EP5-5 第一発見者

 マナトら三人がたむろしているところへ、トウヤが遅れて合流してくると、マナトが声を掛けた。


「珍しいなトウヤ、お前が遅れるなんて」


「うん? まあ俺は4周分、多く走ってきたからな。だから残り6周だ」と、汗を拭きながらトウヤ。


「マジかよ……(流石は運動バカだな)」


 呆れた様子でヒロが呟くと、「あいつはもう終わってるぞ?」とトウヤが、美味しそうに水を飲んでいるユウを指差す。


「はぁ?! いやいや、何なんだよユウお前……。か何かですか」


 冗談で言ったヒロの言葉を拍子に、ユウが「ブふッ!」と水を噴き出す――濡れるマナトの顔。


「………………」


「あ! ごめんマナト! ちょ、ちょっとむせちゃって……」


 そんな会話をしている彼らから遠く――演習場の金網の向こう側に、一人の女性が寂しげな顔で立っていた。

 ユウはフェンス越しのその女性に気付き、何となく彼女を見つめた。女性は別段人目を惹く様な外見でもなかったが、ネストの制服でも教師らしいスーツでもない、ただの白いワンピースを着てポツンと立っていた為、妙に浮いた感じがしたのである。


(誰だろうあの人……先生じゃないよな? 何を見てるんだろう?)


 ユウは女性の視線の先を追ってみるが、距離が遠い為に彼女の目がどこに注がれているのかまではハッキリと見て取ることが出来なかった。しかし少なくとも演習場の生徒達の方へと向けられているのは判る。


(外部の人って入っていいんだっけ? あ、でもフェンスの外だから――)


 そこへ。


「おーい、ユウ! 先行くぞー」と、ヒロの声。


 ユウがそちらを見ると、既にマナトらはAクラスの男子三人は演習場のランニングへと戻っていた。すると担任のリコ。


「白峰君はまだいけそうなのでぇ、もう5周いきましょー!」


「ええぇ……」と、ユウは困ったような顔をしながらも、しぶしぶその走者の群れの中へと身を投じていった。



 ***



 ――その日の午後。夕暮れ前に教室棟を出たユウは自分の寮へと戻る途中、校門の傍に立っている女性の姿に目を止めた。


(あ、あの人は昼間の――)


「…………」


 無言で生徒達を見つめている女性は、昼に見かけた時と同じワンピース姿であった。年齢は30代半ばで、長い茶色い髪。決して美人とはいえない顔立ちであったが、穏やかそうな印象である。その表情はどことなく寂しげで、しかし生徒に向ける瞳には優しさがあった。


 それが気になったユウは、彼女の方へと近寄ると思い切って声を掛けてみた。


「あの、すみません」


「あ――」と、声を掛けられた女性が目を丸くする。


「この学校の関係者の方ですか? お昼にも演習場の外にいましたよね?」


「……君は――たしか白峰ユウ君、よね」


「えっ?」と今度はユウが驚きの表情を見せた。


「なんで僕の名前を――」


 すると女性は少し照れ臭そうに微笑んで答える。


「私は藤崎ふじさきショウコっていうの。この学校で教師を――していたのよ。……ついこの間までね。だから君のことは知っているわ」


「そうだったんですか」と、納得のユウ。


「君は今年の1年生に編入した、白峰ユウ君。殊能は電気操作だったわよね?」


「殊能まで知ってるんですか?」


「ええ、もちろん。私は貴方たち1年Aクラスの担任になる予定だったから。君やクラスの子たちの情報はいたわ」


「そうなんですか……(あれ? でもリコ先生は――)」


 ユウが頭に一瞬過った疑問を解こうとする前にショウコが尋ねる。


「白峰君、学校は楽しい?」


「え? ああ、まあ……楽しいです。僕は殊能の学校こういうところは初めてですけど、皆明るいしイジメとかもないですし」


「そう、それなら良かったわ。……本当なら私が教えてあげたかったけれど」


 微笑みながらも残念そうに俯くショウコ。ユウが首を傾げる。


「藤崎――先生は、なんでネストを辞められたんですか?」


「先生は付けなくていいわ、もう教師ではないもの。私はね……あまりこういうことを生徒に話すものではないのだけれど――解雇クビになったの」


「え――? (なんで?)」


「……何故、って顔をしてるわね? でも私にも解らないの……入学式の2週間前に、突然追い出されたのよ。『部外者が立ち入るな』って」


「へ? 部外者? 先生なのに、ですか?」


 その言い方は明らかに変だ、とユウは思う。


「ええ。おかしいでしょう? ついこの前まで一緒に働いていた人たちまで、『お前は誰だ』なんて言うのよ。まるで皆のみたいに――」


 苦笑するショウコの穏やかな瞳から、一滴の涙が零れた。

 突拍子も無いことを言うものだとユウは思ったが、ショウコの様子を見る限り彼女が嘘を吐いているようには見えなかった。


「あら、ごめんなさいね。子供の君に大人が愚痴を零すなんて……情けないわね……」


 そう言いながらも彼女の涙が止まることはなかった。ショウコはポケットから取り出したハンカチで目尻を拭う。


「いえ、そんなことは――」とユウ。彼の頭の中では、規制官として当然の疑念が生まれる。


(記憶を書き換えるだって? 仮にそういう殊能があったとしても、学校なら当然それまでの記録が残ってるんじゃないのか? もしそれすらも書き換えられたのだとしたら――)


「………………」


 さめざめと泣くショウコと無言のユウの間で、静かな沈黙の時が流れる。


(記憶と記録を同時に書き換える能力――それはつまり、っていうことになるんじゃ? それが殊能でなかったとすれば……)


 そこで先に口を開いたのはショウコであった。


「ごめんなさい。変なこと言って時間を取らせちゃったわね。私もう行くわ」


「え? あ、はい――お気をつけて」


 少しずつ落ち始めた夕陽の中で、何度か振り返ってユウに小さく手を振るショウコを見送ると、ユウはすぐさまこめかみに手を当ててOLSを起動した。


[――クロエさん]


[どうした?]と、即座に返答がある。


[見つけたかもしれません]


[ディソーダーか?]


[いえ、手掛かりだけですけど……多分]


[充分だ。私がそちらに合流する。寮で待て]


[了解しました]


 ユウはOLSを切ると、ショウコの立ち去った先の住宅街へと続く街並みに目をやった。疎らな人通りの見慣れ始めた景色は、ほんのりと赤焼けていた。

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