鞄の行き先

「それで深山君、何が見たいんだ?」

 体育館裏に着くなり、萌菜先輩がそう尋ねてくる。

「これです」

梯子はしご?」

 俺が指差したもの見て、雄清と萌菜先輩は怪訝そうな顔をした。

「はい、梯子(はしご)です」

「太郎、それが一体なんだって言うんだい」


「おそらく犯人は岡村でしょう」

 雄清と萌菜先輩は目を見開いて俺の事を見た。それから、雄清が俺に尋ねる。

「それと、梯子がいったいどう関係するんだ?」

「岡村の上履きを見ましたか?」

 俺は二人に問いかける。

「いや」

「岡村の上履きには茶色い汚れが付いていました。しかしそれは土の色とも微妙に違っていた。

話は変わりますが、犯人を誰かに仮定するのならば、道家と岡村の他には考えられない」

「まあ出入りしたのが、その二人しかいないのだからな」

「中立的な立場から見れば、道家と岡村のどちらを犯人と考えてもおかしくない。むしろ一番最後に上手袖に入った、道家が犯人と考えるのが自然でしょう」

「それは……そうかもしれないな」

「それで太郎、梯子の話はどこに行ったんだい」

「そう、梯子が俺たちを真犯人へと導いてくれる。犯人は目立つ鞄を持って人前を歩くようなことはしたくなかった。だから人目のつかないような方法で鞄を運ぶことを選んだのです」

「それってまさか」

 そう言う雄清に俺は頷いてみせる。

「岡村が上履きに付けていた茶色は、この梯子のサビだったんです」

「本当かなぁ」

 雄清は突拍子もない考えに賛成し難いようだ。すると萌菜先輩が、

「まあ、確かめてみればわかるだろう。さて山岳部のお二人さん。日頃の鍛錬の成果を見せてもらおうか」

 

 俺は梯子をよじ登る真似なんてしたくなかったので、

「ということだ雄精。登ってカバンがないか確かめに行ってくれ」

「うへぇ。人使いが荒いなあ」

 雄清は文句を言いながらも、身軽な身のこなしで梯子をひょいひょいと登って行った。


 雄清が上に登っている間、暇つぶしか、萌菜先輩は俺に話しかけてきた。

「どう、調子は」

「まあ、ぼちぼちですかね。文化祭も無事終わりましたし」

「そうじゃなくて、さやかとのことだよ」

「ああ、……まあ、それもぼちぼちじゃないですか」

「……そうか。さやかに飽きたら、私はいつでも空いているぞ」

「ご冗談を」

 そう言ったら、萌菜先輩は少し、こわばった顔をしたように見えたが、瞬きをするかしないかという時間のうちに、いつもの顔に戻っていた。俺は続ける。

「俺が綿貫に飽きるわけがないでしょう」

「……そうだな。というか、惚気のろけか、おい。まあいいんだけど。さやかを泣かせたら、承知しないから」

「綿貫家総出で、俺のこと殺しに来そうですね」

「それはある」


 そんな話をしていたら、数分と経たないうちに、雄清は戻ってきた。ピンクの大きな鞄と一緒に。

「いやあ、驚いた。まさか本当にあるとは」

「よし早速、演劇部長のところへ……」

 雄清と萌菜先輩はすぐに体育館内に戻ろうとしたが、


「まってください」

 二人は俺の声に驚きこっちを向く。

「どうしたんだ深山くん。何かあるのか?」

「俺たちは道家が犯人ではないということを立証する必要があります」

「だったら、さっきの話をして……」

「それでは駄目です。靴にサビの跡がついているからといって、梯子を上ったとするのは根拠が弱すぎます。それに重大な問題がまだ残っています」


 萌菜先輩がそこで気づき、

「岡村は四時前にすでに保健室前にいた」

 といった。

「そうです。そのことがある限り、岡村を犯人と決定することはできないんです」

「じゃあ鞄はどうするんだい」

 雄清が手に持っている鞄を見ながら言う。

「とりあえずまだ見つかったことは伏せておこう。岡村が犯人として、鞄が見つかったことを聞けば尻尾をつかむのが難しくなる」

「というと?」

「鞄をいつまでも放っておくとは考えにくいからな。回収しにくるかもしれない」

「なるほど、そこを叩くんだね」

 まあ、回収しに来なかったら、計画はおじゃんだが。

「鞄を安全なところに置いてとりあえず上手袖に戻りましょうか」

 俺たち三人は体育館の上手袖へと向かった。


 体育館の入り口の辺りで、一人の女子生徒が立ちすくんでいた。よく見れば、道家陽菜である。萌菜先輩が心配そうに声をかける。

「どうした陽菜。部長に何か言われたのか?」

 道家は、大粒の涙をこぼすばかりで何も言わない。

「陽菜、辛いのはわかるが、私に何があったか話してくれないか」

 

