EP5-7 正しき日常
翌日の朝、クロエに言われた通り普段と変わらぬ時間に寮を出て自分の教室へと向かうユウに、廊下で後ろから声を掛けたのは、同じAクラスの不動アヤメであった。
「おはようございます、白峰君」
「あ、おはよう不動さん」
振り返ったユウの目に入ったのは、いつものように長い黒髪をポニーテールにした美少女。背が高く落ち着いた雰囲気であるので、本来の年齢はユウより1つ下であるにも関わらず、彼よりもいくらか大人びて見える。
「白峰君はいつも早いんですね。飛鳥君なんか毎日遅刻ギリギリなのに」
「ははは、まあ僕はネストの寮に住んでるから近いしね」
1年Aクラスの生徒はユウを除いて全員が、実家か一人暮らしの自宅から通っていた。そして最も家が遠い飛鳥ヒロが片道1時間弱であるのに対し、キャンパスが広大であるとはいえ学園の敷地内にあるユウの学生寮は、教室棟までゆっくり歩いても10分程の距離であった。
「それでも規則正しい生活を心掛けている証拠です。他の男子も白峰君を見習うべきです」
「ははは……(――僕はただ、クロエさんに怒られそうだから早く来てるだけなんだけどね)」
ピシャリと言い切るアヤメにユウが再び苦笑いしていると、更に仲間が三人追加。――オレンジツインテールの明朗闊達な隠れお嬢様、三城島チトセ。その幼馴染でありとにかく体を動かすことが好きな筋トレ少年、灰色ウルフカットの風見トウヤ。そして二人の影からオドオドと水色のマッシュショートの頭を覗かせる、小柄で真面目な黛リン。
「おっはよーん! なになに? アヤメってば朝から白峰にアプローチぃ?」
「へ?! ななな何を馬鹿なことを! わわ私はただ白峰君が――」と、顔を真っ赤にして慌てふためくアヤメ。するとトウヤが溜め息。
「冗談に決まってんだろ、不動。お前慌て過ぎだ」
「――っ!?」と恥ずかしそうに顔を伏せるアヤメ。そして。
「お……おはよう、不動さん、白峰君」と、小さな声で参加するリン。
そんな中で逸早く話題を逸らそうと「ところで――」とアヤメが平静を装って頑張る。
「そういえば白峰君は、選抜対抗試合には出ないんですか?」
「え? ああ、うん」
「えー出なよー、白峰ならイイトコまで行くってー」と、横からチトセ。
「いやあ、僕はちょっと……そういうのはダメみたい」
「何故ですか? あれほどの強さを持っている白峰君なら、個人戦で優勝だって狙えるかもしれないのに……。やっぱりお姉さん――白峰先生が推薦を断ったっていうのは本当なんですか?」
「うん、まあね。うちは姉さんが絶対だから」
というのは紛れも無い事実である。
「そうですか……残念です……」
「…………」
何となく朝から暗いムードにしてしまった、などと感じていたユウらの後方から、その空気を払拭する元気満点の、しかし怒気を孕んだ朱宮ホノカの声。
「待ちなさいよ! この変態スケベ!」
その呼び方だけで、追われている人物が
「待て待て待て! 違う! さっきのはマジで事故だ!」
――逃げ惑うマナト。
「だったらアンタは、何回事故起こせば気が済むのよ!」
――怒鳴り散らすホノカ。
「しょうがねえだろ! そもそも誰もお前の胸なんて――」
「なんて?! 人の胸触っておいて……何が『なんて』なのよ!」
烈火のホノカがハンマー投げの如く回転を付けて放り投げたサブバッグは、マナトの『アイギスの盾』を経由してユウらの方向へ――。そのバッグをユウが目にも止まらぬ速さをもって、アヤメの眼前で軽く受け止める。
「大丈夫? 不動さん」
「(速い……!)え、ええ――ありがとうございます」
「あの二人、ホンっトいつも元気よねー」とチトセが感心した様子で、その
「そ、そうですね……喧嘩するほど仲がいいというか何というか」
廊下にこだまするマナトの悲鳴――そんなこんなで始まる
***
朝のホームルームを終えて1時限目の授業。教壇に立ったリコが、タブレットを見ながらつらつらと語り出す。
「さてさてー、今日の近接戦闘概論ではぁ、殊能と格技の複合戦闘における体術の重要性を――」
とその時、唐突に教室のドアが開かれた。
「ふぇ?! し、
驚きの余り名前を噛んだリコの傍へ「邪魔するぞ」と黒スーツのクロエが一声。
「ど、どうされたんですか? 突然――」
全く想定外の闖入者に生徒達もざわつくが、そんなことはお構い無しにクロエはずかすがと教室に踏み入り、目を白黒させているリコの許へ。
「社リコ、少し話がある。私と来い」
「え? え? いや白峰先生、これから授業が――」
「なら1時限目は自習にしておけ。――ユウ」
クロエの呼び掛けに、心得ているユウは「はい」とすぐさま立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってください……(何なのこの人、いきなりやって来て)」
すると皆が固まっている中で、マナトが珍しく真面目な顔でそれを止めた。
「ちょっと待って欲しいんすけど。説明も無しにいきなり過ぎじゃないですか」
妙に反抗的な目つきでクロエを睨むマナトを、彼女は冷静な表情で観察するように眺めてから言った。
「(プロタゴニストの鑑マナトか)――すまんな鑑、だがこれは私の本業に関わることなんだ。講義ならば後で私が教えてやる」
無論マナトはクロエの言う『本業』というのが、彼女が所属するウイングズのことであると認識した。しかしその上で尚、マナトは噛み付いた。
「俺が受けてえのはリコりーの授業なんで。アンタのじゃない」
彼の挑戦的な物言いに、ホノカが「ちょっとマナト」と心配そうに諌めに入った。
「――考慮はしておこう」
クロエはそれだけ言うと、有無を言わせぬ視線でリコを促した。おずおずと教室を出るリコにユウも続く。不安げな表情のアヤメが彼の後ろ姿に声を掛けようとしたが、躊躇している間にドアは閉められてしまった。
「………………」
「マナト、お前なんであんな――」
「別に。納得いかなかっただけだ(――これだから軍人って奴は)……チッ」
不満と苛立ちを小さな舌打ちで表したマナトは、そのまま教室を出ていった。
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