2001.10 TEXT やおいはヤマイか

■2001.10 やおいはヤマイか


 小説JUNE2001年11月号『病(ヤマイ)特集』のなかで『ヤ・マ・イ特集大アンケート』という、JUNEの作家さんに聞いたアンケートがあります。

 アンケートの質問はふたつあるのですが、そのうちのひとつがこれです。


 ジュネって「病気」(いい意味で(ハート))だと思いますか?(P101)


 私はアンケートの答えを読みながら「なんか重い質問を軽く聞かれている気がする」と思っていたのです。


 これがほかのボーイズラブ誌の質問であれば、私はそのまま聞き流していたと思います。自覚的に「いい意味で病気」を商用に使っている雑誌であれば、私はこれを萌える自分への距離感を聞いた質問だろうと思って聞き流していました。

 が、JUNEはボーイズ誌のなかでも老舗であり、やおい少女の心理に一番真摯につきあってきた雑誌であるはずです。

 なので質問の「病気」と「いい意味で(ハート)」という部分に「どういう意図でこれを聞いているんだろう」という疑問が生じたのです。


 この質問は、このように聞けば非常に重い質問になるはずです。


 ジュネって「病気」だと思いますか?


 とりあえず簡単にこの答えを抽出すると、


1 ジュネは「病気」であり、それを治さなければならない

2 ジュネは「病気」であるが、それを治す必要はない

3 ジュネは「病気」ではないが、それを治さなければならない

4 ジュネは「病気」ではなく、それを治す必要はない


 となります。が、本来の質問の文脈は、


 ジュネっていい意味で「病気」だと思いますか?


 この質問は意識的・無意識的に1の「ジュネは「病気」であり、それを治さなければならない」という答えを除外しているように見えます。

 「ジュネは「病気」であり、それを治さなければならない」と「作家」が答えるということは、作家が自分の創作を否定しているということであり、ひいてはJUNEという存在そのものを否定する行為にもなります。

 本来JUNE編集部が「ジュネって「病気」だと思いますか?」と問うことは、自身の存在意義を問う行為だと思います。

 この質問には、質問の重さを「いい意味で」と留保をつけることで軽くしているような、逃げの姿勢のようなものを感じるのです。


2 ジュネは「病気」であるが、それを治す必要はない


 私が一番疑問に思うのはこの2番です。なのでこれを中心に考えていこうと思います。

 治す必要のない「病気」というのは、自分が意識的・無意識的にこの社会で生きていくために「病気」を必要としているということだと思います。が、その病気がなぜ必要なのか、外的・内的な要因は何か、ということを考えていなければ、そのような考えは危険だと思います。

 理由として以下のふたつが挙げられます。


 ・「病気」だと自覚することで思考停止できる。


 「どうして私はジュネが好きなんだろう」と考えつづけること、「どうして人に不快感を与える「病気」を自分は選ぶんだろう」と葛藤しつづけることは非常に辛いことであるように思います。

 やおいの創作物は沢山あるのに、どうしてやおい論はこんなに数が少ないんでしょうか。やおい論のサイトで私が把握しているのは十くらいだと思います(2001年10月現在)。

 やおい論は総数が少ないような気がします。「どうして私はやおい(ジュネ)が好きなんだろう」と考える方はおおぜいいらっしゃるにも関わらず。


・「病気」だと自覚することで、「病気」である自分を守ることができる。


 「病気だということを自覚しているから、やおいを好きな私を非難しないでね」という責任逃れのような部分がある。

 これはやおいが「劣位の文学」であるとみずから認める意識とも共通しているのですが、やおいを書く人が自分で自分をおとしめることによって、一般の人間や上位の「文学」からの批判を受けずにすむ。

 やおいが日陰の文学であれば、日のもとにさらされて攻撃を受けずにすむわけです。


 「やおいは「病気」か」と聞かれたとき、聞かれた人のなかに「病気」への葛藤がなければ、自分から「病気」だと言っておいたほうが楽だという気がするのですね。

 だから「いい意味で病気」と言われると私は、それは「病気」だということに逃げているのではないか、という疑問が湧くのです。


3 ジュネは「病気」ではないが、それを治さなければならない

4 ジュネは「病気」ではなく、それを治す必要はない


 これらの選択肢には2番ほどの違和感を感じないのですが、2番と同じように「どうして私はジュネが好きなんだろう」「どうして人に不快感を与える「病気」(とはこの場合は考えませんが)を自分は選ぶんだろう」ということを考えなければやはりひとつの趣味として思考停止する可能性があるように思います。


3 ジュネは「病気」ではないが、それを治さなければならない


 この「病気ではない」という部分に、「適応」「個性」という言葉を使っていた作家さんがいらっしゃいましたが、自分の女性(おんなせい)を消滅させることによる「適応」「個性」とはほんとうに「正常」な行為であるのか、その背景には何があるのかということを考えなければここで思考停止する可能性があると思います。


 私にとって「ジュネって「病気」(いい意味で(ハート))だと思いますか?」という質問は、考えれば考えるほどわからなくなる迷路のような質問だったのです。


 自分なりの結論。ジュネはいい意味での「病気」かと聞かれれば、「病気」ではないと答えます。

 ジュネは「病気」かという質問には、わからないと答えます。ジュネを好む自分が正常とは思えないのですが、しかし「男>女」という現状の社会での自分の立場を受け入れずにジュネを卒業する方法が見つからない。なのでジュネを手にしながら現実のここはおかしい……とちまちま言い続けるのが今のところベターな手段だったりします。

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