ペンネーム使ってないよ


「ホッ! ホアアーッ! ホアアアーッ!」


 かわいらしい叫び声を上げながら、文芸雑誌「小説つばめ」を開く。夕方のドトールが一瞬、静まり返る。すいません。オカしいやつだと思うよね。控えます。

 でも「小説つばめ新人賞 二次選考通過作品」のページに私の名前があるかどうかを確認するのが恐ろしくて恐ろしくて、とても平静じゃいられない。かわいらしいでしょ。


「アコちゃん」と、隣の席にいる森島もりしま章子あきこを呼んだ。「代わりに見て」


沙織さおりさんが自分で確認したほうがいいのでは。目を開けてください」

「やだ。怖い」

 閉じた瞼に、さらにぎゅっと力を篭める。かわいらしいでしょ。

「都道府県の順に並んでいますね。北海道の方はひとりだけです」

 ナチュラルに焦らしてくれるじゃないの。ジラシック・パーク。地獄のような駄洒落しか思い浮かばない。私の緊張は頂点に達していた。

「で、そのひとりは誰」

「沙織さんのペンネームは何でしたっけ」

「ペンネーム使ってないよバカッ!」

 私以外の、私じゃない、別の投稿者の名前が載ってるの? まじで? 膨れあがる感情で身体が内側から爆発する。その爆風に押し出されて目を開ける。三次選考に進んだ二十数作の中に……


 私が書いた小説の題名と「北海道 新井あらい沙織」の名前があった。


 脱力した。大きく息を吸った。全身からへんな汗が出た。

 私は歳下の友だちを睨みつけた。「いらない質問で惑わすのはやめてくれる? 新井沙織って書いてあれば私でしょ、フツー」

「でも、別の方がたまたま『新井沙織』というペンネームだったら困るので……」

 眼鏡の奥の目が困惑に揺れている。私は章子のこの目に弱いのだ。ため息をついて、「大丈夫、まちがいなく私だよ」

「ああ、よかったです。おめでとうございます」

「ありがと」

 ようやく人心地がついて、私たちはコーヒーを飲んだ。

 大きな窓の外を眺める。札幌の街の景色は白かった。道路にも街路樹にも雪が積もっている。もうすぐクリスマスだ。

「三次に進んだの、クリスマスプレゼントだなあ」

 私の何の気なしのつぶやきに、章子は「そうですか?」と眉を寄せた。

「それは、誰かからの贈りものではありません。沙織さんがよい小説を書いて、自分のちからで得たものです。それに……」

 いい淀む章子を「続けて」と促す。なんとなく、内容は予想できた。


「沙織さんの目標は、三次選考ではなく、受賞では?」


 ほらね。

 この子なら、そういうだろう。厭味でも叱咤でもなく、純粋な疑問として。

 ぶん殴られた心地になるのは、私が悪いのだ。

「……あっ、決していまの喜びを否定するわけでは」

「いんや。アコちゃんが正しい。でも、申しわけないと思うなら……」

 少し溜めを作ってから、真顔でこちらを見つめる章子に私はいった。

「飲みに行こう。ちっちゃく祝ってよ。そんで、数か月後にでっかく祝えることを、いっしょに祈願してくれる?」

「……はい、お供します」

 章子はふわりと微笑んだ。私は、章子のこんな表情にも弱いのだ。

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