第73話 愚かなる血の石を探せ!④

 な~るほど。

 別に驚きもしなかった。美紫メイズのセリフの後に、一陣の風が吹き抜けることもなく、空気はまるで寒天ゼリーのように色も匂いもなくて、周囲にただあるだけだった。

 暑くも寒くもない。ただ言葉のままに受け取った。そっか、夫婦だったのか。


【蛇の目】の男と美しい紫は夫婦っと。ここメモするところだ。試験に出そう。


 というよりも、ここはもぐりの医者のもぐりの病院で、紹興酒の飲み過ぎ状態で、サングラスもしないで太陽を見つめて突然、襲ってきた疲労感でぶっ倒れて入院してベッドで寝ているだけだ。意識がはっきりすれば大半は霧散する突飛な記憶の断片の連続なんだ。水面に映る木々のように、実際に新緑がそこにあるわけでもない。


 俺は美紫メイズの指摘どおり、ただの神経症なのかも知れなかった。




――――――――――――――――――――――――――――――



「気の弱い男でね。人が良くて優しいことくらいしか、何も取り柄のない男だった。知ってるかい? 日本で初めてピアノが作られたのはここなんだよ。今じゃ、飲食店が立ち並ぶイメージだが大昔の華僑は “西洋技術の伝達者” だった。男はピアノの調律師をしていた。稼ぎが少なくてね。若い私はやりくりに苦労したものさ」


 ああ。ここは病院だったな。どうせなら美人ナースの夢でも見られればいいのに。


「……混沌の時代だった。華人が真っ二つに割れたよ。海外に飛び出した身でも死ぬときは祖国で死にたい。死体だけでも生まれた土地に埋めて欲しい。そう願う者同士が、真っ二つに割れた。絶望しかなかった。そして【蛇の目】の男が生まれた……」


 

【蛇の目】についてはいいや……早送り早送り。キュルキュルキュル。



「キュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュルキュル、……っと窟の成り立ちなんてものはそんなもんだよ。どうだい? 拍子抜けしただろ? 都市伝説みたいな囁きや怯えなんか只の妄想さね」



「まーその、一応確認なんだけど……(最終的にはどうなるんだっけ?)……ボスの座を今のボスに譲って【蛇の目】を持つ男は?」

 


「ん? 話を聞いてなかったのかい? 残りの片目も潰して、どこかへと消えたよ」

(ですよね~~~^^)



「まあ、昔話を続けても意味はないさ。大事なのは【蛇の目】を持つ男が次の世代、どんな人物に未来を託したか? そこが重要なところさ。そいつは一丁前に、血の石(ブラッド・ストーン)なんて呼ばれている。30年間、一切姿を見せず、指令だけをスネークアイに供給する。組織が肥大化しても縄張りを大きくせず、権力とのパイプを握り、だけどそれを利用しようとはしない。静かに静かに、上質な化粧水のように社会に溶け込んでいく。そして決して話し合いのテーブルに着こうとはしない」


「そりゃブラッド(血)って言うぐらいだから、流血を厭わない冷酷無比で頭脳明晰の化け物みたいな男じゃないの?」




「…………ちがうね。ただの凡人だよ。恐ろしいまでのお人好しさ」




――――――――――――――――――――――――――――――

  


 意識がはっきりとしてきた。

 普遍的無意識の泥沼に浸っていたような疲労感が残っている。

 夢と同じで、覚えているような覚えてないような曖昧な有様。



「やっと目覚めたか? 少年」

 もぐり医者がベッドの傍らにいた。


「さっきまでマリアって子が見舞いに来ていたが、仕事があるって行ってしまった。おまえも隅に置けんな」


「ブラッド・ストーン……凡人。愚かなる血の石。つ・つつ。頭が痛い。そう言えばここってもぐりでも病院だよな。には不自由ふじゆうしない。もしかしたら、……案外……あんたみたいな人なのかもな……」


「ほ? 私がどうかしたか?」


「いんにゃ。なんでもない」





 

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