 道家は嗚咽を漏らしながら、ぽつりぽつりと話し出す。

「私、もう耐えられないんです。部長は完全に私の事を犯人だと決めつけています。もう私……演劇部にいたくありません。もし、私が犯人ではないと分かったとしても、部長とうまくやっていける自信が無いんです」

 そういって、涙をぼろぼろとこぼす。萌菜先輩は道家にゆっくりと近づき、やさしく抱きしめながら、

わだかまりができたところにいたくないということだな?」

 といった。

 陽菜は首肯する。


「まあ、それがいいのかもしれない。好んで、居心地の悪い場所にいる必要なんてないのだからな」

「……はい。それに私には執行部がありますから。あんな……意地の悪い人たちと一緒にいるより、綿貫先輩や執行部の他の皆さんと楽しく仕事しているほうがずっとずっと楽しいです」

 俺は抱き合う女子二人を眺めながら、少し気恥しい気持ちになっていた。女同士とはいえ、人が抱き合っているところを見るとなんだかムズムズした感情に襲われるものなのだと俺は知った。

 もちろん萌菜先輩にそれを告げるほど、俺は馬鹿ではないが。


 萌菜先輩は道家に、執行部の部屋にいるようにつげて、それから俺たちと一緒に上手袖へと戻った。

 戻ってきた俺たちの姿を見るなり、演劇部長は、

「綿貫執行委員長、お目当ての人は見つかりましたか?」

 この鼻につくような慇懃いんぎんさはどうにかならないものか。俺たちを迎えた演劇部長の様子を見てそう思った。

「まあ、一応な」

「へー、誰?」

 萌菜先輩は俺の方を見る。そのことを話してよいのか、俺に尋ねたいのだろう。俺は、同意の意味を込めて、首を小さく縦に振った。

「保健委員の、岡村真美だ」

 その名前を聞いた途端、演劇部員に動揺が走るのが見て取れた。特に演劇部長の顔は、明らかな嫌悪感を示している。

「北村さん、岡村さんの事ご存知なの?」

「ふん、ただの裏切り者よ」

「どういうこと?」

 岡村が答えずに、代わりに演劇部のマネージャーが答える。

「岡村さんは、元演劇部員です。昨年度の春に演劇部をやめています」

 途中で退部するからには、円満に抜けられたとは考えにくい。岡村と演劇部員との間に何らかのトラブルがあったか、退部の原因自体は演劇部に無かったにせよ、抜けるうえでもめたと考えるのは自然なことだ。 

 萌菜先輩がより詳しく話を聞こうとする。

「どうして裏切り者なの?途中で退部したから?」

「それは……」

 マネージャーが何かを言いかけたところ、演劇部長がそれを遮る。


「それはこの件に関係ないでしょ。あの裏切り者が私たちを検討違いな理由で恨んでいるとしても、あいつが私たちが来たより前に上手袖を出ている以上、あいつの事を探るのは無意味よ。最初から言っているように、犯人は陽菜。それ以上でもそれ以下でもない」

 演劇部長がまくしたてるように言葉を吐いた。俺には北村部長が岡村の事を話したくないように見えた。なぜかは知らない。萌菜先輩がなだめるように言う。

「北村さん少し落ち着いて。……下校時刻も近づいているし、今日のところは終わりにしましょうか」

 ふんと、鼻を鳴らし、北村は部員に解散を告げた。


 俺は人を見るのが得意というわけではないが、いくら演劇部員といえども、道家陽菜がさっき見せた涙が偽物であったとは到底思えない。もはや真犯人は岡村で確定だろう。問題は時間だ、三時五十分に上手袖を出た岡村、そして五十五分には保健室の前にいた。四時に上手袖を出た部長とマネージャー。その五分後に上手袖を出た、道家陽菜。岡村はやたらと時間を気にしていた。そして、何度も人に時間を尋ねた。まるで、……まるで、自分がその時間に上手袖ではないところにいたことを人に覚えてもらいたいかのように。

