山岳一家

 たまの外出というのも存外楽しいものだ。俺は電車に揺られながら柄にもなくそんなことを思っていた。今日は日曜日。俺は登山靴を買うために名古屋に向かう電車に乗っていた。当初の計画では俺と雄清と綿貫との三人だったのだが、佐藤も山岳部に入部したので四人で買い物に行くことになっている。俺が住むところは田んぼが広がる田園都市だが、十分も電車に揺られれば名古屋に着く。あっという間に目的の駅についた。日曜なのでもう十時だというのに駅ビルには人が溢れている。俺は集合場所である駅ビル内の金時計の下に向かった。


 綿貫はすぐに見つかった。思えば私服の綿貫を見るのは初めてだ。なるほど、お嬢様の服装はいかにもしおらしいじゃないか。俺の女子の私服の脳内画像は女子小学生で停止していたからなかなか新鮮だった。普段は他人の服など気にしないものだ。女の服装が印象に残っていないのは俺の行動範囲が狭すぎるせいなのかもしれないが。

 生憎服には疎いので、綿貫のそれを詳しく言葉で表現することはできない。膝下の丈のスカートと白いブラウス?を着ていた。細く、だが適度に肉付きの良い足の先にはサンダルを履き、マニキュアまでしている(あとで知ったことなのだが、足にするのはマニキュアでなくペディキュアというらしい。統一しろよ、と思う)。だが派手ではなく、品の良い色だ。

 我に返り、綿貫を頭からつま先まで観察している自分に気づく。何をしているんだ俺は。じろじろ女体を見るなんて、字面にしたら変態そのものではないか。


 それにしても雄清と佐藤はまだか。俺はギリギリの電車に乗ったから一緒に来たのでなければ二人は遅刻ということになる。綿貫に近づいて尋ねた。

「二人は?」

「こんにちは深山さん」

 ……

「うっす」

 さすがお嬢様は躾がよろしいようで。

「実はお二人は来られなくなりました」

さも言いにくそうに言った。そうか二人は来られないのか。

 ……はて、困った。

「今朝、山本さんから連絡がありまして、実は家にもう靴やその他一式があることが分かったので今日は行かない。留奈さんに買い物の助言を求められたので留奈さんと一緒に行くのだと言ってました」

 他の人が聞けば、山本と言う男はなんとそそっかしいやつだ、あるいはなんと身勝手な男なのだろうと思ったかもしれないが、俺は思わなかった。それは俺が寛大だからではない。雄清の言が嘘だと思ったからだ。

 一体どこの高校生が買った登山道具の事を忘れるだろうか。

 雄清は俺を家から引っ張りだし、この綿貫さやかと二人きりにさせることを目論んだのだ。俺が二人だけなら来ないのを見越して直前までその事を伏せていた。恐らく佐藤にもほらを吹き込んで協力させたのだろう。佐藤は雄清の頼みなら断らないし、あいつもこの手の話は大好きだ。

 ったく嵌められたぜ。

 さすがにここで帰るのは綿貫に悪いし、何より電車賃が無駄になる。抗う術はない。仕方がないが雄清の策に大人しくはまることにしよう。

「では行きましょうか」

「ん」

 

 今この時間ほど他人の目が気になる経験は未だかつてない。はぁ、これでは、はたから見るとカップルがデートをしているようにしか見えないではないか。

 いやそれは自己賛美が過ぎるか。

 周りの人間にはお嬢様とその下僕、という風に見えているのが実情だろう。


 目的の山岳ショップは駅から程近いところにあった。

 看板を見上げる。

 「日和見荘」なんともけったいな名前だ。日和見と聞けば悪い意味しか思い浮かばない。それとも俺が知らない意味があるのだろうか。

 なかは想像していたよりもずっと広かった。ビルの一階に店を構えているのだが、入り口横手に靴だけが十メートルほど並んでいて、奥のほうを見やるとウェアが何列にもわたって陳列してあった。

