scene68*「プレゼント」



私と同じ名前の花のピアスを、バカみたいに持ち続けてる。


それでもいいの。


だって私の気持ちは簡単に捨てられるものじゃないから。


このピアスは私の気持ち、そのまんまだ。




【68:プレゼント】





澄んだ空気のせいでイルミネーションがキレイな日は、しばらく忘れていたはずのあの人に会いたくなる。


12月に入ればどこのレストランもかきいれ時で大忙しってことは分かっていたつもりだった。

大通りに面したうちのレストランなんてとくにそうだ。

街を歩くカップルたちは仲良くくっついて誰しもが楽しそうに笑っている。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。メリークリスマス」


とびきりの笑顔を作りながら私は最後のお客様を見送る。

美味しい食事と素敵な雰囲気で満たされたカップルは、満足そうな笑顔で私にお礼を言って仲良くお店を後にした。

ほう、と出たため息は一日の疲れと、無事に終わった安堵が混ざったものだった。

外に出している看板と、メニューが書かれたボードを店内にしまいながら他のスタッフに「ボードしまいました!」と声をかけると、厨房やフロアからも「お疲れ―」とどっと疲れを含んだような声が聞こえた。

私のバイトしているイタリアンレストランのクリスマスは、どうやら今年も無事に終わったようだ。

ガラス扉の入口や店内窓のシェードを下げて、店内清掃に入る。

本当なら打ち上げと称して余ったケーキを食べたいところだけれど、さすがにみんなも疲れ果ててまっすぐ帰りたい空気がビンビン伝わってくる。


「ツバキちゃん、お疲れ!ケーキ余ったけど持って帰る?」

「えっ!ほんとですか?やったぁ!」


片づけながら何とも嬉しい提案をくれたのはオーナーだった。

イタリアンレストランと言っても個人店ではなく、少ないけれど全国に系列がある店舗だ。だからオーナーも本部からは雇われているってことになるけれど、きちんとイタリアンの修業をしているシェフであるから名ばかりオーナーではなかったりする。

本部に出向するときはメニューの提案と開発の方にも口を出せるみたいで、社長からも一目おかれているらしい。

オーナーは体格がよく、ワイルドな顎鬚がトレードマークで女性のお客さんにも人気だ。人当たりも大らかで、私だけでなくいつも他の若手社員やバイトに心配りをしているので信頼もあつく、私も尊敬している。


店内清掃と着替えが終わりフロアに顔を出すと、今日バイトに入っている若手分のケーキ箱がカウンターに並べられていた。みんなして思わず喜ぶと、オーナーをはじめ年かさのコックの人たちは「しょうがねぇなぁ。ケーキで大喜びって子供だなぁお前ら」と笑った。

今日のスペシャリテは苺とチョコレートのスクエアケーキだ。苺のほうはピスタチオを生地に練り込んだスポンジを土台にして中にフランボワーズムースが挟んであり、チョコレートのほうはブランデー漬けにしたオレンジピールを層にして敷き詰めているちょっとビターな味。どちらも上に金粉がかかっていていかにもクリスマスって感じのケーキだ。

試作の段階で食べさせてもらっていたからその美味しさを知る身としては待ちに待った嬉しいご褒美。


「それにしてもクリスマスにバイトってお前たち、デートの一つや二つはないのか?」

「それこそ、私たちがデートの予定でいっぱいだったらレストラン営業できないですよ~」

「そうですってば。コック兼フロアになっちゃいますよ!」

「おっと、それは困るな。お前らの予定がなくて良かったわ!」

「も~!!」


クリスマスにお決まりの他愛ない冗談でみんな笑いあう。

そうだ。それこそデートの予定があったら飲食業界はやっていけないだろう。

まぁ、他のバイトの子はその後に予定をいれているんだろうけれど、私の場合は本当にゼロだ。

……もしあったとしても、クリスマスに今日来たカップルたちみたいに過ごせるわけない。


「お疲れ様でーす!メリークリスマス!」


私はお客さんに向けた笑顔と同じ表情を作ってバイト先を後にした。

時間は夜の11時半を回る頃だった。今日は帰ってケーキ食べて、冬休みに片づけなきゃいけない課題を少しだけやろう。色々と考えながら駅に向かうとちょうど良いタイミングで電車に乗る事が出来た。クリスマスとなればこんな時間でも乗客は結構いて、私はあいていたドア付近のところへもたれるように立った。


去年は、まだ一人じゃなかったなと思う。


ううん。一人だ。いつだって一人だった。

だってあの人はカレシじゃなかったから。


もしかしたら、私が強く引き留めていたら今も傍にいてくれたのかもしれないけれど、私からその恋を手放したのだからしょうがないことだった。


ふとピアスに触れてみる。

あの人が私にくれたもの。


私の名前と同じ、カメリアのダイヤのピアス。悔しい事に、気に入ってしまっている。



(あーあ。ひとり身って寂しいな。誰か友達家に呼ぼうかな。)



