第十二話 アンダー・ザ・スカイ! 栄光はこの手で掴む(後)

 レースのスタート地点に並ぶ選手の中に、当然の如く俺とアクアレーナが居る。


 ゲトセクトさんの声が、彼の姿は見えないのにまるで空間そのものに響き渡る。

「えー、会場に居られる観客並びに選手の方々、聞こえておりますかな?」


 ああ、大丈夫だよ。……声が出ているのは観客席の後ろに有るでかいガラスみたいな板からか。その枠に当たる部分が水晶、すなわちトーキング・クリスタルで出来てるって分かるけど、後のガラス板は一体なんだ?


 そんな事を思っている内に、ガラス板に急にゲトセクトさんの姿が映った。

「私はこのレースを取り仕切らせて頂いている、ゲトセクトです。スタートの前に、少しだけレースの説明をしたいと思います」


 自分が映っている事の理由は言わずに確認事項の話かよ。周りは結構アンタの姿にざわついてるぞ。


「レン様、あれが新種の――?」

「そうらしいね。でも今は彼の話を良く聞いていて」

 俺はアクアレーナにそう注意を促した。


「レースはこの会場を出てから、ゼルトユニアの一地方を横断する形で進んでいきます。これについての地図は既に選手の皆さんは持たれていますよねぇ?」


 会場入りしてからすぐに渡されたよな。ちゃんと腰の荷物入れに入ってるぞ。


「かなりの長丁場になる事が予想されます。途中、食事などの休息をいつ取るのか、はたまた取らずにずっと走り続けるのかは、各自の判断に委ねております」


 レース開始は午前十時、ゴール地点への到着時間見込みは休息込みで凡そ五時間だったな。即ち、午後三時辺りまでは選手はずっと馬と共に在るという事だ。


 この時間の見込み方は良い線行ってると俺は思う。

 夕方になっては日も暗くなってくるし、ニホンと違ってネオンの光の無いゼルトユニアでは、白熱のレース展開を観客ギャラリーが視認し辛くなるから。


「長いレースともなれば、思わぬ状況に陥る選手も出ると予測されます。そこで異常事態発生にも速やかに対応出来るように、私めは監視員を用意しています」


 その言葉が終ると同時に、俺達の上空で動物の鳴き声がした。これはトーキング・クリスタルからの声の響き方じゃない、実際に生の声帯から発生している音の伝わり方だ。


 ……おお、あれは。


 空を見上げてみれば、鷲の頭をした四足のなんかガタイの良い生き物の背中に、昔馴染みの顔ぶれがのってるじゃないか。生き物の方は前に本で読んだグリフォンと分かったけど、それ以上に彼女らとの再会の方が心躍るよ。


