沙織の日々

秋永真琴

自転車を整えない

 中島公園なかじまこうえん――すすきのの南側に広がる、札幌市民の憩いの場だ。

 入口から池まで続く銀杏並木は、秋に鮮やかな黄金色に染まる。いまは、寒々しい裸の枝が広がるだけだ。雪が積もれば、また別の美しさを帯びるのだけど、今年の冬はまだそこまで降っていない。


 そんな並木道を、私は自転車を押して、章子あきこといっしょに歩いていた。

 私は比翼仕立てのロングコートを羽織り、章子はダッフルコートの前を閉めて、一眼レフのカメラをたすき掛けにしている。

 今日は土曜日。私の会社も、章子の大学も休みなので、公園の近くにあるカフェに行く約束をしたのだけど――

沙織さおりさん、先に行って? 風邪を引きますよ」

 ショートボブの頭をちょっと傾げて、歳下の友だちは心の底から不思議そうにいう。

 どうして自転車に乗らないのか、わざわざ章子に合わせて歩くのは不合理じゃないか、という意味だ。

「私が先に着いたってアコちゃんを待つだけでしょ」

「先にお店に入れば――」

「いいから。しゃべりながら行こう。アコちゃんといっしょに行きたいの」

 私の言葉に、章子は眼鏡の奥の目を見ひらき、次いでおかしそうに微笑んだ。

「沙織さんって、けっこう甘えん坊ですね」


 ああもう。


「赤ちゃんでしゅー、あばば、うぶー」

 私は投げやりにいって話題を打ち切った。わかる、そりゃこいつを好きになった男子は大変だわ、わかりみが凄い。だが、ひとは得てして、大変なほうに進みたがるのです。

 そういうことを、書こうと思うのだ。不合理なことを否定しない小説を。

「沙織さん」

「なんでしゅか」

「『小説するめ新人賞』に投稿する小説はできましたか」


「!? (ざわっ……!)(ッ……!)(ビキッ……!)」


 ぶっこんでくるなあ、この子。特攻ぶっこみのアコだ。

「できてない。あともうちょっと。あと『小説つばめ』ね」

 私はおそろしく渋い面をしていたと思う。

 もうちょっとなのは嘘じゃない。あと一万字くらいで終わる。その終わらせ方が難しかった。興奮で筆が滑らないように。小説のテーマを剥き出しにしないように――

「沙織さん、帰りましょう」

「は?」

「早く帰って小説を書いて。わたしと遊んでいる場合ではありません」

 章子の顔は真剣そのものだった。それは、この子が私を、知り合って間もないけど大切な友だちだと思ってくれている証だった。それが、章子という人間なのだ。

「夜に書くから大丈夫」

「でも――」

「アコちゃんこそ、合同展に出す写真は決まったの。札幌では有名な写真の同好会であるところの『札幌フォトジェニック』が開催する合同展よ」

 私も説明口調で特攻ぶっこみのサオリと化したんだけど、


「はい、全部選びました」


 章子はさわやかに即答し、私をげんなりさせた。天才は自分の選択にいっさい迷いがなくて困るよ。

「わたしの写真、喜ばれるでしょうか。以前に出展したときも、評価してくれた方はほんの少しで――」

「ぜったい喜ぶやついるって。喜ばないやつは目に鱗がぴちぴちぴちぴちって貼りついてるだけ」

「ぴちぴちぴちぴち」

「うん。ぴちぴちぴちぴち」

「ぴちぴちぴちぴち、ですか」

「この会話、小説なら完全にただの行稼ぎだから」

 そんなことをいっているうちに、脇道に入って公園を抜け、道路を渡って、目的のカフェに着いた。

 茶色い壁にコテの塗り跡をわざと残した、オシャンティな建てものだ。

 看板に書かれた店名は「月に読む手紙」とある。オシャンティである。

 私は自転車を入口の横に止めた。


 背骨に痺れが伝った。

 私は、章子のほうを見た。


「失礼します」

 そういって、章子はたすき掛けにしていたカメラを構えていた。

 武士みたいだな、と、ぼんやりと思った。武士を見たことはないけど。

 画面を見ず、昔のフィルム式のカメラみたいにファインダーに目を当てて撮るのが、森島章子のスタイルだ。


 章子は被写体を整えない。

 私が止めた自転車を、ありのまま、稲妻のような速度で数枚、撮った。


「ありがとうございます」

 カメラから目を離す章子から、一瞬前の凛とした気配はすでに霧散していた。

 こうやって、章子は平凡な対象から、他の誰にも撮れない写真を生みだすのだ。

 私が小説家としてデビューできたら、章子に著者近影を撮ってもらう約束をしている。それは、けっこう強力なモチベーションとなっている。

 お互いを高め合う関係――なんていうと、まるでが目当てのダメな意識高い系みたいで「ヴァーッ!!!!」となるけど、そうなれていたらいいな、と思う。

 私にとって章子はそういう相手だ。

 章子にとって、私もそうだったらいい。

「こちらのお店、パフェがかわいくて素敵なんです」

「アコちゃんがそこまでいうのは珍しい。楽しみだね」

 にやりとして、私はカフェのドアを押した。

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