「いらっしゃい」

 中年の店員が応対した。店長だろうか。

「いやぁ、若いご夫婦が山登りですか仲がよろしくてよいですね」

 この翁とんでもないことをいってくれる。本気なのだろうか。もしそうならば、老眼の進みすぎだな。

 綿貫がすかさず訂正する。

「いえ、私たち高校の山岳部員ですよ。飯沼先生の紹介でこちらに伺ったのです」

「ああ飯沼さんの。ハイハイ、話は聞いてますよ。いやぁ、僕もね実は君らの高校のOBでね、山岳部だったんですよ。廃部寸前だったって聞いていたから心配しておりました。飯沼先生とは、古い仲でね……」

 飯沼先生のなじみならば年は相当だな。そうは見えないほど若々しく矍鑠かくしゃくとしているが。


 綿貫は店主と話し込んでいたので、俺は一人で店内を見て回ることにした。

 値札を見て驚愕する。なぜこんなにも、どれもこれも高いのだろうか。一番安いTシャツでさえ五千円もする。登山靴は当然もっと高い。今日は貯金をおろして半分持ってきたから靴だけなら買うことはできるが他のものは買えそうにない。寝袋やマットにザックはまた買いに来なければならないだろう。

 綿貫は店主とまだ話している。何をそんなに話しているのだろうか。店主は三十路を優に越しているだろう。共通の話題があるとも思えないのだが。俺は気になったので耳を澄ましてみた。店主が綿貫に尋ねている。

「へぇ、おうちはこの近くなんですね。どの辺りですか」

「上田です」

「あー、あそこは立派なおうちが多いですよね。失礼ですがお名前は」

「綿貫さやかです」

「おお、これはたまげた。綿貫さんのところの娘さんでしたか。あなたみたいなしっかりした方が跡継ぎならばカゾク、綿貫家も安泰ですな。握手してもよろしいかな」

「はい、いいですよ」

 カゾク? なんのこっちゃ。綿貫家は家族で、大海原は一族経営。家族は一族で、一族は家族だ。この翁は一族経営の事をいっているのだろうか。

 それにしても握手とは大袈裟な。確かに綿貫は美人だが芸能人などではない。

「それにしても、お父様はよく許してくれましたな。色々言われましたでしょう」

 店主は続ける。

「はい。でも最終的には私のしたいようにさせてくれました」

 綿貫が山に登ることについて言っているのだろうか。

 店主は少しく、じっと綿貫のことを見ていたが、思い出したように言った。

「……無駄話が過ぎましたな。ええと、まずは登山靴ですね」 


 買い物には一時間かかった。実を言うと俺は二十分ほどで選び終えていたのだが、綿貫は登山靴の他に登山服とザックと寝袋と色々買い込んでいたのでそれだけ時間がかかったのだ。

 四十分ほど待ったが、綿貫の買い物の早さはイライラするほど遅くはない。むしろ他の女の人に比べれば判断が早くてよろしいのではと思える。 まあ、雄清が聞けば女性に対する偏見だと言うかもしれないが。


 服を買うに当たって、綿貫は当然のごとく試着をしたのだが、それに少々問題があった。

 別に俺は女がカーテンの向こうで着替えていようと、変な想像ができるほど「立派」な頭はしていない。しかし綿貫が着替えの途中で顔を出してはあれをとってくれとか、これを取れとか言うのには閉口した。着替えの途中だから恐らく肌着しか着ていないのである。もっとご令嬢らしくしてもらいたいものだ。さしずめ俺は召し使いと言ったところだろうか。

 極めつけは、試着した格好を見せてどれが一番良いか俺に聞いてきたことである。そんなこと俺に聞くなよと思いながら、どれも似合うと、なんだか典型的な駄目男の返事をしてしまった。