「今回、皆さんの動向を見させて貰う事になった監視員のリーダー、リサベルと言います。どうぞよろしく!」

 胸は無いけど声は大きく張っているリサベルさんは、今日も威勢がとても良かった。


 そして彼女の後ろにもう二人、別のグリフォンに乗ったごろつきその一とその二が居てた。


「姉御が居るからにゃあ何が有っても安心だぞ選手達!」

「そうとも。力の限り走れ」

 相変わらずリサベルさんの取り巻きな姿勢を崩してないんだなあいつ達。


 と思ったら、リサベルさんが二人になんか怒り出した。

「おいこらぁ、大事な選手さん達にその言い方は何だ! もっと言葉を慎め!」

「あっ、すいやせん姉御!」

「すまない、不覚だ」


 ふぅん、ちゃんとビジネス面で立てるべき相手を立てる事は心得てたんだなリサベルさん。後ろの二人も彼女に比べたら全然甘いけど、一応本気で反省はしてるっぽいね。


 ――ん? リサベルさん達が乗ってるグリフォン達の首に付いてる水晶球、もしかしてあれもゲトセクトさんが映ってるガラスボードと同じ新種の通話端末だったりするのかな。


 なんとなしに、グリフォンが付けた水晶球に向けて手を振ってみる。


「あっ、お前――じゃなくて貴方は!」

 自分に向けて手を振ってると勘違いしたらしいリサベルさんが、俺に言葉を掛けてきた。


「……良い仕事を期待してますよ監視員さん達!」

 しょうがないからこっちも声を掛けておく。まったく、自意識過剰なまな板め。


「は、はーい、任せて下さいねー」

 飛びっきりの営業スマイルで俺に応えてくれたリサベルさん。うん、後ろのその一とその二の俺を見る視線が痛いからこの位にしておこう。


「……ちゃんと見ていますよ。――選手の皆さんのレースに意気込む様子がねぇ」

 ゲトセクトさんの張り詰めた声が聞こえたけど、最初の方は特に圧力というか念の籠もった感じが、俺目掛けてしていた気がした。


 ……成程。ひょっとしたらあの水晶球、ゲトセクトさんにこっちの映像を届ける為の物でもあるのかもね?


 ゲトセクトさんの声が張り詰めた。

「それでは! 間も無くレーススタートですよぉ!」


 いよいよか。なら――気合い入れて行くぞっ!


 ガラス板の画面が切り替わって、俺達選手が並んでいる映像が映った。

 リサベルさん達の水晶球、あのガラス板ともリンクしているのか。それなら長い道中も観客ギャラリーがしっかり観られるという訳だ。


 十秒からのカウントダウン。その十秒で決意を決める。

 絶対優勝、それっきゃ無いね!


 ゼロの合図と同時に、一斉に走り出す馬達。

 ちっ、三頭の馬に前に出られた。


 先頭は流浪の旅人アフマフ選手、二番目は俺に難癖を付けたバロウズ選手、三番目は――あのイルベール卿だ。


 俺は、四番目をキープする。四番目っていったら、表彰台にも登れない順位だ。

 ――有るのかな、ゼルトユニアに表彰台。まあ有るかどうかは、後で楽しみにしておこう。


 最後に一位になってね!


 ※


 会場を抜けたら平原だ。人の手が入ったのだろうと思われる草の無い道も通っていて、レースに於いては馬を走らせる上での経路ともなってくれている。


 やはりというか、皆当然のように道を通る。

 馬なら平原を突っ切って最短距離を走れば良いとはならない。このレースにはきちんとした順路が想定されていて、ここではこの道がそうなのだ。


 辺りが見晴らしの良い平原の中を馬に乗って走るのは心地良くも有るけど、ここは異界ゼルトユニア。

 この世界の大地にはなんというか、如何にもな感じで生命力に満ち溢れた生き物達が生息してる。


 例えば、俺達の上から案内ナビを飛ばしてくるリサベルさんが乗ってる、あのグリフォンみたいなヤツがさ。


「えー、この平原はこの地方でも比較的安全とされていますが、それでも人の手が入っていない場所では野生の魔物が居ますので、決して道から外れない事をお勧めしておりまーす」


 だろうね。そりゃあ俺達がしてるのは騎乗者同士の競走なのであって、あんな近付いたら何してくるか分からないような生き物達にまで追い掛けられるような事になったら堪らない。

 そんな事を考えていると、隣に並ぶように走っているアクアレーナが話し掛けてきた。


「レン様、リサベルさんも言っていましたが、魔物という存在についての認識は十分ですか?」

「本で少しは読んだって程度かな。普通の動物とは違うんだよね?」


「はい。簡単な分け方としては、この世界に漂う魔力をその身に宿した生き物が魔物で、そうでないのが動物です」

「魔力ってのは簡単に言えば不思議な力の事で、なんか扱いの難しいものだから、それを宿した魔物を刺激すると物凄く敵意を剥き出しにして襲ってくるんだろう?」

 なら刺激しなければ良い話な筈だけどね。


「そんな怖い顔をしないで下さいませ」

 自覚が有るけど俺はすぐ顔に出るタイプだ。大事なレース中には幾ら親しい相手からの声掛けであれ、出来る限り明瞭なやり取りがしたいと思っていた。それが顔に出ていたらしい。


