第十三話 アクセラレーション! キミと一緒にどこまでも
「レン様、まさかセイレーンの魔力に意識を支配されているのですか!?」
アクアレーナがそう叫ぶのは無理の無い事だと思う。彼女からすれば、突然俺がアンスリウムを全力で湖へと走らせているように見えただろうから。
「そうじゃない、やられたのはこいつの方だ!」
「アンスリウムが!? そんな事は有り得ません、セイレーンの好みはあくまで人間なのですから!」
魔物の事に関しては、そりゃあ生まれてからずっとゼルトユニアで暮らしている彼女の方が詳しくて当然だ。
でも――!
「俺がキミと居ながら他の女に気を取られる訳が無い!」
魔物の生態とか好みの傾向とかそんな事は、俺の気持ちに比べたらどうでも良い!
「――っ! も、申し訳有りません!」
アクアレーナが即座に俺への気持ちを表してくれたから、余計な事は考えなくて良くなった。
さっきのアフマフ選手が遂に暴れる馬から落ちて水の中に沈んでいった。
可哀想だと思っているだけの余裕も無い。このレース本番の、勝負事のリアリティの中では!
だから俺は、戦いを決意する。
「キミは先に行け。すぐに追い付く!」
「は、はいっ!」
俺の強い口調にアクアレーナが即答したのは俺を信じてくれているからだって、そう都合良く思う事にする。
流石に今手綱から手を離して見せる余裕は無いから。俺の右手の痣が光っているのを彼女が見れたか分からないから、そう思う事にしたんだ。
――まったく、興奮し過ぎて背中に乗せてる俺の事も忘れてるって感じだね、アンスリウム。
どういう原理で馬の中でこいつだけそうなったのかは分からないけど、もしかしたらこれがこいつの持つ厄難の一種って事なのかもしれないけど、今はそこを気にしてる場合じゃあない。
「無理に従わせようとしても速度と時間をロスするだけ。なら最短でカタを付ける!」
湖からセイレーンが姿を見せたと同時に、俺の手の痣の力で吹っ飛ばす。要するに魅了してくる相手を潰してやれば良い。そしたらこいつも正気に戻る筈だ。
多分。……いや、戻す!
湖に近付くと、やがて水面に波紋が生じる。――その時点で、俺はもう右手に力を集中させて掌を水面に向けている。
「ウフフ――」
「ハアッ!」
セイレーンは濡れた長い髪をベッタリと顔に張り付けていたけど、でも整った顔付きの美人には見えた。
もしかしたらアンスリウムじゃなくて、やっぱり俺の方に魅了の魔力を掛けていて、そんな俺との出逢いに心躍っていたのかもしれない。
でもそうだとしても、俺は今アクアレーナの為に走っているんだ。
「――!?」
セイレーンは怪しい笑みでこちらを誘おうとしていたみたいだけど、すぐに俺の右手から出た光弾に驚き歪んだ表情になったから、正直良くは分からない。
「きゃぶらっ!?」
セイレーンが変な絶叫を上げながら、爆発の衝撃に盛大な水しぶきと共に吹っ飛んでいった。
「ブルル――?」
アンスリウムの調子が元に戻ったのが、手綱からも伝わってくる。
「俺の愛馬なら、ちゃんと俺が大事にしているものの為に走ってくれよ、アンスリウム」
俺の呼び掛けに、こいつもすぐ気を持ち直してくれた。
……うん。走りの、風を受けてる感じが段違いに心地良い。
リサベルさんのナビゲーションが聞こえる。
「第二の被害者になるかと思われたレン選手。なんとセイレーンに魔力弾を放って撃退するというカウンターを決めて、難を逃れましたー!」
魔力弾か。俺が簡単にこの魔力ってやつを使えるのも、この痣のチートってやつの力のお陰なんだよな。
ふと、レーススタート前にバロウズ選手から言われた言葉を思い出す。
『チートをさも自分の力のように思っているとしたなら、能天気だな』
自分の力か、そうで無ければ借り物なのか……そんな事は別にどうでも良いって思うけど。――でもどうあれ、自分がこの力で行った事の結果はこの世界に爪痕として残るんだ。
水面で仰向けで浮いたまま失神しているセイレーンと、彼女の呪縛が解けたからかは知らないけど今は一緒に浮かんでいるアフマフ選手を見遣りながら、俺はそう思ってた。
前を走るアクアレーナと合流するのは、そう難しくなかった。
湖へと進路が変わった時に迂闊にアンスリウムにブレーキを掛けさせなかったのが効いていたんだ。それにこの馬には魔物の魔力に反応する危うさが有る分、その体になんというか強い力を蓄えているとそう感じる。
「遠目からも良く見えていましたわ。レン様がセイレーンを倒した時の水面の弾け具合が」
「倒したといっても、死なないようにちゃんと力を加減していたけどね」
何故かは分からないんだけどさ、ゼルトユニアに転移した初日の時よりは痣の力の制御が出来るようになっていたんだよね。
「いえ、そうであったとしてもレン様は、御自分が成された事の凄さをお分かりではありませんわ」
「どういう事?」
俺の疑問に、彼女は一瞬言葉を躊躇うような素振りを見せた。
