OUTLINE&REVIEW 十一階のロビンソン
十一階のロビンソン 小説JUNE1988年12月号
フランス料理のレストランに勤めている尚は、海辺の倉庫に住む男から出前を頼まれる。倉庫に住むミイラ男もとい怪我人の八木に、尚は食事の世話をする。八木は沈没船の調査をしている男だった。
尚は妹のなずなといっしょに住んでいる。なずなは吉原にある泡の国に弁当をぶらさげて通う、人の心を読むへんな女の子だ。「泡のお風呂のなかでだけ天使になれる気がする」となずなは言う。尚は医大をやめて本格的にレストランで働きだす。
なずなは泡の国で知り合った男と南の島で暮らすことを夢見ている。尚がついていきたいというと、「お兄ちゃんにはロビンソンがいるじゃない」という。
挿し絵はハルノ宵子さん。本当にうまくあらすじが書けないなあ……。文章のキラキラした印象がなくなってしまう。
なずなちゃんが可愛いですね。あと、海賊船がやってくるくだりが好きです。
ふしぎな雰囲気のある作品。一番ボーイズ・ラブに近いような……嶋田さんの作品がもつ世界や自分への肯定感や幸福感の片鱗が窺える作品でもある。
ふしぎな要素は、妹のなずなの言動や、沈船調査をしている康平の日本人離れした雰囲気にある。だだっ広い、床が藍色の建物も空の藍色とあいまってキラキラした雰囲気をかもし出している。
母親の死が唐突に置かれているところもふしぎだ。「子供は楽しいよ、なずな」とつぶやく尚は、淡々となずなから母親の死を聞かされる。医者になりたかった父親のかわりに尚は医大に入ったが、解剖の途中で気分が悪くなって学校を飛び出す。このくだりを見ても、父親は微妙に否定的な存在として描かれている。
三十四と大人の康平は、尚に「身体のすみずみまで完璧な子供」と称されている。強引で照れ屋な康平を、尚は子どもと認識している。嶋田さんの作品にたびたび出てくる、子どもにたいする肯定感と親にたいする否定感が、ここからも窺える。
文章のなかに出てくる小道具も、ふしぎな雰囲気を助長している。こわれた自転車、死体が入りそうなアルミのトランク、ギザギザのふちのついた丸い銅板、光る石。それらが光の成分の多い文章とないまぜになってこの作品の空気をつくりだしている。
「淋しいよね、歩いてるときも、ごはん食べてるときも。泡のお風呂のなかでだけ天使になれる気がする」とつぶやくなずなも魅力的に描かれている。世界のどこにもいそうにない、浮世離れした雰囲気の少女だ。
尚は康平のこともなずなのことも大好きで、その多幸感がテレパシーのように伝わってくる。嶋田さんの作品では、人を好きになったときの多幸感がたまらなく魅力的に描かれている。
以下は好きな文章ピックアップ。
ぼくはそうだ。自分のいくところを考えている。ここでないどこか。早くいきたいと願ってる。だけどそんな場所はないのかもしれないし、辿りつくまえに死んじまうのだきっと。
だけど次の場所は憧れだ。その地面を踏むまでにたくさんたくさん殻を抜けて、ほんとうのぼくになりたい。
「いつかナオにも船がくる。誰ものせない海賊船が。そうしたらどこへでも、いける」
いつかぼくにも船がくる。早く、くるといい。すべて埋め立てちまわないうちに。羽田まで歩いていけるようになる前に。ぼくは宇宙のほんの瞬きだけど、胸のいちばん深いところは無限だから、ぼくはぼくでいい。
ぼくはいつだってこうやって生きてきたんだから、続けていくしかない。頼りない、みみっちい人生だって止まれない。どうかただぼくでありますように。そして突然消えてもかまわない。
今ここに、こうやって康平といることがぼくのすべてだ。
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