 俺たちは店を出た。綿貫は両手に山のような荷を抱えている。

「お待たせしてしまって申し訳ありません」

「別に」

 多少の手伝いをし、ご令嬢らしからぬ大胆な行為には辟易へきえきしたが、ほとんどの時間は本を読んで待っていたのでいつも通りの日曜日だった。だから本当にそう思っていた。

「お昼も近いですしどうです、私の家に来ませんか。すぐ近くですよ。お詫びにご馳走させてください」

 綿貫が俺に気を使っているのだろう。

「いや、いいよ」

 社交辞令は好まないし、それにそんなことをすれば雄清が目論んだ以上の事態になってしまうではないか。

 けれども、綿貫は粘った。逆に俺が気を使うほどに。

「遠慮なさらないでください。そうしないと私の気がすまないのです」

 例のごとくキラキラした眼で見てくる。ああまたこの眼にやられると思ったときにはもう返事をしてしまっていた。

「……そこまで言うなら」

「はいっ。では行きましょうか」

「待て」

俺は半ば強引に綿貫の荷物を持った。

「ただ飯食う気にはならんからな。こうしないと俺の気がすまない」

 俺の言葉を聞いた綿貫はにっこりと微笑んだ。


 名古屋駅周辺を歩くのは初めてだ。今まで駅から百メートル以上離れたことがなかった。十分も歩けば高いビルは少なくなっていく。市民をして魅力無しと言わしめるのも頷ける。遊ぶようなところは少ない。まあ、工業によって発展した街に遊びを求めるのが無理のあることなのかもしれない。国策で新型の超高速列車を建設する計画があるが、それが敷設されれば俗に言う名古屋飛ばしは加速するかもしれない。博多、広島、大阪、東京、仙台、札幌とどれも個性的で魅力を感じる都市であるのに名古屋だけはどこかの真似をしているという感が否めない。名古屋人の実直さを個性ととらえるのもひとつの見方ではあるが。

 しばらく歩くと、武家屋敷が立ち並ぶ通りに出た。

「古いな」

俺が町並みの事をいっているのだと分かったようで、

「そうですね、この辺りは運良く空襲を免れたので古い建物が残っているのです」

どれも立派な家だ。すると、目の前にひときわ荘厳な建て構えの屋敷が見えてきた。

「あそこはすごいな。大名でもすんでいるのか」

綿貫は何も言わず顔を真っ赤にしている。

「どうした。熱でもあるのか」

「あの~、私の家です。あそこが」

「えっ」

……ちとでかすぎやしないか。

 「綿貫庭園、観覧料小人二百円、大人五百円」

家の前に来るとそう書かれた立て札があった。

「なんだこれは」

「うちの庭を公開しているのです。市の重要文化財に指定されていますから」

家の庭が文化財?なぜ医者の家が文化財になるのだろうか。俺はそこで日和見荘の店主が言っていたことを思い出した。

「華族というのは爵位を受けた家の事を言っていたのか。お前の家は公家か何かか」

「もともと武家でした」

「まさか大名じゃないよな」

「はい。ただの武家でした。ですので本当は士族になるはずでしたが、富国強兵に大きく貢献したということで爵位を授けられたのです。現行の憲法では華族は廃止されていますので今となっては一介の一般家庭ですよ」

一般家庭と言うには無理がある。この家の広さは恐らくドーム何個分とか言うレベルだ。この都会のど真ん中にである。そこからは歴史の授業だった。

「私の家は江戸期に入って武士としての仕事がなくなったので、本家から離れた人が繊維業を始めたことに起源があります。綿貫という名字はその頃から使うようになりました。儲けの多くは養蚕によるところが多かったのですけれど。ご存知のように日本は養蚕で莫大な利益を得ました。えっ日本史は得意じゃない?すみません。えっーと、とにかく儲けたんです。そのうちに本家よりも家が大きくなっていってこの地に戻ってきたのです。しかし太平洋戦争を迎え世は養蚕どころではなくなりました。戦後持ち直したこともあるのですが、今では化学繊維が台頭して、天然繊維の生産業は斜陽産業となっています。それにしたがい私の家も没落するはずでした。ですが先々代、私の曾祖父ですが、先々代が新たな事業に着手したのです」