 俺はそこでふと上手袖の時計がかけられているあたりをもう一度見た。時計に近づき、少し思いついたことがあったので、紙とペンを取り出し、その時計の品番をメモした。

 それを調べて分かる答えは、大体予想の付くものだったが。


 萌菜先輩は、帰り際、演劇部のマネージャーに声をかける。

「ちょっといいかしら」

「何ですか」

 萌菜先輩はマネージャーの手を取り、人気のいないところへと連れて行った。

「岡村さんの事について教えてほしんだけど」

「……無理です」

「どうして?」

「それは……彼女は私の友達です。友達を売るようなことは出来ません」

 どうやら、マネージャーは岡村が部長の鞄を取るだけの理由を持っていると考えているらしい。

「でも岡村さんは犯行時刻にはもう保健室にいたのよ。彼女の事を話すことが見捨てる事にはならないと思うけど。それに何か隠すなら、余計怪しまれるわよ」

「……はい。わかりました」

 マネージャーが口にしたのは、演劇部で起こったいざこざの話。とても、気分が良いとは言えない話だった。


 彼女の話の中では北村、岡村、そして登場人物がもう一人いた。岡村の親友、樫尾かしおほのかである。

 三人は全員演劇部員であった。はじめのうちは三人とも切磋琢磨し、純粋に演劇の腕を高めようと練習に励んでいたらしい。彼女らは仲が悪いわけでなかった。むしろ好敵手として、部活動の仲間として、親友といってもよい間柄であったという。

 しかし、部内の競争がいつまでも良好な関係を保たせてはくれなかった。樫尾ほのかは才能を開花させ、演技力が買われ、主役に抜擢されるようになった。その一方で、北村は雑用ばかりをやらされ、次第にやさぐれていったという。

 いつしか、三人の中、特に北村と樫尾の中が悪化し、北村は樫尾に嫌がらせをするようになった。樫尾はかつての友人と敵対することを嫌い、真正面から立ち向かうのではなく、何も言わず耐え続けたという。そんな樫尾をみて北村は余計面白くないと思ったのか、嫌がらせをエスカレートさせていった。

 問題は樫尾にとっての敵が北村だけでなかったというところだった。主役を奪われた上級生とその取り巻き、樫尾の才能をねたんだ同級生たち。次第に樫尾は孤立するようになり、部活に来なくなってしまったという。彼女は部活のメンバーに顔を合わせるのが嫌で、不登校気味にもなってしまった。

 多くの部員が、樫尾を攻撃するなか、岡村は樫尾の味方であり続けた。だが彼女を守り切ることは出来ず、樫尾から充実した高校生活を奪った演劇部を敵視するようになった。

 足の引っ張り合い、そんな程度の低い行為が跋扈していた部内に嫌気がさし、岡村は退部したのだという。


 話を聞いた、雄清が声を上げる。

「じゃあ、悪いのは全部演劇部長じゃないか!」

 それを聞いた、マネージャーは静かに首を振る。

「いいえ。部長に同調した周りの者も、それを見て見ぬふりをした、この私も部長と同罪です。岡村さんは親友を不登校へと追いやった演劇部を憎んでいるんです。だから、もしかしたらと思い……」

 確かに、このことは岡村にとって不利な話であろう。マネージャーが話すのを渋った理由もわかる気がする。

「マネージャーさんは……、あっ、名前を教えてもらってもよいですか?」

いつまでも名前で呼ばないのは変だと思ったので、名前を尋ねた。

「柳下咲です」

「柳下先輩は岡村先輩や樫尾先輩と仲が良かったんですよね」

「……さっき友達だと申し上げましたが、本当に仲が良かったと言ってよいのかわかりません。私は彼女たちが孤立したとき何もしてやれませんでした。それを友達だといってよいのでしょうか?私には彼女たちに友達だと認めてもう資格はありません。もう……いいですか」

「最後に一つだけ。演劇部の方は部活中は時計をつけないみたいですね。あなたを除いて」

「はい、練習に集中できるようにと、伝統的に部活中は時計をつけないんです。タイムキーパーは必要なので、私は付けています」

「ありがとうございます」

「では、失礼します」

 彼女は足早に、俺たちの前から去っていった。その眼の中にはきらりと光るようなものが見えるような気がした。

「彼女もいろいろつらい思いをしているんだろう」

「そうですね。……萌菜先輩」

「なに?」

「鞄は部長に返しておいてください」

「えっ犯人を捕まえなくていいのかい」

 雄清が驚いた顔をしている。

「ああ。もう必要ないだろう」


 残暑の夕暮れのムッとする空気は、演劇部内の不穏な雰囲気を表しているような気がした。


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