EP2-5 クリサリス

 数瞬の間を置いて、ユウはクロエに反論した。少なくとも『亜世界で』という前提で云うならば、彼は自身の強さにそれなりの自負があったからである。


「(僕が……?)――弱いっていうのは、どういう意味ですか」


 するとクロエは彼の自信など歯牙にもかけぬといった様子で言い切った。


「そのままの意味だ。君のアルテントロピー亜世界での戦闘能力は我々が相対すべき情報犯罪者ディソーダーには遠く及ばない。君の能力強さを我々の基準で判断するならば、良くてランクD――せいぜいといったところだ」


「!――(中の、下……!?)」


「ルーラーという呼称は私やリアムのような一等規制官を指して言うが、ランクD程度では三等規制官になれるかどうかも怪しい。勿論それは規制官としての知識と経験を積んだ上で、の話だ。君にはそれすらも無い」


「そんな……じゃあ僕は――」


 やっと見つけた唯一つの勇者じぶんの道を、もう歩むことは出来ないのであろうか――そう思い肩を落とす。しかし。


(でも……イヤだ、諦めたくない! ここで諦めたら僕はまた、何者でもない自分に戻ってしまう!)


 そしてユウは再びクロエの顔に、純粋な意志ある眼差しを突き付けて、その決意を声に出した。


「それでも僕は、規制官ルーラーになりたいんです!」


 物音ひとつしない白い通路にユウの声が響き渡り、その後にまた静寂が戻る。


「…………(まったく、随分と強情な性格だな。とは云え、規制官ルーラー以外で彼のように強い意志を持った人間を見たのは久しいな。今の源世界にこの少年のような存在が一体どれだけいるだろうか……?)」


 そんな思いを忍ばせて、クロエは真っ直ぐな少年の姿を見つめる。


(アルテントロピーは意志の力とも云われている――ならばこの少年は……)


 するとクロエにOLS思考通信で声が掛けられた。局長のジョルジュからである。


[クロエ。彼がそこまで言うのならテストしてみてあげてはどうかね? 如何なる個人の要望も、その意志を否定するというのは我々のルールに反する]


[局長……。そうですね、確かにこの少年には意志を感じます。局長から許可を頂けるのであれば、彼の資質を視るのはやぶさかではありません]


[うむ。それならば私の権限で許可しよう――]


 ジョルジュがそう言うと、間もなくクロエの視界に『雇用試験申請受諾』の文字。


[ありがとうございます]と頭の中で呟くとその表示が消えた。


 クロエはユウの顔を見て、改めて彼の名を声に出して呼ぶ。


「少年――いや、ユウ・天・アルゲンテア」


 気まずい沈黙に耐えかねていたユウは、突然名前を呼ばれて「はひ!?」と妙な声を上げつつ姿勢を正した。


「君の希望は聴き入れよう」


「ホントですか?!」と、ユウの表情が無邪気に明るく輝く。


「ああ。だがあくまでも機会が与えられるだけだ。規制官になれるかどうかは、君自身の資質と意志の強さによって決まる」


 というクロエの説明が耳に入っているのかどうか。ユウはその場で満面の笑みを浮かべながら拳を握って、自分を鼓舞するように頷いている。その姿に今度はクロエの方が内心肩を落として、困った表情で溜め息を吐いた。


「やれやれ……(また妙なのを拾ってしまったな)」


 そう零しながらも、ユウを見つめる彼女の瞳は決して厳しいものではなかった。

 クロエはこめかみに指を当てて再びOLSを開く右眼を光らせると、ポッドをコントロールしているインテレイドに指示を出す。


[ユウ・天・アルゲンテアの火星行きはキャンセルだ。――代わりに転移室の準備を]



 ***



 5階建てのビル程もある白い空間へや。四方の壁面には無数の青い小さなレンズが、壁全面に渡って等間隔に埋め込まれており、そのレンズ達が見つめる部屋の中央には、巨大なガラス玉の様な透明の球体が浮かんでいた。球の内には角度によって色が異なって見える液体が充満していたが、その液体が一体何なのか、そしてこれほど大きな物体がどうやって浮いているのか――ユウには皆目見当も付かなかった。


「ここが転移室だ」と、クロエ。


 彼女に連れられ球体の前にまで歩み寄ったユウが、まじまじとそれを観察する。


「――転移室? 亜世界に転移するってことですか?」


「そうだ。この球体型転移装置――クリサリスに入ると、私たちの肉体は分解されてその情報が量子単位で解析され、情報次元を構成する情報子に変換される。それを亜世界に配置されたAEODアイオードの座標に関連付けることで、擬似的に亜世界へと転移する」


「擬似的に――? っていうか肉体が分解されるって……(超怖いんですけど)」


 まるで恐ろしい拷問器具でも見るかのような怯えた目付きで転移装置クリサリスを眺めるユウに対し、クロエは冷静に答えた。


「亜世界への転移というのは、肉体そのものが移動するわけではない。内なるものアートマンと呼ばれる、物理次元から解析・抽出された情報を基に作られる『情報次元用の体』を送るんだ。その情報体アートマンを作るには、本人を構成している情報を必要がある。だから


「(溶かすって……)――どうやって元に戻るんですか?」


転移装置クリサリスの中に入っているのは、13次元量子液体の特殊な元素デバイスだ。亜世界との次元接続が解除された時点で情報体アートマンを物質情報に転写し、肉体を完全に再構成できる」


「? はぁ……。じゃあもし、にこの球が壊れたりしたらどうなるんですか?」


「その場合は別のデバイスで新たに肉体を創ることになるだろうな」


「別の身体になっちゃうってことですか?」


「そういう見方もできるが、情報的には全く同じものだよ。肉体の置換という意味で云うならば、1秒間で行われる新陳代謝の方が遥かに変化が大きい。それに――」


 クロエは巨大な転移装置クリサリスを見上げながら、その外面をコツコツと拳で叩いてみせた。


「そもそもこいつが壊れるようなことはない。透明度が高くてそうは見えないだろうが、これは厚さ300ミリの独立した超々硬度外殻が、22層に重なって中央の本体を保護している。要するに物理的な破壊は理論上不可能だ」


「へぇー」とユウが感心していると、「では行こうか」とクロエ。

 彼女が言うと同時に、ユウが立っている床がゆっくりとせり上がっていく。徐々に高くなる足元をユウが不安そうに見回しているうちに床は球体の天頂の高さにまで昇り、そして今度はその中心へと向けて彼を運びながら横に伸びていった。

 ユウを乗せた床が転移装置クリサリスの真上にまで来ると、天頂部にポッカリと穴が空く。


「(結構高いなあ……)これに入るんですよね?」


「そうだ」と、下からクロエ。


(本当に大丈夫かな……)


 クロエの説明をほとんど理解できなかったユウが不安げにその穴を覗いていると、クロエが「早くしろ」と急かす。その言葉に押されたユウは、とばかりに転移装置クリサリスへと飛び込んだ。

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