2.ニートの過去
エレクトーンを始めたのは4歳の時だった。きっかけは覚えていない。自分で習いたいと言ったのかもしれないし、親の勧めかもしれない。いずれにせよ、大正解の、俺の人生になくてはならない選択だった。
何度も自称した通り俺は天才的だった。教室で俺よりうまい奴は一人もいなかった。当然だろう。俺は少なくとも、同年齢の中では全国で2番目には実力があるんだから。
エレクトーンは、鍵盤の感触が何より楽しい。ピアノとは全く違う。ピアノは余りに重すぎるんだ。対してエレクトーンの鍵盤は、薄くて軽く、それにノリがいい。調子よく弾いていると、指の腹に汗をかいてきて、更に滑らかになる。その時は、楽器のエレクトーンではなくて曲そのものを奏でている気分になるんだ。最初の拍がカンッカンッと聞こえてくれば、俺はもう音楽の世界に没入できた。自我が立ち退いてゆくあの気持ちよさこそが中毒性というものだろう。世の中には酒だのタバコだのに依存する奴がいるが、正直気持ちがよくわかる。ああいう快楽を覚えてしまった後で、誰が抜け出せるものか。
小学校に上がる前にエレクトーン中毒になっていた俺は、もちろんエレクトーンをやめる気なんかなかったし、エレクトーンのことで頭がいっぱいだった。授業中、こっそり手と足を動かして、しょっちゅう先生に怒られていた。それにしても、順調に進めば俺の人生はどれくらい栄光に満ち溢れたものだったのだろう。何が悪くてあんなことになったのか。高1の冬、強い希望が叶えられて、発表会ではなくコンクールに出場した俺は、全国大会まで進んだ。そして本番、この上なく良くできたんだ。演奏したのは有名な映画の主題歌だったが、主人公の悲哀、決意、憧れを存分に表現できた。音楽の世界に没入しながらも、いくらか残しておいた理性で、戦略的に効果的に各技術を披露した。それまで弾いた中でどの時よりも美しかった。あんなにうまくいくとは思っていなかったくらいだ。にもかかわらず、準優勝だった。いまだに納得いかない。どう聞いても俺の方が上だった。審査員は他人事で評価を述べていやがったが、俺は絶望していた。挫折だったとは認めない。しかしもっと大きな挫折につながってしまった。
どうしても原因を知りたかった俺は、帰宅してからずっとエレクトーンを触っていた。その晩は眠らずヘッドホンをつけて朝までエレクトーンの前に座っていた。それはしばらく経ってもやまなかった。他のことは一切どうでもよくなってしまった。食事の時間ももったいなかったし、実際空腹も感じなかった。トイレすらギリギリになるまでいかなかった。一度向かっても、曲のことが頭に浮かんでしまって、うろうろ歩き回っていつまでも入らなかったりした。当然学校もいかなくなった。学校も、友達も、授業も、すべてどこか遠くの世界のこととしか考えられなかった。もはやコンクールのことすら頭になく、寝不足で全身が筋肉痛になり、まともな思考ができないまま、でたらめにひどい調子で鍵盤をたたいていた。
母とはかなり喧嘩した。俺も理性がない状態だったから、きっかけさえあれば怒り狂って暴れた。父は静観していた。一人いる姉は泣きながら止めに入って、2、3度俺に殴られた。今考えると地獄絵図のようだ。そして、とうとう最後、母が椅子を楽器に強く叩きつけて破壊した。あの時の、全身が怒りそのものになる感覚は二度と味わいたくない。
エレクトーンの鍵盤は、はじくとそれ自体の音がかすかに鳴る。演奏する側にしかそれは聞こえない。その具合で調子、出来不出来がはっきりわかる。話をするように、互いの気持ちがわかるんだ。楽器は本当の意味で相棒だ。俺の12年連れ添った相棒は他の誰より話が通じた。それを破壊されるのは、俺の人生まで破壊されたのも同じだった。確かに10年以上たって音は悪くなっていた。だがそういう問題ではない。
魂が抜けたようになった俺は今度こそ何もしなくなった。数か月は死んだように過ごした。精神科に連れていかれた。じきに行かなくなったけれど。高校は退学した。定時制も行く気がなくて通信制高校を出た。それが去年。数か月間嫌々アルバイトを行って、やっと本当にするべきことがわかった。それこそがエピソード作りだ。
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