「それが病院経営か」

「はい、養蚕家の息子が医者になることに周囲は当初反対したようですが、繊維産業が傾きかけていたことは周知のことであったので最終的には許されたそうです。私の家はもともと分家で、ただでさえ本家の人に蔑視されやすかったので、そのことをはねつけようと勤勉な人が多かったのも特徴です。ですので武家であり養蚕家でもあった家の人間が医科学を極めようとするのにも理解を示したんだと思います。病院でも経営の苦しいところはあるようですが私の家ではなんとかやりくりしてこうして先祖代々の土地と伝統を守っているのです」

俺はここまで聞いて、少しばかりこの綿貫さやかに同情する気持ちを覚えた。なぜと思うかもしれない。金持ちの名家に生まれ何不自由なく生活する人間が同情に値するなど。しかし俺はこの娘が背負っているものの大きさを見ると羨ましいとは思えなかったのである。名家の伝統、それを守ることを余儀なくされていることの重圧やいかに。自分の家の事を他人行儀に淡々と説明する綿貫の様子はそんなことを俺に思わせた。雄清は俺の考えを偏見というだろうか。言わないような気がした。金持ちが幸せであると言うことの方が偏見ではないか。

「では行きましょうか。ようこそ我が家へ。庭を見ていかれますか」

「任せた」


 思えば女子の家にあがるのは初めてのことだ。男の家でさえ入ったのは遠い過去の話である。よもや自室にはあげまいと思ったし、実際そうだったのだが、どうして緊張する。これでは逆に来なかったほうがよかったのではと思うが、いまさら遅い。さらに悪いことに綿貫が食事の準備をしている間、綿貫の父親にお目にかかることになった。 

 綿貫の父親は、いかにも名家の主といった感じで威厳を持ち合わせてはいたが、どこか気さくな感じのする、初老の紳士といった人であった。


「いやぁ、さやかが家に男性を連れてくることになるとは、私も年を取るはずです」

この親父のっけからとんでもないことを言ってくれる。

「いえ、僕はそういうのではなくてですね、ただの部活仲間ですよ」

「ああ、これは失礼。あんなお転婆を押し付けられたんじゃたまったもんじゃないですな」

「いえ、そんなことはないですが」

親バカでないのは感心するが、反応に困るような事を言うのはやめてほしい。

「とすると君も山岳部員ですか。私は山はようやりませんがあの子の家族は皆山好きです」

この人は綿貫の父親じゃないのか?

「あのう、さやかさんとのご関係は?」

「おっと、失礼。自己紹介がまだでしたな。さやかは私の兄の子です。私は叔父の綿貫賢二と言います」

「さやかさんと一緒にすんでいるのですか」

それを聞くと、賢二さんは少し神妙な面持ちになった。

「……さやかは何も話していないのですね。まあ、あまり人にする話ではありません。君を家に連れてきたということは、それなりに君に対して好意を持っているのでしょう。私から話をしてもさやかは怒らないでしょうから、話しますね」

賢二さんが始めたのは、綿貫さやかの家族に関する、悲しい悲しい過去だった。

「あの子の父親は生粋の山男でした。山を愛していました。同時に登山が危険であることもよく知っていました。兄はさやかが生まれてくる前に最後、北アルプスを登って危険なことは止めることを決めたのです。その山は剣岳でした。標高二九九九メートル。なんとも中途半端な数字です。日本にも三千を越える山はいくつかありますが、兄はそこに決めたのです。なぜかって?そこは難所だからですよ。日本で一番死者を出している山です。こともあろうか兄は冬季単独登攀に臨みました。はっきりいって自殺行為ですよ。子供のいる人間のすることではありません。兄は帰ってきませんでした。今もです。さやかは父親の顔を知りません

