EP6-5 女湯ノゾキ隊

 男湯と女湯を隔てる木製の仕切りにユウが針先ほどの穴を開け、露店を囲む岩場から女湯を覗いている男子達。ヒロが小声で先程のアヤメの台詞を復唱する。


「これは見事な景色……眼福ですね」


「いやあ、優秀な後輩を持って俺も嬉しいよ」とシキ。


 マナトも日頃ケンカばかりしているホノカの姿とのギャップに、生唾を飲み込んだ――その時である。


「――!?」


 無理な体勢で頑張っていたヒロが足を滑らせる。咄嗟に近くの木に掴まったが、枝がポキリと小さな音を立てて折れた。


「えっ、なに?」と、ホノカの怪訝な声。


「猿でもいるんでしょうか?」


 そう言ってアヤメが音のした方へ向かおうとすると、チトセが止めた。


「危ないよアヤメ。ノゾキとかかも知んないし、一応みんなで確認しよ」


 女子達はチトセに同意して、四人揃ってジャバジャバとお湯を掻き分けながら仕切りの方へと歩み寄る。


(ヤバい――! 見つかる?! なら俺の殊能で――!)と、ヒロ。


 先頭のアヤメが仕切りに近付くと、パッと見では気付かぬ穴の箇所に違和感を覚えた。


「ん? これは――?」


 しかし夜の露天である為に辺りは暗く、穴自体も極めて小さいため確認しづらい。他の三人も顔を近付ける。


(四人ともだと!? だが、もうやるしかねぇっ!!)


 ヒロは全神経を研ぎ澄まして、己の幻覚の殊能の発動に持てる力を注ぎ込む。


(俺の中に眠る殊能ちからよ! 今こそ!!)


 そしてマナト、ユウ、シキ――三人の切なる願いも込めて彼は殊能を発動した。すると――。


「……なんだ、ただの汚れですね」


「よかったぁ。てっきりノゾキ穴でもあるのかと思ったよー」


 アヤメとホノカが溜め息を吐いて戻る。


「ホントだ、じゃあやっぱりお猿さんとかだったんですかね?」


 リンが言うと、チトセも「そろそろ出よー」と戻っていく。彼女らがそのまま屋内の浴場の中に帰っていくと、限界を超えたヒロはその場に全裸で倒れ込んだ。


「お前、今ひょっとして四人に――」と、驚愕するマナト。


「へへっ……やったぜ……見てた、かよ?」


 ヒロはこの瞬間、ついに顕現名『ガングレリの森』の資格を得たのである。


「ありがとう。そして本当におめでとう」


 ユウは心底ヒロに感謝し、感動の表情で祝福した。


「お前って奴は……大した男だ。助かったぜ?」と、シキも惜しみ無い賛辞を送った。


 ノゾキを働いていた四人が全裸のまま称え合うという感動茶番の最中――再び女湯の露天風呂のドアが開く音がした。


「ん――? まだ誰か?」とシキ。


 シキは穴を覗きに戻ると、興奮した様子で皆に手招きする。それに応じた変態達が再びノゾキ穴戦闘配置に付く。


(あれは――!)


 女湯に居たのは、漆黒のショートボブをしっとりと湿らせた女性。呼吸すら忘れるほどに美しく、完璧に均整が取れた身体。白磁器にも勝る、抜けるような美肌。艶めかしい肢体の一挙手一投足が少年達の目を釘付けにした。


(く――クロエさん!)とユウ。


 クロエは滑らかに湯に入り、肩に湯を掛けながらゆったりと星空を眺める。そして暫く満点の星々を観賞してから、気持ち良さそうに大きく一息吐いた。


 そして一言――。


「お前ら、相応の覚悟は出来ているんだろうな?」


 四人の愚か者は、この時生まれて初めて本気で死を覚悟した。



 ***



 強化合宿2日目の昼――初日からの快晴はこの日も続いていた。出発前の天気予報では、合宿期間中は今日の午後から天気が崩れ始め、夕方には所により雨の予報。しかしアイオードの天候予測は「本日は晴れのち曇りです」であり、事実そうなった。

 ジャージ姿でホテルから出てきたのはマナト、ヒロ、ユウ、シキ。つまり昨夜の露天風呂で、死の女神に絶望の祝福を受けた者達である。


あづぅいぃ……」


「……なんつー暑さだ」


 ヒロとシキがホテルを出るなり融けた。


「ユウぅー、お前の『トールの槌天候操作』で暑さこれなんとかならねえのか?」


 マナトが恨めしそうに太陽を指差してそう言った。


「出来ないことは無いけど、僕の天候操作は雷雲限定だから……。いかづちの雨がセットで付いてくるよ?」


 後ろを歩くユウが、困った表情で笑った。

 ――規制官全員に云えることだが、亜世界において情報体アートマンである彼らは、存在情報が自身のアルテントロピーによってプロテクトされている。それは自身が、亜世界からの影響を受けない不可侵な存在ということである。剣、銃弾、魔法、ウイルス、熱、圧力、真空状態など、あらゆる不利益な現象は規制官に何の効力も発揮し得ないのである。猛暑の中でもユウが平然と笑っていられるのは、つまりそういうことである。


雷撃それは……勘弁して欲しいな」と、汗を流しながらマナト。


「お前ら、ダレんじゃねえ……こっちまで余計暑くなってくんだろ」と、最後方のシキが1年の三人にぼやく。


 彼ら四人は昨日の不届きの罰として、浜辺でクロエから直々の特訓を受けさせられることになった。ちなみにその他の生徒達は、冷房の効いた屋内運動場で殊能の精度を高める比較的緩い訓練の後、やはり涼しいホテル内での座学であった。

 四人がホテルから道路を少し辿って石階段を降り、木々で作られた天然のトンネルを抜けると、プライベートビーチに出た。浜にはパラソルが一本。その陰にビーチチェアでくつろぐクロエの姿があった。

 サングラスに黒いビキニ、片手には搾り立てのフルーツジュース。水平線に生える入道雲を眺める優雅なその姿は、大物女優セレブリティのプライベートショットさながらである。前述の通り、ルーラーであるクロエにはサングラスやビーチパラソルなどの紫外線除けなど本来必要無いのだが、こうして亜世界の世界観に浸るのは、転移者でない源世界育ちのクロエにとっては愉しみの一つでもあった。無論その間もAEODアイオードとの捜査のやり取りは行っていて、傍から見れば休暇のようであっても、彼女が任務をサボるようなことは無かった。


 マナト達は、男子彼らには少々刺激の強い格好のクロエの元へ。すると彼らが来るなり「遅い」とクロエが一喝。


「あの……特訓というのは、一体何を――?」


 ヒロは頭の中で、ひたすら鞭打たれるような地獄の猛特訓を想像しながら、恐る恐るクロエに尋ねた。


「特訓というほどの事でもないんだが、午前中のお前たちの殊能訓練を見ていて、いくつか思うところがあったのでな」


 クロエはジュースを飲み終えるとグラスをその場に投げ棄てた。そのグラスは地面に着く前に砂へと変わり、浜辺の一部となる。


「他の者はそれなりに殊能を活かしてはいるが、お前たちはまだ殊能を活かしきれていない。それを少し教えてやろう」

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