レインキス

@72nanase

第一話 始まりの雨

 あの頃の俺は、まだまだ青くて、人生の機微なんてものを楽しむ余裕もなく、ただ忙しく毎日を過ごすだけで精一杯だった。

 表向き社交家で、誰とでも笑い合えるように振る舞ってる俺だけど、本当は毎日が辛くて苦しくて、どうしようもないくらい孤独だった。

 アイツと会ったのは、そんな時期だった。


 会社の独身寮役員が集まるレクリエーション。会場である市の体育館にやって来たものの、内心かなりめんどくさい。立場があるとは言え、ニコニコ笑顔で参加を快諾した自分が恨めしい。何しろ今日は朝から鬱陶しい雨が降り続いてやがる。


 ーー鬱陶しい事この上ねぇな。


 じめじめとまとわりつく湿気に、降り続く雨。おまけにこの暑さ。地元は良かったとつくづく思うね。


 ーー選んだのは俺だけどさ。


 そう。この気持ち悪さを差し引いても、こっちへ出て来た甲斐はいくらでもある。田舎で腐ってく事を思えば、鬱陶しい湿気も面倒な付き合いも、まあ仕方ないかと思えなくもない。否!絶対こっちのがマシだ。


 ーーあんな田舎くさい田舎、出て正解だよ。


 都会はいい。ちょっと歩けばコンビニがある。飯屋もある。何より、雪が降らん!!


 分かるだろうか。冬場、雪で外に出られない辛さが。分かるまい!吹雪がどういうものかさえ、ここの人間には理解出来ないだろう。マイナス20℃の世界は想像以上に凄まじい。樹氷もダイヤモンドダストも、綺麗であはある。が、生活面では苦労しかない!本格的な吹雪に見舞われた日にゃあ、現地住民でさえ進むのは容易じゃあない。それっくらい厳しい世界なのだ。雪の降る田舎というやつは!!


 話が逸れたが、まあ、とにかく田舎から出てきたからには、面倒な付き合いも仕方ないと割りきれる。それくらいには、ここでの生活に価値を持てている。

 俺、笹宮 一(ささみや はじめ)。23歳、独身。彼女はいない。理由は......聞くな。


 ーーはぁ、憂鬱だぜ。


 仕事がなかなか片付かなかったせいで、もう集合時間を10分ほど過ぎている。まあ、連中の事だからこのくらいは許容範囲だろうけど。

 とりあえずまあ、申し訳なさそうな顔を作ってから会場に入ろうとしたんだが......。


 ーーん?


 ふと、一人の女が目に入った。体育館横に植えられた木の傍らで、濡れる事も構わない様子で空を見上げている。

 長いポニーテールの黒髪。けして細くない身体なのに、Tシャツの袖から伸びた白い腕のせいなのか、触れたら消えてしまいそうな儚さを感じる。


 ーーあれ?


 よく見ると、どっかで見た事があるような......。

 

 (あーーーーっ!!)


 思い出した途端、笑いが込み上げてきた。


 ーーマジかよ?えー、ここで会っちゃうか。偶然にしても面白いわー。


 向こうは俺の事知らないだろうけど。つか、この子が有名過ぎるんだよ。


 「あの、技術開発部の樹本(きもと)さんですよね?」


 驚いてる。まあ、そうだよな。知らないやつにいきなり名前呼ばれたら、普通驚くよな。


 「は?そ、そうですけど……」


 あなたは?と問いかけるような怪訝な顔だ。うん。気持ちは分からんでもないが、すまん。ウケる。


 「失礼。毎朝凄い勢いで走っていくのを見てたもので」


 おかしさをこらえながら、部署は違うけど、ごく近い職場である事を伝えた。


 「嫌だなぁ。あんなとこ見られてたなんて!恥ずかしい......」


 顔を赤くらめ、しきりに恥ずかしがるその姿は、妙に可愛く見える。"いつもの彼女"とは別人みたい。ウケる。


 「あはは。まあ、渋滞してる車から見たら、貴方の自転車の方がよっぽど速いですから」


 彼女の自転車の速さは、俺たち"本社勤め"の人間には有名である。特に寮生の間では面白おかしく語られている。まあ、それで俺にも名前が伝わってきていたというわけだ。その事を伝えると、ますます顔が赤くなった。

 真っ赤なこの子を見てるのは面白いけど、あんまりからかうのも可哀想だな。そう思った俺は笑いを抑え、変わりに微笑みを浮かべた。


 「紹介が遅くなりました。私は笹宮 一。確か貴方とは同郷ですよ。よろしく」


 すると彼女は、さっきまでの恥じらいが嘘のように豪快に笑い出した。


 「なぁんだ。あんたもあそこの出身なわけ?かしこまった言葉使いしてるから何処の人かと思ったけど」


 ーーはぁ!?待て。なんだこの落差!


 バンバン肩を叩きながら大笑いする様は、まるっきりさっきまでとは別人のよう。儚げだった印象はどこへやら、だ。


 「悪かったな。こっちじゃああやってんのが普通なんだよ」


 思わずムッとしながら、つられて口調を崩した俺に、彼女はくっくっと笑いをこらえながら言った。


 「ごめんごめん。笑い過ぎたわ」


 目の前に、スッと手が差し出される。


 「でも、これでおあいこだね」


 あらためてよろしく。と、差し出された手は、思いの外小さかった。


 「あたしね、雨の日に出会った人とは長い付き合いになんの。だからきっと、あんたともそうね」


 そう言って、ニッコリ笑った。邪気のない、清らかな笑みに、毒気を抜かれた。


 ーー変なヤツ。


 奇人変人。それがコイツの第一印象。

 そう。始まりは雨。俺とアイツの運命は、雨に彩られていく。

 その先に何が待っているのか。この時の俺はまだ、知る由もなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る