2021.02 TEXT 『蜜の厨房』さんのこと2 オセロ
■2021.02 『蜜の厨房』さんのこと2 オセロ
今はオセロを「リバーシ」というのでしょうか。こんにちは、白です。
自分が何回この連載を続けるつもりなのか恐ろしいのですが、サイト『蜜の厨房』さんのやおい論紹介です。
前回のおさらいですが、現在はやおいのなかに「エセやおい」が増えてきた。「エセやおい」とは、やおいの「男同士」の葛藤を「愛さえあればすべてが許される」と読み替えていく物語のことで、「女役の少年(青年)」に普通の女性を代入すれば即少女漫画・レディコミになるようなやおい作品のことでした。
蜜さんはそこに「愛」という名の巨大な目隠しがあるように思われると述べています。「愛という言葉に対する共同幻想と云ってしまってもいい」と。
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「愛」さえあればすべてが許される。「性――SEX」は愛の究極の表現である。
少女たちは「愛」を盲信し、崇拝し、絶対のものとして信奉してしまっているのです。
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その理由として蜜さんは「愛情を知らない」ということを挙げるのですが、少女たちの信奉が故意に目隠しされたものではないかと蜜さんは言います。
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どんなに強く結ばれても、ひとは決して「ふたりでひとり」にはなれないということ。
どれほど愛しあっても死ぬときはひとりだということ。
少女たちの無自覚さ、それは私には故意の無自覚に写るのです。
少女たちには分かっているのです。
先に挙げた異様な例(愛しているから男同士でもセックス、強姦してしまう)、それらすべて「男と女」「彼氏と自分」にあてはめてみたとき、絶対に自分たちには許すことができないということを。
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少女たちはなぜ「愛と性」にこだわりつづけるのか。
蜜さんは、「少女たちには、他になにもないからです」という答えを出します。
少女には「愛」という武器しかないのです。
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男女平等などありえない。
母性愛など存在しない。
子どもは守ってもらえない。
不条理に虐げられる者がいる。
努力をしても報われない者もいる。
どんな人間関係でも、そこにはかならず「支配」と「搾取」がある。
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少女は過酷な現実も、「男と女」であれば決してやおいの論理を受け入れられないこともわかっています。
が、少女はやおいの「愛」で過酷な現実をひっくり返すのです。黒を白にするオセロのように。
これは私見ですが、やおい少女は「支配」と「搾取」という「暴力」の関係を、「愛」によってひっくり返すのです。
現実世界では「愛」は「暴力」に勝てないからです。
だから少女はやおいという共同幻想の磁場を作り出し、ファンタジーの世界で「愛」を「暴力」の上位に置きます。
これが蜜さんのいう「故意の目隠し」の正体ではないかと、私は思います。
蜜さんはこの「故意の目隠し」を取り除いて真実を見ることを望んでいます。
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わたしにとってやおいとは、異端者のための物語です。
異端者は異端であるがゆえに幸せになれることは決してありません。
満たされることも、安住の地を手に入れることも決してありません。
なぜならそれが異端者が異端であるゆえんだからです。
安易なハッピーエンドを求め、それにすがる限り、彼女たちはやおいに逃げているといわれてもしかたがありません。
ありえない幸福よりも、わたしはありうる不幸の物語を読みたいと思いますけど、あなたは、どちらを読みたいと思いますか?
すべての少女たちが、異端であることを――孤独を、恐れないでくれればいいのに、と切に思います。
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途中で私見を入れたため、この雑文は本来の蜜さんの文脈とはすこし異なるのですが、今回はここまでとします。
お付き合いいただいて、ありがとうございます。
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