去年の私は恋をしていた。それも妻帯者に。


今バイトしているレストランでチーフをしていた人だ。

チーフと言っても本社からたまに出向できていた人で、今はエリアマネージャーになり別の地域に配属されてしまったので会う事はない。おそらく、これからずっと。


大学に入って元々続けていたピザ屋さんのバイトとは別に、もう一つ始めたバイトがイタリアンレストランのホールスタッフだ。

大学で栄養学を専攻している身としては、オーガニック素材を中心に展開しているレストランなので、フロアでバイトするにも勉強になりそうでちょうどいいと思ったのだ。


そうしてそこで出会ったのがニイザキさんだった。


ニイザキさんは線の細い、優しそうな人だった。すごく丁寧で親切で、真面目な人。

笑うと目が細くなって、目尻に皺ができて、そういうところも好きだった。

もしかしたら男性なのに少し儚げなところも好きだったかもしれない。

真面目な人なのに、人って本当に分からないものだ。そもそも私だって不倫なんかするつもりなかった。


本当に、たまたま、だったのだ。


好きになった人がたまたま結婚してただけ。

それでも、たまたま好きになったその恋の為に、当時付き合っていた人と別れるくらいに私は真剣に好きだった。

気持ちはたまたまなんかじゃなかった。



家に帰って電気と暖房をつけて、ケーキを箱から出した。ケーキにはご丁寧にメリークリスマスと書かれたチョコレートのメッセージプレートがのせてあって、コックさんの粋な計らいにクスリと笑ってしまう。


テレビをつけるとニュース番組がやっていて、クリスマスにイルミネーションが綺麗な表参道を歩く人たちのインタビューが映された。

年輩の夫婦、学生カップル、OL女子の2人組……

クリスマスってこんなに笑顔で溢れてるんだなと客観的に思ってしまう自分は、何か別の世界を見るような感覚でテレビを見ていた。

今日一日忙しかったしきっと疲れてるんだ。

これを食べたらシャワーを浴びて早く寝てしまおう。課題は明日頑張ればいいや。

そう思ってピアスを外してテーブルに置くと、カチリと冷たい音がした。

ピアスは部屋の明かりを反射して星のようにきらめく。キュービックジルコニアじゃなく、本物のダイヤモンド。

多分初めてプレゼントされたダイヤモンドだと思う。

私の気持ちを丸ごと閉じ込めたようだと貰った時は浮かれて毎日眺めていた。



ニイザキさんを一度だけこの部屋に泊めたことがあった。

飲み会で潰れて帰れなくなったニイザキさんから連絡がきたのだ。その時は既にお互い好意を抱いて、けれど2人きりで会うなんて事はしたことがなかった。

だからこの部屋にあげた時が初めての2人きりだったし、体を重ねたのもその時が最初で最後だった。

結局その後は何もなく、一緒に食事をしてこっそり手を繋ぐだけしかしなかった。ただそれだけなのに私はいとも簡単に当時の恋人を一方的に振った。

ニイザキさんには奥さんがいると分かっていても、たとえその奥さんが精神を崩してニイザキさんを振り回しているとしても、ニイザキさんが奥さんと別れられないとしても、私はニイザキさんが好きだった。


それでも良いと思った。


結局、ニイザキさんの浮気を怪しんだ奥さんの自殺未遂が原因で呆気なく恋は終わった。

ニイザキさんが奥さんの勘違いだと言って最後まで私をかばってくれたけれど、チーフより帰宅時間の融通がきくエリアマネージャーに配属が決まり、私はニイザキさんに別れを告げた。

だってその時点でニイザキさんの心は私よりも奥さんの傍にあるんだって分かってたから。


そんな別れたはずのニイザキさんから連絡がきたのは4日ほど前だった。

連絡がきた理由も内容もよくある話。

“会いたい”ただそれだけだ。



「ばかにしないでよ……」


力なくつぶやく。



私は、ピアスを手のひらに収めると部屋の隅にあるゴミ箱に行き、小さなきらめきをそこへ落とした。

何だか酷く惨めだと思った。


そうか。恋を捨てるってこんな気分なんだ。


こんなにもくだらない気持ちに支配されるんだ。

なにがくだらないって、私の恋愛ごっこだったり、ニイザキさんの身勝手さだったり。


私への気持ちなんて奥さんの前じゃこれっぽっちも意味がないのに。

せっかく忘れてたのに。連絡もくれなかったのに。


私よりも奥さんの事が大好きで大事なくせに。


最後は奥さんの事を選ぶくせに。



(……なんだか疲れちゃった。)


笑うのも、可愛くするのも、連絡するのも、待つのも。


(……からっぽなんだ、私。久々だこんな感覚。そういえばそうだった。こんなだった。)


そのままずるりと下に座りこみ、壁に力なくもたれた。泣くつもりはないのに自然と涙が流れていた。



『 ツバキ、すまない。それでも……君の事は好きだ。 』


そんなこと言われたらずるい。

そんなこと言われたら、捨てる事だけはできなかった気持ちをまた少しずつ掬ってしまうに決まっている。



私は、ゴミ箱に落としたピアスを拾い直した。

ピアスは何の汚れも知らないように無垢な光を閉じ込めたままだった。


私はこの後どうするのだろう。

連絡はせずに過去の気持ちを隠し続けたまま別の恋愛を探すのだろうか。

それとも、いけないと分かっていても彼に会いに行ってしまうのだろうか。


失くした恋がコロリと転がってきたのに、どうしたいのか自分でも全然分からないままだった。




( 秘めたツバキの恋 )

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