2021.02 TEXT 『蜜の厨房』さんのこと1 「エセやおい」について

■2021.02 『蜜の厨房』さんのこと1 「エセやおい」について


 『蜜の厨房』は小泉蜜さん主宰のやおい論のサイトです。サブカルチャー・心理学・フェミニズム・文明論と多岐にわたる知識を駆使した、やおい論の走りであり中核でもあったサイトだと思います。


 『蜜の厨房』は、1998年から2012年ごろまで更新されていました。2021年現在、サイトは閉鎖しています。

 『蜜の厨房』の本論は1998年から2001年に構成され、作品論や対談、やおい論の紹介なども2000年前後の初期に書かれたものです。その後『厨房の蜜』という日記が2012年ごろまで更新されていましたが、それ以降は更新が途絶えたものと思われます。いつサイトがウェブ上からなくなったのか私もわからないのですが、2018年にはすでになくなっていました。


 『蜜の厨房』が蜜さんのご意志で消されたのであれば、私はこの雑文をウェブ上に発表していいものか、ためらう部分があります。

 が、私は1999年から2010年に「INTERPLAY」というやおい論のサイトを運営していたことがあり、当時から蜜さんには多大な影響を受けておりました。

 自分の論の中核に蜜さんのやおい論があり、自分は蜜さんの周辺を巡っているだけだったということにふがいない思いを感じていました。

 蜜さんのやおい論が後世に残らないのはあまりにも惜しいので、不完全な形ではありますが、『蜜の厨房』がどんなサイトであったか記録していきたいと思います。

 いつか蜜さんがご自身で『蜜の厨房』を再開して、やおい論のつづきを書いてくださることを期待しております。


 やおいとは、「やまなし、おちなし、いみなし」を語源とした、男性同士の恋愛を描いた一次・二次創作物のことを指します。ボーイズラブ(BL)より以前にあった用語で、二次創作も含まれる言葉です。

 よって、やおい論とはBLよりも先にあった事象を扱ったものだということを前提にしております。2000年前後には「腐女子」という言葉もなかったので、主に蜜さんは腐女子のことを「ヤオラー」「やおい少女」と呼んでいます。


□「エセやおい」について


 『蜜の厨房』の本論の冒頭、「蜜の食卓:序 やおいよ原始に還れ」に、蜜さんがサイトを立ち上げる経緯を語ったくだりがあります。

 長くなりますが、以下はその引用です。


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ただ、わたしがその昔、まだ少女と呼ばれていたころ、とっぷりと身を浸らせていたやおいとは大きく様変りしてしまった、と云いたいのです。

私が愛していたやおいは、決して「愛」など・・・まるでなにかの新興宗教のように唱えたりはしていませんでした。

描写の過激さは今と変わらずですが、その過激な描写を産み出すに至った、なにかとてつもなく逼迫したもの、追い詰められ、閉じ込められて歪みすさんだもの、それを自分の肌で感じることが好きで好きでたまらなかったのです。

───それを感じているときだけ、自分が生きていることを実感できたほどに。

私はお約束など欲しくなかったのです。もはや形骸化し、ありきたりのモチーフにすぎなくなった愛など、私にとってはなんの意味も成さなかったのです。


しかし、最近目にするやおい作品に、それを感じられることは、ほんとうに稀になってしまいました。

「女役の少年(あるいは青年)」のところに普通の女性を代入すればたちどころにただの少女まんが、レディスコミックになってしまうような作品に、いったい何を見い出せるというのか。

そういう作品を見かけるたびに、私は心底思うのです。 この人はなにゆえ「男と男」という設定を選んだのか。少年を少女にとりかえれば、少しえっちなだけのシンデレラストーリーではないか。青年を女性にとりかえれば、毎日TVで放送されている昼のドラマと同じではないか。

こんなノーテンキなラブラブ、甘々、ハッピーエンドなんてあるわけがない。あまりにもリアリティに欠けている。

しょせん作り話なんだからそれでいい、などというものではない、だからこそ、それは「逃げ」だと思うのです。


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 この文章が書かれたのは1998年です。その後、「男同士という、一見普通ではないカップリングのなかに、結局普通の恋愛の世界を構築してしまった「エセやおい」なるものが世のやおい作品の九割がたを占めるようになってしまいました。」と論は続きます。


 蜜さんが言うところの「エセやおい」は、BLとほぼ重なるのではないでしょうか。

 BLとは、この世にはありえない「ファンタジー」をベースにした「男性同士の恋愛の物語」という共同幻想です。


 蜜さんの発言は、やおいに「耽美→JUNE→BL」という流れがあったことを踏まえないと意味がわからないと思います。


耽美:

やおいの勃興期の作品群。ギムナジウムや家元物など、閉鎖された特殊な空間で生々しい恋愛が描かれた。

恋愛を突き詰めて破綻する展開が多く、死や心中など、暗くて重い結末が多かった。


JUNE:

舞台が日常化するにつれて、恋愛に明るいファンタジーの要素が入り始める。耽美とBLを繋ぐ過渡期。


BL:

恋愛をファンタジー化することで、明るくハッピーな物語が展開できるようになる。現在の主流。


 蜜さんや私が求めていた「やおい」は、「耽美→JUNE」の作品です。

 ちなみに、JUNEのころからBLの兆しがあり、明るくハッピーな作品を求める人々も存在しました。「エセやおい」を「エセ」と感じない人も当時から存在していたのです。

 「エセやおい」で満足できる人々は、満足できない人々が有している根深い病理を持っていない、あるいは自覚していないのだと、私は思います。


 蜜さんのほかにもこの「エセやおい」を嫌っている方がいらっしゃいました。中島梓/栗本薫氏です。

 中島氏はご自分のやおいを「栗本薫のヤオイ」としてBLから切り離し、小説道場では「自分の門弟にはこの道(BL方面)には行ってほしくない」と言っていらっしゃいました。

 

 恋愛を突き詰めて破綻する「耽美」から恋愛をファンタジー化する「BL」になることで、BLは明るくハッピーで甘々なストーリーが展開できるようになりました。

 が、耽美やある種のJUNEを知っている人々にとって、BLは「嘘の上に構築した、ご都合主義のストーリー」なのです。

 耽美のころにあった「その過激な描写を産み出すに至った、なにかとてつもなく逼迫したもの、追い詰められ、閉じ込められて歪みすさんだもの」に癒やされてきた人々は、BLでは自分を完全に癒やすことができないのです。


 耽美のころのやおいが「劇薬」であれば、BLは「サプリ」であろうと思います。

 最初から「サプリ」しか知らない人々は「こんなものだろう」と思われるかもしれませんが、「劇薬」を知っている身としては、BLでは癒やされない餓えがあることに苦しみ続けるのです。


 蜜さんが1998年に書かれた「エセやおい」が現在のBLの主流となっています。

 私には、蜜さんが『蜜の厨房』を閉鎖して去っていかれたのはそのせいではないかと思う部分もあるのです。

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