

 その「うん」という言葉が肯定の意味である日本語なのか何なのか、もう逆にわからなくなっていた私だけど、女の子は大きく息をついて、ちょっと泣いて、それから笑み崩れた。だから、正解だったのだと、私は思った。


 男の子と女の子は席を立った。手を繋いで、海の家を出て行った。

 ふたりの後ろ姿を、私はぼんやりと見送った。

 暑さとアルコールによる幻聴だとは思わなかった。ではないところから海水浴に来た彼女たちのよい未来を祈りながら、私は残りのフローズンビールを飲み干し、スタッフの子に「同じものを」と告げた。

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