 さやかの母親は心労でなくなりました。私は彼らの二人の子供を引き取りました。さやかの兄の隆一とさやかです。私達夫婦には子供ができませんでした。だからというわけではないのですが、私は二人の子を実の子のように可愛がり育てました。ですが隆一は医学科に進学し医師免許を取得した後、父親を捜しに山に行ったきり戻ってきませんでした。これは昨年の夏のことです。ただ隆一が家に帰ってくることを願うばかりです」

俺は言葉を失った。綿貫さやかは十五才にして三人の肉親を亡くしている。その悲痛は決して想像できるものではない。あいつはそんな悲しみをひた隠しにしていつも生活してきたのだろうか。そこで、綿貫が部屋へとやってきた。

「ご飯ができましたよ」

「ありがとうさやか」

綿貫はお盆の上に食事を載せて運んできていた。

 

あまりに衝撃的な話を聞いた後だったので、綿貫が作った南欧風の料理はうまかったのかもしれないが、俺は味をよく覚えていない。賢二さんは綿貫とは今まで通り普通に接してほしいといった。なぜ俺に話したのかと聞くと、綿貫と関わる人間ならば知っておくべきだからといった。だが俺はこういう事情を知っておくべきほど綿貫と親密な仲だとは思っていない。やはり俺は家になど行くべきではなかったのだ。

 綿貫は俺が帰るのを見送りに門の外までついてきた。

「昼飯ありがとな。……旨かったよ」

本当は味わえていないのだが、これくらいの嘘はついてもいいだろう。

「喜んでもらえてよかったです」

「そうか」

綿貫が続けた。

「あの、深山さん。父が何か話したのですか」

「どうしてだ」

「食事中ずっと浮かない顔をしていらしたので」

「ちょっと考え事をしていたんだ」

「そうでしたか、きっと難しいことなんでしょうね」

確かに。

「あまり俺を買い被るな。身の丈以上の評価はストレスだ」

「ごめんなさい。でも深山さんは非凡な人だと思いますよ」

俺は何も言わなかった。

「またいらしてくださいね。父も喜びますから」

「それはわからんな」

「いいじゃないですか」

「出歩くのは好かんのだ」

「私が引っ張り出してあげますよ」

「それは大変だぞ」

「がんばります」 

しばし沈黙。

「ではまた学校で」

「ん」


 その日は何も手がつかなかった。年を同じくして肉親を三人も失っている人間がこの世にどれくらいいるだろうか。そんな考えが俺の頭から離れなかった。俺がどれだけ考えても綿貫の気持ちは分からないだろう。俺でなくてもそうだ。もし分かるなんて奴がいたら、それは、おこがましさ以外の何物でもない。そう思うと綿貫の叔父がこのことを話したのはやはり無意味だったのではと思えてくる。


月曜、例のごとく俺は部室で本を読んでいた。すると雄清がやって来た。

「やあ太郎どうだった」

開口一番なんだそれは。要領の得ん奴だ。俺は雄清の方を見た。

「何の話だ」

「デートだよ、デート、綿貫さんとのデート」

やはりこいつは謀をしていたのだ。

「仕組んだな、雄清。この好き者が」

「愛のキューピッドと呼んでくれよ。で、どうだったの」

「お前がキューピッドなら俺はゼウスだ。別に何にもなかった」

「太郎、ゼウスはギリシャ神話だろう」

俺の返事よりそっちが気になるらしい。ていうか、突っ込むところそこじゃないだろう。まあいい、話をそらすのにはちょうどいい。

「呼び方の問題だ。ゼウスもユピテルも中身は一緒さ」

「でも他の人が聞いたら太郎は間違えていると思うだろうよ。損じゃないかい」

「他人がどうみようと関係ない、だろう」

「はは、違いないや」

綿貫がやってきた。

「こんにちは」

「やあ」

「おう」

「留奈さんの買い物はうまくいきましたか」

綿貫は雄清の方を見て尋ねる。

「まーね。綿貫さんはどうだったの」

俺は冷たい汗が背中をツーと流れるのを感じた。綿貫は話してしまうだろうか、昨日何があったのかを。綿貫にしてみれば隠す必要のないことなのかもしれない。どうか話さないでくれと念じていると、さらに悪いことに佐藤も部室にやってきた。