「ごめん、レースで少し緊張してるみたいだ。気にしないで」

 アクアレーナが俺の様子に敏感で居るのは分かる。だから安心する言葉を投げ掛けたいけど、でもこの長丁場のレース中ではまた今みたいな顔をしてしまうかもしれないから――後々で嘘になってしまうような事を無責任に言いたくは無い。


「はい」

 彼女は俺に心配する目線を向けていたけど、やがてと頷いた。


「魔物の話、続けて欲しい」

「はっ、そうでしたわ! 実はこの世界には、人が魔力を用いてその魔物を操って他人を襲わせるという魔術が存在しているんです」


「それってマジ?」

 それは知らなかった。少なくとも俺が読んだ本には書いていなかったからね。


「……ゼルトユニアに於いては、今回のレースのような催しイベントにそうした怪しい魔術が陰で付き纏う事が多々あるのです。ですので、こちらから干渉していなくとも、魔物に対しては常に油断なさらないで居て下さいませ」

 それは有益な情報だ。彼女はそれが言いたかったんだね。


「ああ、気を引き締めておくよ」

 確かに俺はスタート前に他の選手から注目をされてたからな。特にこの右手の痣の事はさ。


 要注意選手みたいに思われて、なんかの妨害を受ける可能性も考えられるって事か。


「もしレン様を蹴落とそうとする相手が現れても、私が守って差し上げますわ」

 アクアレーナが一転、気丈な面持ちでそう告げた。


「……有難う。俺もキミを守るよ」

 少し間が出来たのは、返答に迷っていたからだ。でも、ここでは一番素直な気持ちを伝える事にした。


「――はいっ!」

 彼女の表情が一際輝いて、その目に力が籠もるのを感じた。


 頼りにさせて貰いつつ、その上で彼女に優勝させる。このレース、敵を気にするのと同じ、いやそれ以上に彼女の心理にも気を掛けなきゃいけない。


 言葉で言う程簡単じゃ無いけど、やってみせるさ。自分が大事にしたいと思える女にならね!


 まあ幸いここは見晴らしの良い平原地帯だ。もし他の選手が俺に変なちょっかいを掛けてくるにしても、空からリサベルさん達にバッチリ見張られてるこんな場所では、迂闊に手出しは出来ないだろう。


 何度か小規模の順位変更が起こりながら、俺とアクアレーナは七位と八位で平原地帯を抜けた。


「焦る必要はありませんわ。今追い抜いていった者達は、先に走る選手達のペースに惑わされているだけ……途中でスタミナを失う事になりますから」

アクアレーナの冷静な助言に、俺は頷く。


 次に来たのは湖畔沿いのカーブゾーン。


 その湖は、ランティラ湖というらしかった。


「ランティラ湖をコースに組み込むとは、ゲトセクトさんも人が悪いです」

 アクアレーナが俺にそう話し掛けてきた。


「ここって、なんか特別な場所なのか?」

「ランティラ湖にはセイレーンという魔物が棲み付いていて、道行く人間を魔力で誘惑しては水の中へと引きずり込むのです」


 おいおい、それめっちゃ怖いじゃないか。


「ちょっと!? だったら最悪、レース中に死人が出る事になるんじゃ……」

「有り得る事だと、そう思いますわ。このレースに参加するような方々は皆並々ならぬ気迫をお持ちです。セイレーンにとっては、そういう人間はかえって落とし甲斐を感じるのだとかなんとか」


 ふぅん……水辺の女ハンターって訳か。ホント、何処にだって狩りに情熱を燃やす女は居るんだね。


「なら気を付けていこう」

「あの、どうして笑って居られるのですか?」

「え、俺笑ってたかな?」

「はい。うっすら、とですけれど」


 ヤバい、こんな風にすぐに顔に気持ちが出てしまう癖はなんとかしないといけないな。

 ニホンの元彼女の事を少し懐かしんで、それからキミの事を思っていたのさ――とは、やっぱり言えない。


 ……ん、なんか前の様子が変だぞ?

