EP1-4 地下大空洞
黄昏の丘の南西にあたる、広大な森の中。生い茂る木々を切り抜いたようにポッカリと空いた場所に岩山があり、麓に巨大な石の門で閉ざされた洞窟があった。門にはこれといって目立った意匠や装飾の類は無い。しかし勘の鋭い者や魔法使いであれば、その門が放つ禍々しいオーラに尻込みし、決して近付こうなどとは思わなかったであろう。緑豊かな森であるというのに、門の付近には鳥や小動物の一匹も見当たらないというのが、その証拠でもあった。
その不吉な石門の前に、黒いスーツに黒いロングコートを羽織った女性。
――艶のある黒髪は短めのボブカット。長い睫毛に澄んだ大きな黒の瞳。綺麗に筋の通った鼻と健康的な朱を帯びた唇。白い肌理細やかな肌にそれらのパーツが黄金比で配置された顔は、女神もかくやという完璧な造形である。そこに加わる抜群のスタイルも相俟って、彼女の美しさはおよそ人間とは思えぬものであったが、しかし強い意志を宿した瞳は彼女が
彼女の横には、合流したリアムとアマラの姿があった。
「ここが入り口かぁ……なんか辛気臭えな?」と、門を見上げるアマラ。
彼女が呟く横を通り過ぎて、大柄なリアムがその門扉に何の躊躇いもなく手を掛ける――すると、門から赤黒い光の触手のようなものがヅルヅルと伸びて、彼の太い腕に絡みついた。
「――? クロエ、これは?」
リアムが問うと黒髪の美女――クロエが答えた。
「この亜世界の魔法だろう。――アマラ、解析しろ」
「あいよ」と、アマラが自分のこめかみに手を当てると彼女の右眼が青く光る。そしてその視界に、魔法を構成する情報が
それを眺めながらアマラ。
「こりゃセキュリティの一種だな。この世界にある解呪の証とかいうモンを持たずに侵入しようとすると、自動的に発動する呪詛防壁魔法――ってことになってる。簡単に言や、侵入者を呪い殺すシステムだ」
「改変は――?」とクロエ。
「されてる。術式の中にこの世界の法則に合わねえ部分があるが、それでも動作してるってことは、アルテントロピーで物理法則の一部が書き換えられてるってことだ」
「ならば
「まあこの雑な構成を見る限りじゃ、改変を意図的にやってる感じはしねえけどな? ――で、どうする? その解呪の証ってのを取りに行くか、この場で創るか、どっちにしてもそれなりに時間はかかるぜ?」
「ルーシーの事象演算予測によれば、整合性の破綻まであと45分だ。この世界の設定に付き合ってる暇はない」
淡々とそう告げるクロエに、リアムが「了解した」と一言。
彼は平然と分厚い門扉の隙間に無理やり片手を突っ込むと、その片側を力任せにこじ開ける――勢い余って外れた扉が、遥か後方に吹き飛んでいった。そして扉が壊れると同時に、リアムに取り付いた光の触手は霧散した。
「開いたぞ」とリアム。
門扉の奥には地下へと続く幅広の階段。中は暗闇で、その先がどうなっているのか、どれほど続いているのかも窺い知れない。ただ奥からは不気味に流れる風の音だけが聴こえた。
アマラはリアムの横から中を覗き込むと、眉を顰めながら辟易とした表情で溜め息を吐いた。
「マジでここ――入んの?」
「当たり前だ」と返したクロエの目は青く光っており、暗闇に澱んだ洞窟の様子が鮮明に映し出されていた。明るさやコントラストが自動的に最適化され、その視界の端には温度や湿度、現在地から目的地までの経路や距離も表示されている。
「……4300メートルか。思ったより深いな」
と言いつつも彼女は臆することなく洞窟へと足を踏み入れる。他の二人も数メートルの間隔を置いてそれに続いた。そして三人は階段を数段飛ばしながら、全員がかなりのスピードで滑る様に降りていく。
[手順を確認する――]
階段を跳び降りながら話すクロエの声は、音としてではなく頭の中に直接響く。
[
[ドラゴンなら男じゃなくて
[どちらでもいい。……改変された情報の規模から推定すると、目標の潜在アルテントロピー指数は160前後、ランクBの超個体だ]
[PA160って……そんな奴本当にいんのか?]
[前例はある。過去には170を超える転移者もいたからな]
[はあ? マジか……どこのバケモンだよ――]
呆れた口調のアマラに、クロエが苦笑しながら答えた。
[お前の後ろにいる男だよ]
[…………]
振り返ってリアムを見るアマラ。クロエが話を続けた。
[目標にはまず源世界への任意同行を要請する。それに応じない場合は身柄を拘束し、強制的に連行する。万が一戦闘が発生した場合は、エントロピーの増加幅が許容範囲を超え、情報災害の発生が早まる可能性がある。その為戦闘はリアム1名で行い、私とアマラはIPFの展開及び保持に回る。――いいな? リアム]
最後尾のリアムが「了解」と返す。
三人がその途方も無く長く暗い階段を突き進んで行くと、やがてオレンジ色の明るい光が射す出口が見えてきた。
[あそこだな]とクロエ。
狭い階段の洞窟を抜けると、視界が途端に開ける。そこはマグマ噴く灼熱の世界であった。空洞というよりも別の大陸にでも来たかと思える――地平すら見えるほどの広大な空間である。見上げれば空の高さに岩盤があり、それが天蓋となっていた。
岩盤に塞がれた空に太陽の光など到底届きようもなかったが、溶岩の川がドロドロと流れており、地面の至る所に走った亀裂からもマグマがちらついていたので、それらが周囲を視認するのには充分な照明の役割を果たしていた。無論、その
しかしその灼熱がクロエらに何らかの影響を与えることはなく、三人は春の遊歩道を散歩するかのような気軽さで、悠々とその地獄を歩いていく。
「あれか――」
リアムがそう言って見据える先には漆黒の山があった。彼らが歩みを進め徐々に山影が近くなってくると、アマラがその山を見上げながら訊く。
「あの山に棲んでんのか? そのガァラムなんとかって
するとリアムが怪訝な顔をした。
「……? 何を言っているんだ、アマラ」
「は? 何って……さっき
アマラが得心いかぬといった様子で、リアムに噛み付いた。
「確かにそう言ったが、それはそのままの意味だ。あれは山では――」
リアムの言葉の途中でのそりと山のような影が首をもたげ、「何者だ?」という声が一面に鳴り響いた。
「あん――?」とアマラ。
彼女らの視線の先で、もたげられた首は正しく竜のそれであった。
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