「やっほー。あー珍しいみんな揃っているじゃん」

俺はこいつも雄清の計画に十中八九噛んでいると見ている。だとしたらその馬鹿げた計画がどうなったのか気になるはずだ。

「で、こっちゃん、買い物どうだった。深山に変なことされなかった」

おい。

「そんなこと……。深山さんは優しく買い物に付き添ってくれましたよ」

「ふーん」

 

 結局、綿貫は俺が綿貫の家にあがったことを言わなかった。


 帰り道、日曜に何もアクションを起こさなかった俺について(猿じゃないんだからそれが当たり前のはずだが)雄清曰はく、

「あまり期待していなかったけどほんとに何もないとはね」

と。佐藤曰はく、

「まあ、深山がへたれっていうのは良く分かったわ」

と。

 随分な言われようだ。

「お前らなあ。俺がいつあんなことしろって頼んだ。俺はあいつのこと何とも思ってないんだぞ」

「ふんっ意地っ張り。あんたはへたれなだけよ」

「なんだお前、へたれとはなんだ。へたれとは。恩人に向かってへたれはひどいだろう」

俺はこの前こいつの八十万円騒動の件で手伝ってやったのだ。感謝されどもへたれといわれる筋合いはない。

「だから恩を返そうとしたんじゃない。人の気も知らないで」

「恩を仇で返すの間違いだろ。節介やきの井戸端女が」

「なによっ」

「まあまあ二人とも落ち着いて。悪かったよ太郎、もうやんないから」

「そうしていただけるとありがたいね」

ため息をつきながら思うのだった。なぜ人はこうも色事が好きなのだろうか。わからん。

 こいつらは俺が昨日背負わされたものを知らない。暢気なものだ。


 俺たち三人はしばらく歩き、雄清が再び口を開いた。

「ああ明日から考査期間かあ。まいっちゃうな」

「ほんと、範囲が広すぎるのよね。やっぱり高校は違うな」

ンっ、今なんと。

「何の範囲だ」

「考査範囲に決まってるでしょ」

こーさはんい?

「まさか、テストの事か」

佐藤はあきれ顔で、

「なにとぼけてんの」

雄清が続けて、

「太郎、今日のホームルームでも言ってたじゃないか。明日からテスト週間だって」

「あー」

言ってたかも。本を読んでいて上の空だった。

「人の話は聞かなきゃ駄目だよ」

「以後気を付ける」

「大丈夫だと思うけど、部活も禁止だからね」

「そうなのか」

「中学の時もそうだったじゃないか!」

さも驚いたかのように雄清はのたまふが、生憎こちとら、帰宅部であった。テストがあろうとなかろうと帰宅時間は変動しなかった。雄清もわかってるだろうに、嫌な奴だ。すかさず佐藤が援護射撃をする。もちろん俺のではない。援護射撃と言うより追撃の方が正しいか。

「あんたってホント間抜けよね」

ぐぬぬ。

「まあ、なんやかんや言って太郎が一番できるんだろうけどね」

「さあな、お前が俺より勉強したら、いい成績が取れる。それだけの事さ」

佐藤が口をはさむ。

「なんかむかつくんですけど」

お前に言ったわけじゃないのに。眼を飛ばしてくれるなよ。

 それにしても、綿貫の家のこと、これから迎えるテストのこと、ああ高校生活はなんと楽しいことだらけなのだろう。

 ほぅと深くため息をつく俺であった。

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