「アクアレーナ、あれって平原で先頭を走ってた選手だよね」

「ええ。間違い無くあれは完全に


 騎乗している馬がその体の半分まで湖に入り込んでいる状態の、かつてのトップ選手アフマフの姿を見て俺達はそんな事を話していた。


 馬は身の危険を察知したか湖から出ようと暴れているけれど、乗ってる人間の方が何かに取り憑かれたように水の中へ水の中へと進ませようとしている。


 一番最初にランティラ湖に入ったから、一番最初にセイレーンに目を付けられたっていう訳か。これはレース途中の順位自体に拘っていては大局に飲まれてしまうという事を、もっとはっきりと意識しておいた方が良いのかもしれない。


 選手同士の争いというだけじゃなく、この大地に息づいている魔物という存在も含めて立ち回らなければいけないなら、テンションの高さとクレバーさ、その両方を高めていく必要が有る。


 上空からリサベルさんのナビゲーションが発動する。

「おーっと、なんと一位だったアフマフ選手が馬の扱いを誤ったか、湖に突っ込んでしまいました!――いや、違う。これはランティラ湖に棲むセイレーンの仕業だー!」


 ……やっぱり彼女の語り口調は聞き心地が良い。。

 ただ状況説明するだけじゃなくて、観客ギャラリーに対して煽りの効果も混ぜたメッセージをお届けしてるなリサベルさん。芸が細かいね、ホント。


「ゲトセクトさんの元でレースの運営に参加していたのなら、初めから選手が魔物に襲われる事態も想定していたでしょうに……」


 アクアレーナが溜息交じりにそう言ったけど、だからといってあの選手の為という感じでは無かったのは、俺からすればやっぱり頼れるってそう思う。変な同情を捨て去る為の溜息、であったのかもしれないけれど。


「偶発的にアクシデントが起きたと見せて、レース自体がより盛り上がるように仕向けてるんだ。そしてそれをリサベルさんのキャラクター性で上手く誤魔化している。商売が上手いって思うよ」


 でも、彼女は自分の家の行く末をその身に背負っているのだから、他者の営みに対してはその清濁両方を飲み干してみせる位の気概を持っていなければならない。でなければ自分を信じて付き従ってくれている屋敷の人達の信頼に応えるなんて決して出来ない。


「レン様はビジネスライクな視野も、しっかりと持っていらっしゃるのですね」

「ニホンじゃしがないサラリーマンをやってたっていうだけだけど、一応その経験は俺の中で生きてるって事さ」

 俺の言葉に、彼女は少しだけ艶の有る、大人の女な目で微笑んでいた。


「サラリーマン……ニホンに於いては会社という、まるで血で血を洗うかのような壮絶に過ぎる環境に身を置き、戦う戦士達なのであると存じて居りますわ」

 ――いやいやいやいや、艶っぽい目つきのままでそんな過大解釈な存じ方を話されても困るよ!


 でもあながち間違って無くも無いかもしれないって思って、物凄く微妙な気持ちになってしまう……。


「全然そんな大層なもんじゃないよ」

「そうなのですか?……そうだとしても、私がか弱い女で無くとも、レン様は私のこの心の有り様を受け止めて、平気で居て下さる視野の強さをお持ちです。それは戦士の視野に相違無いと思います」


 ……そっか。アクアレーナにとっては、俺が普通の男じゃない方がよっぽど嬉しい事なんだったな。

 それでも、ちょっとだけむず痒いけどさ……。


「いや、そこまでじゃないからねサラリーマンって。なあ、アンスリウムよ」

 なんか居た堪れなくなってしまった気持ちをほぐそうと、俺は愛馬の首をそっと撫でた。


「ブルルルル……」


 ん、なんか様子が変だぞ。なんていうか、さっきまでの一体感が何処かに消えたように感じられなくなってる。


 ……まさかとは思うけど。でもアンスリウムは馬の中でも変わってる存在らしいから、有り得るかもしれない。


 セイレーンの魅了、馬のお前の方が掛かってしまったっていうのか?


 ――第十二話 完――

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