俺の気持ち(乙幡視点) 前編
そもそもの始まりは、彼女――平島三曹の我儘から始まった付き合いだった。と言っても俺は彼女に恋してたわけじゃないし、もともと金本三佐や彼女の上官である河野三佐から監視を命じられていたせいでもある。
正直、なんで俺が……と思った。この基地に来た当初から三曹の悪い噂しか聞かなかったし、そんなやつが自衛官でいられることが不思議だったのだ。
そもそも俺は、訓練を受けているとはいえそういったものはあまり得意ではないし、上官命令なら仕方ないと諦め、三曹の『観察』および『監視』を始めたのが、三ヶ月前。
はっきり言って、鬱陶しい女だった。恋人でもないのに恋人面して、他の女性自衛官と話していただけでキレるし、文句を言ってくる。
そのたびに「買い物に付き合っただけで恋人面するな」と言うのだが、きょとんとして「彼女でしょ」と言う始末。どこかネジのぶっ飛んだ女だと思ったと同時に、上官二人を恨めしく思った。
表面ではにこやかに対応しつつ、そろそろ内心でイライラし始めたころ、彼女――紫音ちゃんに出会った。
初めて会った時は緊張して強張った顔をしていたが、慣れてくるにつれて笑顔が増えていった。仕事中は真剣にやっていたし、無意識なのか「落ちなーい!」と言いながらテーブルをごしごし擦っていて、落ちたら満足そうに微笑んでいた。
そんな紫音ちゃんの様子を、糧食班の人間をはじめ、手伝いに来ていた他の連中も微笑ましそうに見ていた。特に同期で親友の岡崎は、まるで身内を見るかのような目で見ていたのが印象的だ。
実際、岡崎は中学生のころに離婚していて、その時はまだ幼稚園児だった妹と離れ離れになって未だに会えないと聞いていたから、妹を思い出しているんだろう。
「ねえ、和樹ったら!」
「平島三曹、いい加減にしてくれないか? 誰が名前で呼んでいいって言ったんだ? 勤務中だぞ? しかも俺たちが付き合ってるなんていう嘘を言うのは止めてくれよって、何回言えばわかるんだ?」
「え……? だって、私たち」
「三曹の我儘で買い物に一回付き合っただけだろうが。それで付き合ってるって言われる俺も迷惑なんだが」
「……っ」
何度もそう言ってるのに、聞こえないふりをしたりして困っていたところに「情報が集まった」と任務を解除され、ホッとしていた矢先に紫音ちゃんがバイトに来はじめたのだ。
俺の仕事というか自衛官に理解があるようで、仕事のことにしても根掘り葉掘り聞いてこない。聞いても俺が答えられる範囲以上のことは質問してこなかったのが不思議だったし、自分の仕事のことにしても、わからなければどんどん質問してくる。
それらの様子を班長である金本三佐や他の糧食班の人間たちが気に入ったようで、あれこれ気にかけていたのが印象的だった……派遣やパートさんが来ていた時にはそんなことを一切しなかったというのにだ。
「間に合わないよ~」と言いつつも、しっかり丁寧に仕事をしている姿は確かに好感が持てたし、キラキラした目でチヌークを見ていた紫音ちゃんをいつの間にか気に入って、好きになっていた。
だが、さすがにいきなりデートに誘うのもなあ……と考え、だったら少しずつ仲良くなってから口説けばいいかと話をしはじめた矢先に、紫音ちゃんがトラブルに遭いはじめた。
なんだ? と思っていたら金本三佐と河野三佐から平島三曹が休みの時、糧食にいた全員に彼女の『監視』を命じられた。
正直、またかよ……とうんざり。
紫音ちゃんが来る前に来ていたパートさんも、平島三曹からのいじめというか同じような目にあっていたらしく、紫音ちゃんも被害にあったからということで監視することになったそうだ。つか、どこの基地や駐屯地に行っても問題を起こしていると、三佐たちから聞いたんだが……。
そんなヤツがどうして今まで自衛官でいられるのか不思議でしょうがないが、河野三佐の話しぶりからして、紫音ちゃんに何かあったら処分が決定らしい。そんな話をした矢先、三曹はやらかした。
ゴミの件ではばら撒いているところを金本三佐と大山三曹に見つかり、厳重注意。
交代しろと三佐に言われて返事したにもかかわらず、連続五回も交代しないで厳重注意。
この時点で上に報告がなされていたようだった。
そして今日。
お昼の食器洗いで、わざと紫音ちゃんに向かっておたまを投げた。それをたまたま見ていたのが俺と岡崎、三佐だったものだから即呼び出し。
一時間ほど説教をくらったようだが、三曹は反省するどころか顔を強張らせてブツブツと何か呟いていた。つか、反省しろよ、お前が悪いんだろうと言ってやりたい。
それから夜。おたまなどの食器洗いを頼まれた三曹が、洗い場のほうに向かう。それは問題ないが、「まな板の上にあった包丁が一本足りない」と木村一尉が言い出した。
俺を含めた何人かで探したが、それでもない。まさか……と思って一尉と顔を見合わせ、慌てて洗い場のほうへ行くと、三曹が汚れがひどい食器をつけ、水が濁って汚れているシンクに包丁を入れ、ニヤニヤ笑っているのを目撃してしまった。
それを注意して包丁を引き上げさせようとした矢先に紫音ちゃんが来てしまい、声をかけたが手を突っ込んだあとだった。
「え……いた……っ!」
「紫音ちゃん!」
見る間に水が血で染まっていく。すぐに指示を出して手袋を脱がせ、指を洗ってもらう。
「岡崎司令と河野三佐にも連絡を頼む」
三佐のその言葉に驚いたし、三曹も終わりかと冷めたことしか思えなかった。そして俺がシンクに手を入れて包丁を慎重に探して抜き、それを木村一尉に渡している間、岡崎は外しずらそうにしていた紫音ちゃんのエプロンを外し、垂れて来ていた血を拭いてあげていた。
正直、そのことにイラついた。どうしてお前がやるんだ、と。
そして三曹は三佐の言葉に徐々に顔を青ざめさせていた。今頃気づくなんて遅い、遅すぎる。
「乙幡一尉、紫音さんを医務室に連れてってあげて。他は業務続行。いいね?」
三佐の言葉にそれぞれ返事をし、三曹は三佐に引き摺られるようにしながらその場を離れる。そして紫音ちゃんのことを田中三曹に頼むと、岡崎が話しかけてきた。
「何があった」
不機嫌そうな声でそう聞いてきた岡崎に、珍しいと思いつつ先ほどの出来事を話してやると、眉間に皺を寄せて鬼の形相になった。
「岡崎、顔、顔」
「すまん。妹と同じ年齢だから、つい重ねちまうんだよ」
その言葉を聞いて、連絡は取れていても未だに本人に会えないと言っていたことを思い出す。
そして荷物を持った紫音ちゃんが部屋から出てきたので、彼女を医務室に連れて行く。もちろん、荷物は持ってあげた。
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