看パン娘カンパーニュちゃん

神坂 理樹人

看パン娘はじめました

 赤いレンガを踏み鳴らしながら陽の当たる道を一人の少女が歩いていく。キョロキョロと辺りを見回しながら、手元のメモと景色を交互に見比べている。


 ライ麦色に焼けた肌。肩にかからないように切り揃えられた白い髪。少しくたびれたオーバーオールスカートからのぞく細い足。頭を振るたびに大きな丸い髪飾りが揺れている。ただ一つ違うことは、彼女が人間に見えて少し違う存在であるということだけだった。


 パンの姿を形どった女の子、パン娘。彼女たちの仕事は大小様々なパン屋の店頭に立ち、看板娘としてお客さんと接すること。名実ともにお店の顔として認められたパン娘は『看パン娘』として地域に愛される存在になる。


 この少女、カンパーニュちゃんもようやく住み込みのお手伝い先であるパン屋さんが決まって、こうして初めて見る街にやってきたのだが。


「この辺やと思うんじゃけど、どっこもおんなじようなからよーわからんわ」


 なまりの強いひとりごとを漏らして、またメモに視線を落とす。手書きのメモは線が曲がっていて、角を曲がると言われても直角に曲がっているのか脇道に入っているのかもわからない。大きな通りなのか細い路地なのかも判断がつかなかった。


「やっぱり迎えに来てもらった方がよかったんじゃろうか?」


 口から出てきた弱音に慌てて首を振る。こんな弱気じゃいけない。ここで一人前の看パン娘になると決めてきたのだ、とは思ってみるものの、だんだんとどこも似たような通りに見えてきて、ここまでの道のりも正しかったのか自信がなくなってくる。


「どないしょうか」


 立ち止まっても助けがあるわけでもない。そこに不安な気持ちを和らげるようにカンパーニュちゃんの鼻になじんだ香りが届いた。


「小麦の香りがしよるね」


 これから向かう街はパン屋が多く立ち並び、小麦の焼けた香りがいつも漂っている。そんな話を聞いていた。きっとこっちで間違いない。自信がないのは変わりないが、とにかく香りの先へ行ってみよう。


 誘われるように赤レンガ敷きの路地を抜けて、大きな通りに飛び出す。金色の香りをまとった風がカンパーニュちゃんの頬を駆け抜けていった。電車に乗ってきただけでまるで違う世界に迷い込んだようだった。


 道と同じ赤レンガの壁のお店ときれいな木の屋根がまぶしいお店が並ぶ。その中に一軒、パン屋の看板が見えた。立ち並ぶお店の看板の中でもひときわ輝く銀色の突出し看板がかかったお店に足が自然と吸い寄せられた。


 金のメッキがされた『ドルク』という店名。それに負けないほどキラキラと輝くパンたち。そして、その店頭には笑顔でお客さんに応対するパン娘の姿があった。


 すらりとした長身にくすんだ金色の長い髪。白いワイシャツとスキニージーンズがよりそのスタイルの良さを強調している。ヒールを履いているのに少しも揺らぐことのないその立ち姿は、溜息が出るほど美しく見えた。

 胸元につけられた名札にはバゲット、と名前がある。店の中に堂々と立つ歴史あるパンの名に恥じないパン娘だった。


「これが都会のパン娘さんなんやね」


 店内を見渡せる大きなガラスに張りついてその姿を見ていると、自分の姿がそこに重なる。あんな立派な看パン娘に自分もなりたい。カンパーニュちゃんがそんなことを考えていると、ガラス窓に張りつく不思議な女の子を見てバゲットさんが少し困ったような顔でお店から出てきた。


「どうしたのかな? お嬢さん」


「あ、こんにちは! 素敵なお店じゃね」


 怪訝けげんな顔で尋ねたバゲットさんにカンパーニュちゃんは少しも動じることのない満面の笑みで答える。これだけの反応をされるとバゲットさんも困ったように苦笑いを浮かべるしかなかった。


「迷子の子かな? お父さん、お母さんとはぐれたのかい?」


「うち、そんな子どもやないです! 迷子なんは、半分本当なんじゃけど」


 手に持った手書きのメモも一度ルートから外れてしまってはもう役に立たない。迷子と言われてもまったく否定できるところがなかった。


 バゲットさんは頬を膨らませて首を振るカンパーニュちゃんに微笑みかける。そっと伸ばした手が頬に触れると優しい香りと温かさが帰ってきた。まだ田舎から出てきたばかりなのに、なんとなくお母さんを思い出す気がして、カンパーニュちゃんは胸の奥が熱くなってくるのを感じた。


「君もパン娘なんだね。新しくこの街に来たのかな?」


「あ、そうなんです。でもお店がどこにあるんかわからんくて」


 カンパーニュちゃんは持っていたメモをバゲットさんに見せてみる。これで辿り着けるのか、見れば見るほど不安になってくる乱雑なメモだ。しかしバゲットさんはメモを見てなんとなく察しがついたようで、また優しい笑顔を見せた。


「最近できたパン屋さんでパン娘がいないのはコトブキさんだけだろうね。この通りをまっすぐに行った右手に見えるよ」


「ここの象形文字って『コトブキ』って書いてあったんじゃねえ」


 失敗した跡なのか何かの目印なのかと思っていたメモの端の走り書きに目をやる。確かに言われてみればとても汚い文字ではあるが、そう読めなくもない。


「あそこの店長さんは悪筆で有名だからね。これからは君が代わりに書いてあげた方がいい」


 どうやらバゲットさんもメモの内容を読んだというよりもメモの状態で察しがついたらしかった。汚い文字のメモを返すと、バゲットさんは小さく手を振ってウインクした。


「じゃあ頑張って。落ち着いたら遊びに行くよ」


「ありがとうね。うち、立派な看板娘になっちゃるけんね!」


 バゲットさんに手を振ってカンパーニュちゃんは教わった方に走り出す。気がつくともう約束の時間からずいぶんと過ぎている。いきなり遅刻では看板娘以前の問題だ。レンガ敷きの道に軽快なメロディを奏でながらカンパーニュちゃんはコトブキベーカリーめがけて走っていった。


 教わった通りに大通りを走っていくと、コトブキベーカリーの突出し看板が見えてくる。さっきのドルクとは全然雰囲気が違う錆がついた古めかしいもので、建物こそ同じ赤レンガの壁なのになんだかここだけ少し浮いているように見える。新しいお店だと聞いていたのに、ずいぶんと年季の入ったお店に見えた。

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