「……このゼルトユニアでは、属性というものが重要となる局面が有るのですわ。それは主に、戦いに於いて」
「属性?」
「魔力や魔物も含めた生物に備わっている特徴のようなもの――そう思えば理解され易いかと思います。セイレーンは霊体という属性を持っていて、本来であれば完全に水面から出て実体化しない内は、例え魔力であっても単純な破壊の力のままでは倒せない筈なのです。でもレン様の魔力弾は、その霊体属性を
「へ、へえ……よく分からないけど……」
なんかいきなりの戦闘解説に俺は正直面食らっていたんだけれど、彼女はそんな俺を見て、今度はほっとした表情へと変化する。
「いえ、分からなくても良いのかもしれません。レン様は勇者では無く、あくまで……一人の男性としてこの世界に来訪されたのですから……」
「う、うん……」
これって、転移初日なら迷わず『私の花婿様として』って言ってた所だよな。
アクアレーナ、ここ数日で普通の男女として気兼ね無く付き合える関係にはなれたと思っていたけど、彼女からすればそれは大事な思いを封じての事だったんだ。
よく考えればちゃんと分かる筈の事に、俺ははっとする思いを抱いていた。
「属性については、追々勉強していくよ」
「別にご無理をなさらずとも……いえ、なんでもありません……」
俺はチートの事に関しては、実はアクアレーナには一度も尋ねた事が無い。
なんていうか、俺からそれを聞くのは如何にも俺自身がこの痣の力の事を意識してるみたいで、それが嫌だと感じていたからだ。
力に浮かれるっていうのは、そりゃあ十代そこらの年頃なら寧ろ無理の無い反応だって思えるけれど……俺ももういい歳だからね。
まあ自分でも言い訳言ってるみたいに感じるけど、さ。だって現実に、俺は力を持ってしまってるんだから。
アクアレーナもきっと、俺が力というものに固執してしまうような事になったら嫌な筈だ。だから気を付けないとね。
複雑な思いに囚われそうなのをなんとかしたくて、俺は前方に意識を向けた。
早い速度で景色が前から後ろへと過ぎ去っていく。その様を見て、それに伴う風に触れて――そうしている内に、憮然とした気持ちがちょっとずつ晴れていった。
「……そうか」
「どうかしまして?」
「いや、何でも無いさ」
「な、なら良いのですが……」
なんか変なやり取りになってしまって、心の中でアクアレーナにごめんって謝った。
でも今の俺の心情をこの場で話すのはちょっと恥ずかしかったんだ。これは余りにも俺個人の事であり過ぎたから。
……俺はこの世界に転移してからずっと、目の前の事に対して
とにかく深く考えずに、目の前の事を一つずつこなしていく――そういうやり方をいつの間にか選んでしまうというのは、きっとニホンに居た時から俺がそんな風にして過ごしてきたからで、それ自体は慣れたやり方だから多分そんなに大した事じゃなくてさ。
でもそうやって我武者羅にやっている内に、いつの間にか俺はこうして馬を走らせる事を通じて、この世界の空気を肌で感じられるようにまでなっていたんだ。
さっき、一人の選手を抜いた。でもその事には優越感を得たりとかは無くて、もっと大きな、世界に意識を向けて走っている事の一つの結果という、そんな大局を見据えた視野が俺の中に出来ていた。
「――やっぱり、アクアレーナ」
「はい?」
変なタイミングで声を掛けたっていう自覚は有る、だってアクアレーナが驚いていたからね。俺はそれを見てちょっと悪いなと思いつつも、言いたい衝動を抑えられなかった。
「何事も真面目に取り組むって、悪くないよね。その中で成長を感じられたなら特にさ」
もしかしたら、痣の力の制御もそんな俺の心の成長が関係してるのかも……いや、きっとそうさ。
「……」
アクアレーナはきょとんとした顔で俺を見ていたけど、俺もそうなるのは仕方無いと思っていたけど、でも――
「はいっ!」
なんか最後には力強い笑みで、最高に心地良い返事をしてくれていた。
「良いね、テンションが上がるよ!」
「レン様のテンションの高さを見ていると、私も力が湧いて来ますわ!」
また一人、選手を追い抜く。今度はその事に微笑んだんだけど、でもやっぱりただ相手を抜けたからっていうのとは違ってた。
なんでかな。今は真剣なレースの最中なのに、キミと居るとなんか凄く楽しくなってくる気がして、それが嬉しいって思えるんだ!
リサベルさんのナビが聞こえてきた。
「ランティラ湖を越えたら次は正にレースの山場、ガウバ台地ですよー。ちなみにですがレース運営サイドとしては、この辺りで休息を取る事をお勧めしておりますー」
「レン様、ガウバ台地は起伏の差が有る土地です。アップダウンは馬にとっても負担が大きいのでお気を付け下さいませ」
「成程。どこまで走ってどこで休息を取るか。その見極めが重要になりそうだね」
重要な局面だ。でも今の俺は、それさえ楽しもうって思ってる!
――第十三話 完――
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